(前回の関連記事は「ミリ単位の設定 」です。)
ミリ単位の設定(一本足打法編)
劇団 「前回の記事でCSさんは、
これはわたしの流派独自の知識なので詳しくは話せませんが、
指導開始時に受講者の身体にミリ単位で丹田を作る場所の
設定をするんです。
そして、そのミリ単位で設定した場所にあるエネルギーを利用して
丹田を作るんです。
その設定があるから、わたしのところで数年単位で真面目に
受講している人はクンダリニー(先天の気)で活性化した
丹田が出来るんです。
と書いていましたが、そんな細かい設定が必要なものなんですか?」
CS 「まぁ、別に必要ないですよ。」
劇団 「えっ、でもCSさんは実際にミリ単位で設定しているじゃないですか?」
CS 「それはわたしが明確なゴール地点を設定した体系を作っているから、
わたしの体系で受講する人には必要なんです。」
「わたしと無関係に行をしている人には全く設定は必要ないです。」
劇団 「どうも意味がよくわからないので説明してもらえませんが?」
CS 「劇団さんは王貞治の一本足打法って知ってますか?」
劇団 「王貞治って、868本のホームラン記録を持つ野球選手で、
巨人やソフトバンクの監督もしていましたよね。」
CS 「わたしが子供の頃、王貞治はメジャーリーグのハンク・アーロンの755本の
本塁打記録を抜いた『世界のホームラン王』として国民的ヒーローだったんです。」
劇団 「国民栄誉賞の受賞者第一号ですし、まさに『世界の王』ですね。」
CS 「その王貞治のホームラン記録の原動力となったのが、一本足打法と呼ばれる
彼のトレードマークとなった独特な打撃フォームなんです。」
※一本足打法
投手の投球フォームに合わせ、投手側の足を高く上げる。
その様子から「一本足打法」と呼ばれる。足を上げることによって、ボールを手元まで
引き付けたり、タイミングを取りやすくしたりすることを目的とした打法である。
上半身に頼らず、一本足の状態で体勢を崩さないことが必要であるため、
強靭な下半身とバランス感覚が要求される。
劇団 「独特なフォームですね。」
CS 「イチローの振り子打法のように、打球が来る数秒間足を上げる選手は
結構いたりしますが、王貞治の一本足打法は別名でフラミンゴ打法と
呼ばれたくらいの、完全な一本足の美しいフォームだったんです。」
「それが彼のストイックなイメージと相まって、爆発的な人気を獲得するに
至ったわけです。」
劇団 「王さんって、そんなにストイックな性格だったんですか?」
CS 「小学生のころに雑誌付録の野球ノートに書かれていた王選手のエピソードで、
暑い夏の日に冷たいものを飲むとお腹を壊すから、わたしは真夏でも
熱いお茶を飲みます。
と書かれていたのを読んで、
真夏にアイスを食べずに熱いお茶を飲むのか!
世界のホームラン王ってそこまで我慢するんだなぁ・・・。
注)当時はストイックという言葉を知らなかった
すげぇ!!
と感心したのを今でも憶えています。」
「まぁ、実際は冷えたリボピタンDをがぶ飲みしていたのかもしれませんが。」
劇団 「(笑)」
「でも、一本足打法と丹田の設定がどう関係するんですか?」
CS 「王選手って、もともと甲子園時代は投手だったんです。」
劇団 「世界のホームラン王が元はピッチャーだったんですか?」
CS 「若い人は知らないでしょうが、血豆の甲子園というエピソードが
あるくらいなんです。」
1940年に東京の本所区(現在の墨田区)で生まれた王貞治は、地元の中学から
早稲田実業高校へと進み、甲子園に春夏通算4度も出場。
2年時の1957(昭和32)年春の選抜大会を「4番・ピッチャー」として制している。
当時の出場校は20校、大会期間はわずか1週間で、なんと4日間4連投と今では
ありえないスケジュール。
左手にできていた血豆をつぶしてしまい、準決勝の久留米商業高校戦、
決勝の高知商業高校戦では“血染めのボール”を投げ続けての栄冠だった
(5ー3で優勝)。
劇団 「弱冠17歳の少年がチームの優勝のために弱音は一切吐かないで、
血豆を潰しながら4日間4連投を投げ抜いたんですね。」
CS「すごいですよねぇ。でも、そういう無理がたたったのかプロ野球に入ってからは
投手として通用しなくなっていたんです。」
劇団 「甲子園時代の無理なローテーションで肩を壊してプロで潰れていく
投手の話って今でもよく聞きます。」
CS 「そうして野手に転向した王選手が打撃の不振に悩んでいた時に、
川上監督が打撃コーチの荒川博に指導を任せたんです。」
不振時の王選手を見た荒川は、
「これだけ悪い打ち方でも(打ちにいく際に、手足の動きがバラバラで
不安定・一定でないため簡単にスイングを崩される)、打率2割7分
打ったこともあるのだから、やはり素質は素晴らしい」
と感じたという。
