Scene1 ふたたび出逢えし君へ | ALOHA STAR MUSIC DIARY ディレクターズ・カット

ALOHA STAR MUSIC DIARY ディレクターズ・カット

80年代の湘南・・・アノ頃 ボクたちは煌めく太陽のなかで 風と歌い 波と踊った。

薄汚れた灰褐色のプラットホームに僕はひとりで立っている。

西の方角から、微塵も風をそよめかせずに進入して来た、無光沢な濃い墨色の不気味な列車が、しめやかにプラットホームに停車する。

そういうとき、足元の巨大なコンクリートの塊は、習性のように一定速度で列車のほうへと傾きはじめる。

その表面はまるで磨いたばかりのステンレスほどのなめらかさで、摩擦をいっさい生じない。

運命が時間を決して遡らぬよう、僕の躰も決して斜面を滑り上がったりはしない。

もはや抗いようもなく、僕は車両との透き間の闇へ滑り落ちてゆくのだ。

灰褐色のプラットホーム、それは無機質で無慈悲な冷酷さの象徴だった。

そして列車との透き間に横たわる、あの僅か数十センチの魔の領域は、死の匂いをくすぶらせる亡者の世界を幼い僕に想像させた――

けれど最近、やけに土褐色の泥でぬかるんだ戦場の夢ばかりをよく見る。その戦場で、生まれて初めて誰かを殺し、つい今しがた、生まれて初めて銃で撃たれて、僕は誰かに殺された。

きっと夭逝に憧れているせいだろう。

そう、十三歳の僕はいま、心にデストルドー、すなわち『死の欲動』を少なからず宿している。

とにかく一度、生きる希望を全部失ってしまいたい。

絶望的な孤独の檻で、闇に馴らされ過ごすとき、そこから見える最初の光。

いまはただ無性にそんな光の色が見てみたい。

闇色の心に射し込むその光こそ、僕がいま、唯一求める輝きなんだ――――

歴史に名を残す伝説のロックミュージシャン、その何人かは、まるで命をちぎって放り投げるよう、事故死かドラッグ・オーバードーズ(薬物過剰摂取)で早世していった。

生になんら固執せず、タバコの紫煙を絶えずその身にまとわせて、ドラッグやアルコールに蝕まれていく彼らの姿がやたらと格好よかった。

そうした生き様、その死に様は、夢みたいなキレイ事に飲み込まれ、自由の意味を曖昧に溶かされはじめた世の中に対する抵抗の証、そんな栄えある名誉の勲章なのだと僕には思えた。

さっき学校から帰る道中、薬局でオキシドールを買った。

結構な量をすくって伸びた前髪に擦りつけ、至近距離から暫くドライヤーの熱風をあてる。

気化したオキシドールの生暖かな異臭の充ちた頃、黒髪はたしかに茶色く変化した。

中一の頃から「似てる」とよくいわれたが、最近、僕はストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーを真似てゆるくパーマをかけてみた。

さすがにポマードでリーゼント風にキメて学校に行ったりしないが、休日は親父のチックを髪に撫でつけ、ロカビリー風の格好をよくした。

同学年には、ロックンローラーよりもパンクっぽい髪型をしたヤツのほうが相当目立つが、僕もパンクは嫌いじゃないし、セックスピストルズのアルバム『勝手にしやがれ』をたまには聴いたりもする。

