あれから10年、
ボクはプロフェッショナルレスラーになってリングに立っていた。
デトロイトの実家の押入れから、
中学の卒業文集が出てきた。
そこには、
当時14才のある少年がこう綴っていた…
「僕は昔からよくゼンソクが出ていて、
よく学校を休みました。
病院からもらった薬を今も飲んでいます。
激しい運動ができなかったので体育も見学して、
休み時間も友達はドッヂボールをしているけど、
僕は教室でプロレスの絵を描いていました。
ママは『啓太はやりたい事をやりなさい。
でも激しい運動はゼンソクが出るからやめときなさい。
啓太はゼンソク持ちだからパパのようにはなれないのよ。』と言いました。
この前の進路相談の時に僕は先生とママの前で言いました。
『プロレスラーになりたい。』
ママは笑っていました。
先生も笑いながら『お前ガリガリやないか!』と言いました。
でも僕はパパのようなプロレスラーになりたいです。
今はゼンソクを治すためにヒンズースクワットをやっています。
将来は絶対プロレスラーになって皆をおどろかせたいです。
3年3組 矢野啓太」
あの時、
誰もボクが真剣だとは思ってなかっただろう、。
でも今ボクはプロフェッショナルレスリングという“真剣勝負”の世界にいる。
当時は体重50kgにみたなかった少年は、
いつしか、
あの藤原喜明とも、
命と命のやりとりをするようになれた。
本当の瞬間はいつも、
死ぬほど恐いものだった。
でも恐れる事はない。
やってダメな事なんてないんですよ!
お共仕らん、
7月1日のDDTとの全面戦争は、
“これで選手生命を終えてもいい”ぐらい、、、、
奴らとは懸けてるモノが違うから。
パパとママに見届けてもらいたい。
いつでも尊敬してるから。
愛していると、
闘いの中からそう伝えたい。
明日(24日)、
聖地に“ワラビー革命軍”が乗り込むぜ。笑
また、
ワラビーの最新情報はmixiコミュニティでチェックしたまえ。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5924724
そんなわけで、
見た目がサン御結婚おめでとうございます!