色彩感覚
劇団 「前回の記事では、
人の最も強力な行動原理は世界観を変えることであり、
それは体感覚と密接に結びついている
ということを、フォーシーズンズのプライベートジェットプランや
温泉旅行と家風呂の感覚の違いなどを例にして説明したん
ですよね。」
CS 「ハイ、そうです。」
「わたしが考える神秘行とは、
普段の日常生活でも、フォーシーズンズで世界旅行をしている
時のように周りの世界をリアルに感じ、
家でお風呂に入っている時も温泉旅行と同じくらいの気持ちよさを
味わえるようになること
なんです。」
劇団 「それはCSさん風に表現すれば、
日常生活での体感覚、
すなわち知覚能力が増大した状態
と言えるんじゃないですか?」
CS 「その通りです。」
「さらに敷延して言えば、
日常での体感覚の増大
↓
知覚能力の拡大
↓
意識の覚醒
へと繋がります。」
劇団 「意識の覚醒まで話が広がりますか!」
CS 「20世紀最大の神秘思想家と呼ばれるI・G・グルジェフが、
『覚醒した意識とはどんな状態ですか?』
と聞かれたときに、
『全てが色鮮やかに見える。』
と答えたんです。」
劇団 「色鮮やかですか・・・。」
CS 「でも、これは多かれ少なかれ誰でも経験があると思うんです。」
「例えば、
あなたの人生で一番うれしかった記憶は何ですか?
と質問したとします。」
「すると、
学生時代に好きな彼女に告白して初デートに誘ったら
OKが出た時
とか、
出産して始めて我が子を胸に抱いた時
などと人によって様々なのでしょうが、共通しているのは
その時の光景が、他の記憶に較べて色鮮やかに浮かんで
きますよね。」
劇団 「確かにうれしかった思い出って、なんか鮮やかな感じですね。」
CS 「加えてうれしい時って体感覚を伴っているんです。」
「例えば、
〈感動で胸が熱くなる〉
とか
〈胸がいっぱいになる〉
〈全身が歓びで興奮してじっとしていられない〉
などという風に、強烈なうれしい感情は体感覚を伴うんです。」
劇団 「そう言われてみればそうです。」
CS 「温泉に浸かって気持ちよくなった時の記憶が残りやすいのも、
普段、日常生活では見慣れない美しい景色と、
(湯船に浸かって気持ちいい!)という体感覚が
結びついて鮮明な記憶として残るんです。」
「逆に、
あなたが学生時代に一番成績が悪かった科目の
授業中の記憶を思い出して下さい。
と訊ねてもあまりはっきり思い出せないと思います。」
劇団 「そうですね。」
「ボクは数学が苦手だったのですが、授業内容がよくわからないので
退屈で眠気と闘っていた記憶しかないです。」
CS 「色で言うと、何色ですか?」
劇団 「モノクロって感じですね。」
CS 「じゃあ、学生時代に一番に好きだった女の子を思い出すとどうですか?」
劇団 「有村架純に似た子だったんですけど、なんか輝いているイメージがあります。」

(↑実際、クラスにこういう子いたらモテるんだろうね。)
劇団 「それに思い出していると、何となく胸に切ない感じの懐かしい感覚が
よみがえってきます。」
CS 「そうですよねぇ。」
「中学や高校時代の最も純粋で多感だった思春期に好きになった子って、
一番記憶に強烈に刷り込まれますから、4Kテレビ並の鮮明度なんでしょうね。」
↑
(あえて劇団に、彼女と付き合えたかどうかは訊かない
やさしいコズミック・シャーマンだった。)
CS 「よく神秘行をしている人で、
(ボクは意識の覚醒を目指しています。)なんて言う人がいて、
じゃあ、君の言う(意識の覚醒)とは何なんですか?