一番好きな曲は『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』かな。

No Future(未来なんてない)――、なんかだすごくいい響きだ。


――おとといの昼休み、僕は職員室で担任教師に二十発以上殴られ続けた。

十五発目まで数えていたが、そこから先は、担任の殴るリズムがだんだんと変拍子になってしまって、もう数えなかった。

途中ひとりだけ、土下座しろ、って後ろから僕に命じたヤツがいた。

「いえ、立ってるほうが殴りやすいですから」

と担任に返され、あっさりその場を立ち去った中年教師、それが僕ら二年の学年主任だ。

他の教員連中とは一度も目が合わなかった。

胸元に鮮血の飛び散ったYシャツ姿の僕など誰も見ていやしなかった。

どいつも普段どおりに談笑し、机に向かって淡々と事務作業なんかをしていた。

「教育」という言葉を盾に、「聖域」という響きに護られ、暴力的制裁が慣例ルールで黙認された、非常に稀有な収監施設。

気密性に優れた鉄製の門扉を閉ざし、内側世界の音を寸分漏らさぬ『学校』という巨大な密閉空間のなかを日々、そんな異常者どもが闊歩している。

追い詰められた弱者らが身を隠せる場所なんてありはしないよ。

弱いヤツは生き残れない。

だから血のなかを受け継がれてきた生存本能が、やたらと心を煽ってくるんだ。

「ヤられる前にヤれ」「ヤられたらヤり返せ」ってね。けれどそんなの当たり前だよ。


――だってここは戦場なんだから――


教室に戻ると、川澄マレンが心配そうに目を曇らせて近づいて来た。

大丈夫だよ、って僕は笑ったけれど、次第に内出血の塊がいくつも口中でボコッと膨らみ固まり出した。

トイレで鏡を眺めると、頬や目尻が薄紫に変色し、腫れているのがよくわかった。

舌先でゴロゴロと血腫をなぞって僕はぼんやり思ったんだ。

でもまぁ、あれだけヤラれたにしてはそんなにヒドくもないかな、って。


――その日の放課後、さっきより腫れぼったい僕の横顔にマレンが小言をいうあいだ、セックスピストルスの『アナーキー・イン・ザ・U.K』のリフが、無意識に心の奥でリピートしていた。

マレンは薄茶色の大きな瞳を一向に逸らさなかった。

「あんまり先生とか先輩に反抗しないほうがいいんだからね」

でもさぁ、それがパンクなんだけどね、と僕は彼女に笑ってみたけど、歯医者で局所麻酔を打たれたように唇が痺れてなんだかうまく笑えなかった。

「何がパンクなのよ。もう、ちゃんと真面目にあたしの話聞いてるのぉ」

バカにされたと思ったらしい。

マレンはムッとし薄目で僕を睨んで、頬をプクッと膨らませた。

でもさあ、きっとそれがパンクなんだろうなって、ただ何となく思ったんだよ。


自らの行為を正当化するための大義名分、それが「理由」なんてものの本質だ。

それは単なる言い訳であり、欺瞞で、詭弁だ。

僕らが無自覚や衝動的にする行為のほとんどに理由なんてものなど存在しない。

けれど連中はいつだって理由ばかりを知りたがり、生ぬるい理想的尺度から、使い古しの雛形を押しつけ、僕らを身勝手に定義付けしたがる。

「子供はこうあるべきだ」「子供に悪影響を与えるから」

そうやって杓子定規になんでも隠蔽されるほど、余計覗き見たくなる背徳感は、ありのままの真実を突きつけられる以上に僕らを困惑させ、歪ませる。

僕らにとって罪悪感は、好奇心がもたらす曖昧な達成感でもある。

けどさぁ、アンタらが僕らを『子供』って定義づけれるほどに何か特別なものを持っているのか? 

その本質は大人も子供も変わりやしない。

人間は残酷で、欲望だらけで、わがままで、そして悲しいほどに脆弱だ。

そういうもんだろ人間なんて。

だったらいちいち騒ぐなよ。そもそも僕らは何するにせよ「理由」なんて持ち合わせちゃいないんだ。
だから誰かに真顔で押しつけられる正論ほど、癇に障るものはないんだよ――――


