Scene35 せめて一緒になれるときまで | ALOHA STAR MUSIC DIARY ディレクターズ・カット

ALOHA STAR MUSIC DIARY ディレクターズ・カット

80年代の湘南・・・アノ頃 ボクたちは煌めく太陽のなかで 風と歌い 波と踊った。

一九八三年九月十三日(火)午後三時過ぎ――

思いのほか小さい極楽寺の駅舎は、暮れゆく夕陽の影を屋根の上に、ぼうっと浮かべていた。

その様があまりにも侘しくて、僕は少しだけ感傷的な気分だった。

いや、この街の佇まいは、鎌倉の栄華さを敢えて拒絶する潔い気風にそこはかとなく充ちている。

時代のもたらす利便性をよしとせず、時を止め、不自由さに美徳を見出す精神的風土に包まれている、なんだかそんな感じだ。

もう時間も遅いせいだろう。

ひとつ手前の長谷駅で降りた十分の一ばかりも、この駅に降り立つ観光客の姿はない。

極楽寺の小さな山門は、江ノ電の線路のすぐ傍らに見えるけれど、駅舎から寺院のある側への出口はなかった。

僕らは、いったん寺院とは逆側の閑寂な住宅街の路地を歩いて鎌倉方面へ少し戻った。

山あいの谷間を走る線路上に渡された「桜橋」という朱色の小さな橋の欄干からは、ちょうどトンネルを抜け出てくる江ノ電が絶好のアングルで望めそうで、田代ミツオはその風景が気になる様子だった。

「そういえば『極楽寺に行きたい』っていったのって誰だっけ?」

誰に、というでもなく林ショウカはそう訊ねた。

ひなびた路地の風景に心を奪われながらも、僕は横目でショウカを見やりフッと笑った。

「あぁ、俺だよ。ちょっと探したいものがあって。実はね……」

そう、あの夏の日、川澄マレンから聞いた『極楽寺の女神』を捜しに僕はこの場所へ来たのだ。


――二ヶ月前――


マレンと鎌倉へお墓参りに行った日の午後――

「へぇ、こんな山のなかに川澄の先祖のお墓ってあるんだね」

僕たちは、しっとり湿った苔を避けるよう、長い石階段をゆっくりと一歩ずつ踏みしめてゆく。

「うん、おばあちゃんの家系はね。ずっと鎌倉に住んでたみたいなんだよ。だから御先祖さまのお墓は、かなり昔からこの古いお寺にあるんだ」

艶やかな黒髪に、薄っすら霧状の水滴をまとわせる川澄マレンが僕を見つめた。

長い石階段の、かなり上のほうまでくると、さっきまで頭上を覆っていた樹々の濃密な影はだんだん和らぎ、乳白色のアクリルプレートを均一に敷きつめたかのよう、明るさを内に宿した雨雲が鮮明に広がっていく。

その不透明な曇り空から力なく舞い落ちる霧雨の存在を、わずかに頬で感じ始めた僕たちは、自然と手を繋ぎ合い、ただ山門を目指し続けた――――


霞む天空の彼方を見上げた。

音も立てずに舞い降りていた細雨は、やがて粒を増していく。

暖炉にくべた薪が「パチパチ」はぜるのに、よく似た心地よい雨音の響きだけが、ひと気のない石畳の表面を力なく叩いている。

拝殿の階段に座って雨宿りしている僕たちは、少し前からこの雨景色をぼんやり眺めていた。

梅雨空を覆うグレーがかった空の色は、意味もなく夕暮れまで駆けまわっていた小学生のときほどには嫌いじゃない。

参堂の表面に溜まりはじめた雨水は、互い違いに配列された敷石の隙間を埋めるモルタル目地を伝ってアミダ状に石畳の両脇へとこぼれ落ちてゆく。

やがて左右の黒土のわずかな窪みにいくつもの水溜まりができあがる。

雨脚が強まるにつれ、その水面(みなも)には、幾輪もの水紋が広がって、けれど小さく円弧を描き出しては、みずからの余韻の中へと消えていってを繰り返す。

ケヤキ、エノキ、ムクノキ、コナラ、この寺院の敷地にそびえる様々な容貌の樹々らを時折眺めた。

数えることを容易く諦めさせるほど無限にまとった枝先の葉々に打ちつけられるくぐもった雨音が、人為的なあらゆる日常の雑音をすっかり打ち消し、僕の心に静穏の残響のみをただ刻んでゆく。

気付けば僕たちはみずからの存在をすっかり忘れてしまっていた。

雨色に染まった風景の、透明なパズルのピースと化しながら、違和感なくその場に溶け込んでいたのだ。

上空を覆い尽くした樹々の葉身一枚ごとに溜め込まれた、丸い水滴は風に扇がれ、時折激しく石畳の上へと落下して「バチバチ」大きく跳ね上がっては四方に散った。

巨大な老樹に囲われた、この境内を漂う時間には、たしかに崇められるべき神仏の気息が息づいている。


ふっと僕は拝殿の脇に咲く円錐状の花穂を開花させたばかりのアジサイを見つめた。

宝石そのものが輝けないのと同じよう、どんなに美しい草花たちも、太陽が照らさなければ、鮮やかに色彩を際立たせたりはしない。

けれど、きっとアジサイだけは違うのだ。

雨露と戯れ合ってこそ、淡白なその花色は濃度を増し、冷酷なほど奥深い色味へと変化してゆく。

光をまとわぬアジサイの浮かびあがらす情念めいた色艶は、どことなく揺るぐことなき女性的な意志の強さを感じさせる。

僕は老樹たちが無限の葉々からこぼし続ける雫の先に目をやった――


やがて雨は小降りとなる。

僕はマレンに導かれ、黒く湿った古寺の石畳を歩き始めた。

巨木の幹を抜けた先、南側の山肌に大きく視界が開けた斜面は、下のほうまでぎっしりと墓石が建ち並んでいた。

その遥か彼方に見える樹々の枝葉の透き間には、この曇り空の色を水面に満たした鎌倉の海がやんわり風に揺らいでいた。

マレンはずっと手を合わせながら墓前の前で祈り続けている。

僕はマレンの後ろに立ったまま、供えられた線香の煙が彼方に消えゆく、音のない七月の空を見つめた。


――カミュちゃんー―

やがてマレンが後ろを振り返る。

僕は彼女と入れ替わるようにし、墓前の前にかがみ込んだ。そして目を閉じ両手を合わせた。

神様……僕には……僕には、まだ彼女を守る力が全然足りません。だから彼女のお母さんを絶対に助けてあげてください。

とにかく今はまだ、マレンからお母さんをすぐには奪わないでください。

あと数年でいいんです……

せめて僕がマレンと一緒になれるときまで――


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村