と訊くと答えに詰まる人がほとんどなんです。」
劇団 「確かに、具体的に答えられる人はなかなかいないんでしょうね。」
CS 「それに対してわたしは明確な答えを持っています。
意識の覚醒とは、体感覚をベースに五感が研ぎ澄まされ
高まった状態。
これが答えです。」
「といっても、この状態に持って行くにはその他の要素も重要なんですけどね。」
劇団 「色彩感覚と意識の覚醒度って関係あるんですね。」
CS 「これについてはわたしの気功の元師匠も良く気づいていて
文章を残しているので紹介します。」
とりあえずは気功の目標を「気が見える」段階においてる方が多いようです。
その能力は「気のめぐり=経脈の通りよう」に関係してる。
正しい意味での小周天は督脈を上るさい、神道および大椎から腕の外側を指先まで、
任脈を下るさいは逆に、てのひらから喉、および胸への気の流れを感じます。
任・督脈だけの流れは、あくまでも「ごくごく初歩的な小周天」であることを
銘記あそばされたい。
この腕および足への流れは、練功の積み重ねによって得られます。
初歩的小周天を小周天そのものと錯覚し、訓練を中断すると進歩は
そこで止まっちゃう。
背骨を繰り返し熱くせよ、とはしつこく注意を促してきたところでありまちゅ。
小周天が回っていると胸を張れるのは
一つに五感の変化(「寒暑のいずれにも強い」を含む)であり、
二つには睡眠時間の減少(従来の70%ほど)です。
五感の変化は視覚で言えば、色彩の美しさ(に気づく)があげられます。
どの色も鮮やかで美しく、かつ立体的に見える。
たとえば白は、除菌までした白みたいに輝いて見えるし、
金色銀色に至っては息を飲むほど美しく、神がそこに
存しますかのごとき崇高な感じにうたれたりします。
実際、涙ぐんじゃうほど。
街で見かけるポスターや表札などにも思わず足をとめて
見惚れるなんてことが起きる。
とにかく目に映るものすべてが美しく、愛らしく、立派で輝いて見える。
こうなると、今まで宗教を信じていなかった人でも、神とか天など
超越的存在に関心をもつようになります。
「気が見える」前兆はこうした視覚の変化です。
この美に対する感性は匂いや音にも及び、
「私が生きてる世界は、こんなにも美しかったのか」
と感嘆します。
美しいものに取り囲まれてるから、いつも嬉しい。
世俗的欲望は影をひそめ、心穏やかな日々が訪れます。
こうならなければ、それは偽物の小周天。
また、この段階では初歩的な予知能力、読心能力、他者操縦能力が
発揮されます。
五感の変化は視床下部をはじめとする脳のあちこちが活性されたためで、
超能力の源はそこらに存在するというのが定説。
そしてこの超人的傾向は練功を重ねつつ、できる限り自然と接する
ことによって、ますます発展します。
小周天とは仙人になる修行の入り口であるからして、日々の過ごし方、
ものの考え方が超俗的傾向を深めるのは当然すぎる当然であります。
劇団 「CSさんの気功の元師匠は、全てに美を感じて神とか天などの
超越的存在に関心を持つようになったんですね。」
「また、
この段階では初歩的な予知能力、読心能力、他者操縦能力が
発揮されます。
という部分も興味惹かれます。」
CS 「わたしから見ると、彼(元師匠)の宗教的バイアスが色濃く反映されて
いる文章で紹介するかどうか迷ったんですけどね。」
劇団 「えっ、そうなんですか?」
CS 「世俗的欲望は影をひそめ、心穏やかな日々が訪れます。
こうならなければ、それは偽物の小周天。
という部分は、わたしから見れば元師匠の宗教的バイアスから来た
偏見ですよね。」
「人間そんな単純なものじゃないですから。」
劇団 「えーっ!」
CS 「それに、
また、この段階では初歩的な予知能力、読心能力、
他者操縦能力が発揮されます。
という記述も問題です。」
「確かにそういう現象が発現することもあるのですが
元師匠の文章を読んで、
学校の勉強もろくにしないで、社会に出ても挨拶もしない、
仕事中もボーッとしてダラダラ手を抜いたり、すぐサボって
休むような現実で役に立たない人間が、
オレも小周天や大周天を達成して予知能力、読心能力、
他者操縦能力を身につければ苦労しないでお金持ちになって、
モテモテになるぞぉ~!