一九八二年四月七日(水)午後一時前――

昨日の激しい豪雨って、もしかしたら幻だったのだろうか。

まぶたをくすぐる霧状の淡い陽射しにぼんやり僕は目を覚ます。

板ガラスを一面に張り巡らした南の窓から入り込むパステルカラーの可視光が、艶めく机上で跳ね返り、部屋じゅうを柔らかな白光で満たしていた。

昼食を終え、ウォークマンを聴いているうちにどうやら眠ってしまっていたようだ。

まだ眩しさに馴れない右目をこすって海を見つめた。

湘南海岸に沿って走る国道一三四号線は、あいも変わらず渋滞している。

中学二年で教室が海側の三階に移動したせいだろうか。

濃い藍色の水面を白銀に輝かせてる海の色味が、いつも以上にキレイに思えた。

「それ見つかったらヤバイよ」
少しだけボリュームを落とし、僕は隣の女生徒の声に頷く。

彼女がいうよう、もし担任にバレたとすれば、どんな目に遭うのかなんてわかっていた。

――カチャッ――

金属音が微かに響いた。

カセットが自動的にリバース再生されると、僕はまた窓の向こうに目をやって一片たりとも雲のかけらの見当たらぬ青い空を見上げた。

誰かの視線を感じた気がし、廊下のほうを振り返る――ひとりの少女と目が合った。

南の窓から入り込むうららかな春の陽射しが彼女の机のあたりまで、その柔らかな光の揺らめきでキラキラ包み込んでいた。

僕はフッと微笑んでみる。

彼女もそっと僕を見つめて口許にほのかな笑みを浮かばせた。

ずっと前から彼女のことは知っていたんだ。

海風にたゆたうような旋律がノスタルジックな気分にさせてるせいかもしれないけれど、彼女と出会ったあの日のことを僕は静かに思い出していた――――

あの頃は「熱がある」だの「お腹が痛い」だのといっては布団の中に潜り込み、よく母親に仮病を使ったりしていたものだ。

行きたくもないような習い事、そんなものを一方的に押し付けられて、僕らはきっとリアルな嘘を知らずに覚えてゆくのだろう。

川澄(かわすみ)マレンを初めて見たのは、消毒用の塩化石灰が大量に投入されて薄っすら濁った水の中だった。

そう、小学校四年のときに無理やり通わされていたスイミングスクールの生ぬるく半透明なプールの中で僕たちはすでに出会っていたんだ。

中学二年でマレンと同じクラスになってからしばらく経つが、未だに挨拶程度の会話しか彼女と交わしたことがない。

あれから四年の月日が流れ、少しは大人になったはずの僕が、久々に再会した彼女の大きな瞳をあの頃みたいに淡々と見つめられなくなってしまったその理由――

それは決して湿度によって曇らせたライトグリーンの競泳ゴーグルをつけてないから、というだけではないのだろう。

なめらかにスッと富士の形の曲線を描き出してる白桃色の上唇。

そのすぐ左に幼い頃からポツンと小さくずっとある、つつましやかで可憐なほくろが、彼女をいっそう大人びて見せてしまっているせいだ。


「カミュ、今週の日曜にドリームランド行こうぜ」

昨日の放課後、小学校時代からの友人、斉藤ミツキにそう誘われた。

たしかに僕は以前からシャトルループに一度は乗ってみたかった。

が、子供の頃からずっと乗ってみたいと焦がれてたドリームランド行きのモノレールは、かなり前から運休したまま、その錆びついた軌道と無機質なコンクリ―ト製の支柱だけが、未だに取り残されている。

「みんなって誰よ?」
顔色を伺うように僕はミツキに訊ねた。

「こないだ大野にさぁ、みんなで行こうって誘われたんだよ」
ミツキはニヤッと笑った。

大野スミカと川澄マレンは、このクラスで一番の親友同士である。

「川澄も?」

当然、そうに決まってるんだろうなって思いながらも、わざと僕はそんな質問をミツキにしたんだ。


一九八二年四月十日(土)午後一時過ぎ――

薄曇りの空の下、僕たち四人は市営球場のほうへと向かって歩いていた。

こうやって学校帰りに川澄マレンや大野スミカと一緒の時間を過ごしたことなど当然ながら一度もなかった。

前を歩くマレンが風にそよがせる柔らかそうな黒髪を、僕はぼんやり見つめていた。

(ずいぶん髪が伸びたんだな……マレン)

球場に隣接している公園の木製ベンチの上空を、ぬるく湿った生暖かな潮風が南西のほうから吹き抜けていく。

じっとりと灰色がかった雨雲が、少し離れて二人ずつ分かれて座った僕たちに明日の天気を気にさせる。

「最近、ギター弾いてるんだって?」

ふいにマレンが問いかけてきた。彼女のほうへは目をやらず、曇った空に僕はささやく。

「まぁフォークギターしか持ってないけどね」

おそらく、それが中学二年になってから、川澄マレンと日常の挨拶以外で交わした最初の会話だったろう。

僕はゆっくりマレンのほうへ視線を向ける。

薄い茶色の大きな瞳で僕を見つめてマレンは笑った。

赤っぽいゴムで結わいた彼女の長い黒髪が、その呪縛からようやく解き放たれると、白いYシャツの肩の向こうを無邪気にサラサラそよめいた。
互いに言葉を探し続ける沈黙を、遠くに揺らぐ海の音色が埋めていく。

