今年のリトリートが今日終わり、来年は1/4からスタートになります。1月は3人のリトリート、個人セッション、横浜、大阪のサットサンと続きます。来年のリトリートお早目のご予約お待ちしています。
さて、サットサンでいつも「あなたは覚醒に気がつくとほんの一瞬でも独りだということが解ります。」と言っていますが、そういってもピンきませんよね。なぜなら、目の前に人や物があり、触れば感覚もある二元的な世界観で見ていたら、きっとわからない方多いのではないでしょうか。実は、あなたしかいない!ということを見るのに、グルと弟子の関係を通してよく分かるOshoの説法がありましたのでシェアいたします。
独り在ることが、あなたのただひとつの探求であるべきだ。
それは、あなたが山に入らなければならない!ということではない。市場にいて、独り在ることはできる。それはただ、気づいていて、注意深くあって、見守っているということだ。覚えておきなさい、あなたは観るものにすぎない。そうすれば、あなたはどこにいようとも独りだ。あなたは、群集の中にいるかもしれないし、山の中にいるかもしれない。そこには何の違いもない。あなたは、まったく同じ観るものだ。群集の中にいるとき、あなたは群集を観る。山の中にいるとき、あなたは山を観る。目が開いているとき、あなたは存在を観る。目を閉じて、あなたは自分自身を見守る。あなたはただひとつのもの、観る人だ。そして、この自分は観る人であるというのは、もっとも偉大な認識だ。これがあなたの仏性だ。これが光明という、覚醒という、あなたの本性だ。これが、あなたのただひとつの
規律であるべきだ。これだけが あなたを弟子にする――自らが独り在ることを、知るという規律。さもなければ、何があなたを弟子にするというのか?あなたは生のあらゆる点で、だまされてきた。マスターを信じることがあなたを弟子にする、と言われてきた。それは完全に間違っている――そうでなければ、世界中の誰もが弟子だ。ある者はイエスを信じ、ある者は仏陀を信じ、ある者はクリシュナを信じ、ある者はマハヴィーラを信じている。誰もが誰かを信じているが、誰ひとり弟子ではない。なぜなら、弟子であることは、マスターを信じることを意味していないからだ。弟子であるということは、自分自身であるという規律、ほんとうの自分自身であるという規律を学ぶことだ Osho - The Invitation
いかがだったでしょうか!あなたのグルは真我であり、今の自分は、その真我のプログラミング通り動いていることに抵抗しないことだと感じることがとても重要なポインとなのです。ぜひあなたも、このことに気づいてくださいね♪
●各種セッションのお申込みは↓
http://www3.hp-ez.com/hp/raphaelworks/page6
●那須個人リトリートが開始しました!ご興味がある方は↓
①http://ameblo.jp/raphaelworks/entry-11551812241.html
②http://ameblo.jp/raphaelworks/entry-11567279086.html
ご縁を感じた方↑ポチッと押してください
みんなの元気をオラに分けてくれ~ポチッとたのむ