『もう、2度と観たくない』
『救いがなさ過ぎる』
『評判を聞いて絶対観ない』
それでも私は、この映画を支持します。傑作です。
ダンサー・イン・ザ・ダーク(’00)
監督は、『奇跡の海』 『ドッグヴィル』 の、ラース・フォン・トリアー
この作品では、手持ちカメラワークで独特の臨場感を出し、幻想シーン(ミュージカル部分)以外の
ほぼ全てをジャンプカットで構成するという離れ業を行った。
手持ちカメラで、ただでさえブレブレなのに、更にズームイン、ズームアウトを繰り返す。
これは、人間の視線に他ならない。
※ ジャンプカット=画面の連続性を無視して、カットを繋ぎ合わせること。 Wikipediaより
この映画のミュージカル・シーンは全てセルマ(ビョーク)の妄想の中の出来事であって、
セルマの内面を現すようになっている。
この現実と妄想の対比が見事だった。
現実ではカラーなのに薄暗くグレーがかっている。
それがミュージカルシーンになると、赤みを帯びた温かみのある色調に変わる。
変わり方も、機械の規則的な音からリズムを刻む音に変わっていく。
ジャン=ピエール・ジュネ監督も『アメリ』や『デリカテッセン』で似たようなことをしている。
ミュージカルシーンの力強さにどんどん引き込まれていく。
そしてミュージカルシーン(妄想)から現実に変わるシーンも好きです。
私たちも、妄想までいかなくても物思いにふけっていて「ふっと」我に返ることありますよね。
あれを映像で見事に描いていた。
また無機質な機械の音が聞こえてくるだけ・・・・・・
私は、ミュージカルに詳しいわけではないですけど、橋を渡る列車のミュージカルシーンは、
映画史の残る名シーンと言っても言い過ぎではないと思う。むしろ言い足りない。
木々や芝の緑と青い空、日の光。セルマのスカートがふわっと浮いたり。
現実のシーンが陰鬱で単調なものだけに余計に映えて見える。
ビョークはミュージシャンとしても好きだったが、この演技は素晴らしかった。
と言うより、完全にセルマと同化していた。
ミュージカルについて目を輝かせて語るシーンは、ホントに輝いていた。
インタビューの中で、もう女優はやらない。セルマになりきるのに1年半かかり、
撮影後、元に戻るのに9か月かかったと言っていた。
また、あのカトリーヌ・ドヌーブは 『脇でいいから出させてくれ』 と自ら出演を申し出たそうで
先日観た当時23歳の 『昼顔』 も良かったけど、この人はいい歳の重ねかたをしてるなと思った。
正直、ツッコミどころ満載である。
そういうところが、感情移入できないとか、共感できない、という意見が多いのかもしれない。
ただ、妄想癖の激しい女の物語に、いちいちツッコミを入れていたらきりが無い。
そして問題のラストですけど・・・・・・
『何もあんな終わらせ方しなくても』
では、ふわっとした終わらせ方だったら良かったのか
先ほど書いた妄想から現実への切り替えを考えたら、あれは必然だったと思う。
『救いがなさ過ぎる』
救いがなさ過ぎる?
最後、息子の眼鏡が「ぽとん」と落ちましたよね。
あれ、もう必要ないんですよ。
これが最後の歌じゃないんです。
セルマは、チェコからの移民。プレス工場で働き、唯一の楽しみはミュージカルという空想の世界を創りあげること。遺伝性疾患のため衰えていく視力と闘いながら、同じ病に侵された息子の手術費用を稼ぐため身を粉にして働く毎日。カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作
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