マレンのほうが先に言葉を見つけ出した。

「いまってどんな音楽聴いてるの?」

気恥ずかしさがもたらしていた距離感は、だんだんと潮の香りに溶けていく。

「日本人のじゃないから、たぶんわからないと思うよ」

彼女のほうへ顔を傾げて僕が笑うと、えくぼを浮かべてマレンも微笑む。

「じゃあさぁ、明日、あたしに聴かせてよ」

中学生になってから何となく躊躇してきたマレンとの、そんな他愛のない言葉のやりとり。

けれど、きっと心のどこかで彼女と話すきっかけをずっと探していたのだろう。

そう、窓ガラスの向こう側、桜花が春風に舞い散っていたあの始業式の朝、数年振りに川澄マレンを教室の中で見つけたときから、僕はずっと。


一九八二年四月十一日(日)午前九時半頃――

その日、僕たち四人は地元の駅前ロータリーで待ち合わせていた。

斉藤ミツキはまだ来てなかったが、川澄マレンと大野スミカは僕より先に到着していた。

マレンは小さな花柄が胸元にいくつも刺繍された白いワンピースを着ていた。

見慣れない私服姿の彼女になんだか僕は照れていたんだ。

だから少し遅れてやってきたミツキに対してあれほど無駄に絡んだのだろう。

ホームで上り列車を待つ僕の左隣には、線路の上へこぼれ落ちゆく真新しい春の陽射しの揺らめきを静かに眺めるマレンがいた。

微笑む彼女の視線の先にそっとウォークマンを差し出す。

透明なアクリルパネルに映し出された自分の瞳の色を見つめて驚く彼女に僕はフッと笑ってささやいた。

「俺が最近、一番聴いてるレコードってこれなんだけど」

ニコッと微笑んだマレンは、不慣れな手つきでヘッドフォンを耳にあてた。

僕は早送りしておいたカセットの再生ボタンを、無意味なくらい強く押した。

きっと、もうすぐエリッククラプトンの「ワンダフル・トゥナイト」の心地よいイントロが聴こえはじめる頃だろう。

マレンはそっと長いまつ毛で隠すよう、瞳を閉ざして黙り込む。彼女にとてもよく似合うワンピースの裾のあたりが薫風にそよぐたび、やんわり撫でていくように僕の膝の辺りをくすぐり続けた――


「うん! すごくいい曲だねぇ」

マレンはチラッと僕を見て、ヘッドフォンをそっと返した。無意識に右手を伸ばすと僕の小指が彼女の人差し指に一瞬触れた。

少し慌てて目をやると、マレンはさして気にもせず、僕を見つめてニッコリ笑った。

「今度さぁ。またカミュの好きな曲とかいろいろ聴かせてね」

そのとき僕はようやく思い出したんだ。

数年ぶりに出会った彼女の瞳がこんなにも茶色かったんだってことを――あの幼き夏の日に刻み込まれた光景が、心の遥か奥のほうで鮮烈に色づきはじめた。



《あのさぁ、流れ星って見たことある?

ふいに僕はマレンに訊ねた。

「えっ、見たことないけど」

頬にチョコの形を浮かびあがらせ、まだ少しだけムッとしたままマレンは僕を見返した。

僕は彼女が小さく角張らせているその頬を見つめてささやいた。

「流れ星に三回願い事をすれば、その願いが叶うっていうのは有名だけどさぁ。『好きな人と二人きりで流れ星を一緒に見ると、その人と結婚できる』ってね。誰かに聞いたことがあるんだ」

するとマレンは瞳をいっそう大きくし、嬉しそうに口許を微笑ませた

「だったらラクだねぇ。流れ星に願うことなんて、きっとみんなそれくらいしかないもんね」

少し恥じらい、マレンはさらに続けた。

「じゃぁさぁ、もしカミュと一緒に流れ星見たらさぁ。あたしたちって、いつか結婚しちゃうのかな?」

星空を見上げて僕は「アハハ」と笑った。

「まぁ、さすがにそれはないんじゃないの?」

「なんで!」

ショートカットのマレンは、夏の陽射しに赤らめた頬を少し膨らませた……》



小学校四年の夏休み、スイミングスクールのキャンプで行った山奥の草原で、あの夜、マレンの潤んだ瞳にキラキラと映し出された星空の輝きを僕は見ていた。

(まったくあの頃のマレンときたら、まるでモンキーみたいに短い髪でさぁ。何かにつけてすぐ僕にちょっかいだしてきたりして。それにさぁ……それに……)

傾斜のついた天井が柔らかな陽射しを遮って立体的な影を生み出す。

まだ、さほど人の気配の感じられないホ―ムの中は薄墨色したゆるやかな陰影に覆われていて、時間(とき)の移ろうことさえ忘れる。

吹き抜けていく心地よい涼風に長く伸びたマレンの黒髪がサラサラなびいているのを見つめた。

電車の到着を待つそのわずかな時間、ショートカットだったスイミングルスクール時代の彼女の面影を、僕がその風の中に思い出すことは、もう二度となかった。