351.褐色の花嫁.16 | マリンタワー フィリピーナと僕といつも母さん byレイスリー
タレント時代にはフィリピン時代に連れ出し可能の店からやって来た女の娘が大勢いた、またそれを狙う男たちも大勢いた、女の娘たちは体を与える事でお金をもらい物を買ってもらう、ある店では女の娘たちがそっくりそのままタレント全員が同伴やアフターでホテルに行っていた、ワタクシはそれを否定したり責める事など勿論しない、タップリ過去のあるワタクシが責められずはずはない。


女の娘たちはお金や物が欲しくて異国の地ジャパンにやって来ているし店もそれが目的で来てもらえば潤う、客も喜んでやって来るのだから皆ウィンウィンなのだ、しかし大いに失われた物がある、それはフィリピーナはそんな物だと決めつける人を多く増やしてしまった事だ、数十年間の間に数十万人のフィリピーナが仕事にやって来ては帰って行った。


数十年という年月の中で多くのフィリピーナがやって来たという事は騙し騙され、愛し愛されて場合によっては日本人男性が嵌まりすぎ家庭崩壊した人も含めて多くの問題が起こっただろう、中にはフィリピン人なんかはと言う感情を抱く人も多く生まれてしまう、それが固定概念をもち今やネットで広がりフィリピン人たちに差別や偏見が生まれている、ではどうして彼女たちは何故日本にやって来るかだが、それは貧しいからだ。


彼女たちはお金があれば何も異国の日本などに仕事などで来るはずがない、かつて日本でも貧しさ故に自分の娘を売らなければならない長い歴史があったはず、戦後、高度成長期を育った人たちは中流意識を持ちかつてあった貧しさを知らずに或いは忘れてしまったかのようだ、そして貧しい国の人達を理解しようとしない、または見下してしまっているのではないだろうか。


実はワタクシは錦糸町という街に降り立つまで知らず知らずのうちにそういった意識があったのは否定出来ない、しかし、長い間外国人と接してまた現地に行きその国の貧しい人達と接する事でその意識はなくなっていった、彼ら彼女たちはワタクシたちと同じ人間であり、貧しい人たちは方法は様々だが必死に生き抜こうという生命力を感じる、フィリピーナたちはその生命力を感じさせてくれる代表のような存在にワタクシは思っている。


ワタクシの彼女であったレイアは生き抜く為にドバイまで旅立った、そして大阪のミナミでワタクシの目の前にいたシャローンも男を忘れるためとはいえ多くのフィリピーナと同様に貧しさ故に日本にやって来たのでした、フィリピンではKTVにいた彼女は嘘か本当かは分からないが、テイクアウトの店ではないと言いましたがそんな事はワタクシは全く気にしません、彼女は実に可愛い娘でした、関東にいるならばワタクシは間違いなく店に通ったでしょう。


しかし、お金の事を考えると通えるはずがありません、そして楽しい一時はあっという間に過ぎるものです、別れ際この時はいい歳のオッサンのワタクシも胸キュンになりました、後ろ髪を引かれながらワタクシたちはホテルに引き上げました、もらった名刺、普通は出た瞬間に捨ててしまうのですが、一年近く持っていました、またいつか会えるかもの思いがあったからなのですが、結局その店に行くことはありませんでした。


何百回と行ったフィリピンパブですが、何故だか今でも覚えているのはそれだけ印象深かった娘だったからかもしれません、旅のイチページはオッサンに取ってはほのかに甘い物だったのでした。


次回に続きます、いつもご訪問いただきまして誠にありがとうございます。