Scene36 女神さまがいたよ | ALOHA STAR MUSIC DIARY ディレクターズ・カット

ALOHA STAR MUSIC DIARY ディレクターズ・カット

80年代の湘南・・・アノ頃 ボクたちは煌めく太陽のなかで 風と歌い 波と踊った。

一九八三年九月十三日(火)午後三時過ぎ――

だんだんと西に傾く陽射しの色は、枯れた茅葺きの山門を照らすのに丁度な淡い燈色を帯びはじめている。

手入れの行き届いた極楽寺の細い参道を囲う草木の緑陰を踏んで、ゆっくり山門のほうへ向かっていると、林ショウカは急かすような口ぶりになった。

「でもさぁ、あんまりお寺にいられる時間ないよ。もうあと四十分くらいしか」

「まぁ、大きな寺じゃないみたいだし、そんなに長居はしないでしょ」

のんびり笑って僕は、山門脇のくぐり戸から境内へ入った。

濃厚な樹影が頭上を覆っていたそれまでの大寺院よりも、極楽寺は陽射しがやけに眩しく思った。

静まり返った境内は、そこはかとなく雑多でいて、どことなく無造作に様々な中低木が植樹されてるようだが、それはそれで、それなりにひとつの寂寞たる風情を醸していた。

本堂を参拝し終え、山門へと戻る途中に置かれた木製ベンチの休憩所で一息入れる。

「たしかに静かなお寺ね」

と感嘆し、李メイはしみじみ微笑んで、頭上を茂った葉々の透きから煌めきこぼれる、木漏れ日の行方を足元に感じていた。

「まぁ俺も嫌いじゃないけどね、こういう質素な感じは」と僕も微笑した。

華麗に艶やめく黒髪に夕陽の色をそっと乗せ、さっきからショウカはずっと思い悩んだ様子だった。

「でもさぁ、その女神さまって、本当に極楽寺の境内にいるのかな?」

「さぁどうかねぇ、もしかしたら、このお寺が建つ前の話だったのもしれないしね。俺も細かい内容まではよく覚えてないんだけど」

実はここへ来る道中、僕はかつて川澄マレンから聞いた「罪人が地獄谷で女神に会った」って話をみんなにしたんだ。

あちこち狭い境内を手分けして捜してみたが、それらしい銅像や石碑は、結局どこにも見当たらなかった。


「みんな、いろいろと罪の意識を抱えてるみたいだから、もし女神さまに赦しを乞えば、ちょっとは救われるのかなって思ったんだけどなぁ」

思わず僕は夕空を見上げた。

「これでいい?」

小山ミチコは縫い終えたばかりの制服を田代ミツオへ手渡した。

「あっ、ありがとう」

恥ずかしそうに礼を述べ、田代が受け取った、その制服の汚れを見つめ、僕は冗談半分、彼に笑い掛けた。

「そういえば、お前がDt中のヤツらに取られた金って、結局取り返せないままで終わっちゃったじゃん。そう考えると、俺って殴られ損な気がするんだけど気のせい?」

「あぁ、なんだか悪かったね。無意味な喧嘩をさせてしまって」

田代は目つきの鋭さを薄らがせ、申し訳なさそうに目尻を垂れ下げた。

するとメイがそんな田代の声をやんわり否定するよう、穏やかに瞳を微笑ませた。

「暴力がいいだなんて思わない。けどね、ワタシは今日、二人が喧嘩したことに意味がなかったとはどうしても思えないの。理不尽さを押し付けられた誰かを……その誰かが持ってるほんの小さな希望の光を守ろうと、必死に戦ったことに意味がないはずなんて絶対ない。お金なんかよりも遥かに大切なものをね、二人は守ろうとしたんだと思うの」

田代は暫くうつむいていたが、やがて顔を上げ、決意を目にミチコを見つめた。

「小学校のときから小山さんがイジメられてるのをずっと毎日見てきたくせに、君を一度も助けてあげられなくて本当にゴメン。自分を守るのに精一杯だったんだ。だけどね、自分では絶対に喧嘩なんてできないだろうな、って決めつけていたけど……でも今日、僕にはできたんだよ。なんで今までそれをしなかったんだろうって思うけど……」

感謝の想いを滲ませた眼差しを、田代は一瞬チラッと僕へ向けた。

「さっきシーナが、たったひとり一緒にいてくれただけで、ものすごく勇気を貰えたんだ。不思議なくらい安心できたんだ。僕ね、ようやくわかったんだよ。『ずっとひとりだったから、何もできなかったんだ』って」

水晶体の色までは、鋭く細めた瞼に阻まれ確められず、けれど彼の想いが真摯であるのは言葉の端に滲んだ機微が所々にしるした。

「僕はもう、来月には転校してしまうけど、でも、ここにいるみんなは、これからも君と一緒にいてくれるんだって、なんだか僕は信じられるんだ。だからね、勇気を持って欲しい。誰かひとりでも近くにいてくれさえすれば、君だって絶対に変われるはずだから……だから、難しいかもしれないけれど、今までの自分を大きく変えていこうとするための勇気を、戦うための勇気を、小山さんにも持って欲しいんだよ」

ミチコは黙ったまま、つぶらな瞳で田代が吐き出す言葉の行方を見守り続けた。

静かに暮れる初秋の空は澄み、そのまばらな陽射しを白い頬に受けながらメイは、薄っすらと確信するよう瞳を細め、白桃色の唇を開いた。

「大丈夫、きっと変わっていける。さっきミチコも感じたでしょ。今までずっと感じることさえも許されなかった希望を、ふたたび抱かせてくれる優しさが、すぐそばにあったって……田代君たちがね、必死に守ってくれたのよ。アナタが失くしかけていた、そんな『小さな幸せを願おうとする心』を」

ミチコの頬を涙が伝う。

メイは言葉に希望の輝きを溶かしてミチコへ与えていった。

「きっと毎晩、眠りに就く前、あたまのなかで想像していた『学校で楽しそうに笑っているアナタ』をね、さっき田代君たちが守ってくれたの。幼い頃からミチコがずっと心に想い描き続けてきた理想の世界に住むアナタのことをね、田代君たちが、現実の世界に連れ出そうとしてくれたのよ」

天然カールの黒髪に西陽をほんのり浮かばせて、ミチコは何度も小さく頷き、そっとピンクのハンカチで涙を押さえた。

僕は田代の肩を指で突っつきニッと笑った。

「やっぱいいヤツなんじゃんお前って。でもさぁ、ちゃんと返せよな、俺が貸した二千円は。俺はお前や林さんと違って金持ちのボンボンなんかじゃねぇんだからな」

田代は初めて心から湧き上がる彼本来の笑顔を見せて一度きり頷いた。

「さっき半僧坊でアイツらと喧嘩し終えたあと、李さんのいった言葉の意味が何だかわかる気がするよ。シーナ、お前はさぁ、誰かが心に隠し持つ本当の顔に気付いてやれるヤツなんだと思う。そしてお前は、その誰かが苦しんでるときは、絶対その人のために何かをしようとするヤツなんだろうってね」


住職から、もう閉門時間であると告げられた。

茅葺きの山門を出ようとしたとき、ミチコがお裁縫セットを休憩所のベンチに忘れたことに気付いた。

小走りで探しに戻ったミチコを、みんなして山門の脇で暫く待っていたときだ。

慌てて戻ってくるなり、ミチコは大きな声で僕らにこう叫んだのである。

――ねぇみんな、女神さまがいたよ――


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村