なんて考えるようになるんですよ。」
「そんな考えの甘い人間が神秘行やってもダメに決まっているのに。」
劇団 「CSさんはそういう人に手厳しいですよね。」
CS 「仙道研究家 高藤聡一郎氏の内弟子だった受講者の話だと
氏は最初、そういう人間に腹を立てていたそうなのですが、
『みんな口では仙道をやりたいと言っているが、
本当はオカルトをやりたいだけなんだよな。
だから、俺も商売と割り切って金を取るようにした。』
と考え方を変えて、一応入門させて月謝は取って道場に集めて
実際の指導は内弟子に放り投げていたそうです。」
劇団 「ビジネスに徹したんですね。」
CS 「でも、わたしは高藤氏と違って一切関わり合いたくないです。」
「そういう連中と関わるとお金は入るかも知れないけど重要なものを失う。」
「その重要なものが無くなると神秘行に徹底的にマイナスに働く。
とわたしは考えています。」
「おそらく高藤氏もその影響を受け続けているはずです。」
劇団 「それって気になりますね。」
「でも、そういう人って実際多いんですか?」
CS 「わたしもやる気が無さそうな人は指導はしないように気をつけて
きたのですが高藤氏の言葉を借りれば、
『口では仙道をやりたいと言っているが、
本当はオカルトをやりたいだけ』
という人が一定数出てしまいます。」
劇団 「そういう人ってわかるんですか?」
CS 「まず、わたしが指定した気功トレーニングを全くしない。」
劇団 「あっ、それはやる気無いわ。」
CS 「1日最低30分、出来れば1時間はしないとダメだと言っているのに
全くしない。」
「また、そういう人って何をやっても中途半端ですから、現実生活での
仕事や勉強に対するも熱意も無いんです。」
「だから当然、現実生活がうまくいっていない。」
劇団 「じゃあ、なんで指導を受けようとするんですか?」
CS 「それが高藤氏の言うオカルトですよ。」
「オレも小周天や大周天を達成して予知能力、読心能力、
他者操縦能力を身につければ苦労しないでお金持ちになって、
モテモテになるぞぉ~!
なんて心のどこかで考えているんです。」
劇団 「で、CSさんはどうするんですか?」
CS 「そういう人には、
毎日、指定したトレーニングをして下さい。
もっと日々の仕事(関連した勉強)に集中するようにしないと
現実生活も神秘行も進歩が無いです。
と言います。」
劇団 「で、改善するんですか?」
CS 「30代以上のある程度年齢が上がっている人は、そういうだらけた生き方が
染みついていますからなかなか変わりませんね。」
劇団 「で、どうなるんですか?」
CS 「段々、受講間隔が空いてくるんです。」
「月2回→ 月1回 →2ヶ月に1回 という感じで。」
劇団 「で、その人は受講を辞めないんですか?」
CS 「本人にしてみたら、
一応気脈は開いてもらったから何となく気感もあって効果も感じる。
もしかしたら受講を続けていればクンダリニーが上がったり、
何か超能力が開いて、仕事がうまくいったり、独立開業して
お金持ちになれるんじゃないか?
でも、気功自体には興味は無いし、トレーニングをサボって
いるから目立った効果もない。
お金も使いたくないから、とりあえず縁が切れない程度の間隔で
2ヶ月に1回くらい受講していればいいんだろうな。
なんて甘いこと考えているのが手に取るようにわかるんです。」
劇団 「で、CSさんはどうするんですか?」
CS 「しばらく様子を見て変わる可能性が無い人間には、
もう、これ以上続けてもしょうがないから指導を中止します。
と伝えます。」
「実際にそういう人間が神秘行を続けたって効果も出ないし、
現実が良くなるわけがない。」
劇団 「で、中止になった人はどうなるんですか?」
CS 「そういうタイプには自分自身を客観的に見る能力が欠如していますから、
CSにいきなり切られた。
あいつは冷たいヤツだ。
と不満に思うんでしょうね。」
劇団 「なるほど。」
CS 「そういう人はどんな優秀な師匠が付こうがアドバイスは一切聞かない。」
「我が強くて、他人のアドバイスの通りに行動するのが嫌でしょうがなくて
何か言われると必ず反発するんです。」
「人にものを教わる弟子としての素質が完全に欠如している。」
「といって、自分自身で努力と研究を重ねて道を開くだけの情熱と
頭の良さも持ち合わせていない。」
「そのくせ、
自分は周りの人たちと同じ人生は送りたくない。
仙人になる!
大周天で超能力を手に入れる!
と理想ばかり高いんです。」
「周囲の人達もそういう雰囲気に違和感を感じて近づかないし、
逆に離れて行くから仕事も恋愛も人生の全てがうまくいかない。」
「運良く神秘行で優れた指導者が現れても、そんな弟子としての人間性が
欠如している事に愛想を尽かされて、さっさと縁を切られるんです。」
「指導者の言うことには反発して言うことを聞かないくせに、自身の力で
闘う覚悟も能力も無いから、自分から受講を辞めることも出来ない。」
「わたしも指導を初めてから何年もそういう人間をたくさん見続けて、
高藤氏や気功の元師匠はこういう人たちを相手にして
苦労したんだろうな。
と最近ようやくわかりました。」
劇団 「で、どう思ったんですか?」
CS 「気づくの遅すぎでしたぁ!!」
つづく
※次回の記事更新日は1月20日になります。

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