CS 「その後、荒川コーチの元で一本足打法を身につけるための
本格的な特訓が始まります。」
この時の練習の過酷さ、練習量を表すエピソードとして
「練習に使った部屋の畳が擦れて減り、ささくれ立った」
「練習の翌朝、顔を洗おうと、腕を動かそうとしたが動かなかった」
という話がある。
また、剣道家・羽賀準一のもとに弟子入りして居合を習うと共に、
日本刀による素振りの指導を受けた。
特に有名なエピソードとして、
「天井から吊り下げた糸の先に付けた紙を、日本刀で切る」
という練習があった。
これは一本足打法の弱点を克服させるためであった。
一本足打法は、投球のタイミングをずらされると通用しなくなるという
弱点があった。
そこで一本足で立って、巧妙な投球であっても対応できる訓練を王に課した。
これは、技術として日本刀で紙を切るほど打撃を研ぎ澄ませる、という以上に、
打席内での集中力を高めることで余計なことを考えないでいいように、という
精神鍛錬の目的もあった。
劇団 「野球の練習というよりは、昔の剣豪の武術の鍛錬みたいですね。」
CS 「当時の野球少年にとって王貞治は、宮本武蔵のような伝説の達人
レベルの存在だったんです。」
「ここで考えてほしいのですが、荒川コーチが果たした最も重要な役割って
何だと思います?」
劇団 「日本刀を使った練習など、いろいろな特訓を王選手にさせたことじゃ
ないですか?」
CS 「わたしから見るとそれはただの手段に過ぎません。」
劇団 「じゃあ、荒川コーチは何をしたんですか?」
CS 「それは設定をしたんです。」
劇団 「設定?」
CS 「そう、荒川コーチは指導をする前提として、理想的な一本足打法のフォームで
ホームランを打っている王選手の姿をイメージしたはずです。」
「それが設定です。」
劇団 「理想的なフォームをイメージすることが設定ですか?」
CS 「それはそうですよ。」
「例えば、フィギュアスケートの羽生選手って4回転ジャンプで
有名ですよね。」
劇団 「オリンピックで金メダルを取った一見なよっとしたお兄ちゃんですね。」
CS 「ここで、彼に4回転ジャンプを教えたコーチの指導法について考えると、
まず最初にコーチが行うことは頭の中でジャンプを成功させている
羽生選手をイメージすること。
次に実際にジャンプを試みて失敗した羽生選手のフォームを較べてみて、
(成功したイメージと一番かけ離れているのは回転するときの体軸が
ぶれる角度だな。)
と感じたとしたら、体軸がぶれないようにするための体幹トレーニングを
本人に行わせる。
さらに、
(体軸は大分ぶれなくなってきたけれど、次はジャンプした瞬間の高さが
足りない。)
と次の改善すべきポイントを見いだして
(大腿2頭筋、ハムストリングを鍛えるメニューを増やして高さが改善されるか
様子を見てみるか・・・。)
という流れで練習メニューを調整しながら、少しずつ4回転ジャンプに
成功しているフォームに近づけていく。」
「行き当たりばったりの練習では絶対にゴールに到達できません。」
劇団 「それはそうでしょうね。」
CS 「そうして試行錯誤を繰り返せば繰り返すほど、コーチの頭の中で
羽生選手が4回転ジャンプに成功しているイメージも微調整されて
リアルになってくるんです。」
「そして、コーチのイメージと実際の羽生選手のジャンプがぴたっと
一致した時に4回転ジャンプが出来るようになるんです。」
劇団 「確かに、最初の設定が無ければ具体的な指導は出来ませんね。」
CS 「でも、実際は設定なしに練習させているコーチってたくさんいます。」
劇団 「そういうものですか?」
CS 「中学の野球部の練習なんかはコーチが部室にやって来て、
(今日は腕立、腹筋、スクワットを30回ずつやって、グラウンド10周、
それから20分間キャッチボールしてノックを1人30本、素振り100回、
順番で練習投手が投げる球を1人30球ずつ打って、最後は柔軟して終わり。)
こんな感じなんじゃないですか?」
劇団 「ありそうですね。」
CS 「逆に、荒川コーチが一本足打法の特訓を王貞治にしたときのように、ID野球で
最も優れた野球理論と豊富な指導経験を併せ持つ野村克也氏を専属コーチとして
素質のありそうな1人の野球少年につけたとします。」
「すると、野村氏はその野球少年の守備や投球、打撃、走塁などの動きを
一通り見て、
うーん、この子は体つきや動きが稲葉に似ている。
打撃センスもありそうだし中距離打者に向いていそうだから、
この子の理想のフォームはこうだな・・・。
という感じで、頭の中にある何千人という打者達のデータの中から
その少年に最も適した理想の姿を設定するんです。」
「頭の中に理想の姿があるから、
スイングの時に、左肘の位置を5センチ落とした方がいい。
とかいう的確なアドバイスが出来るんです。」
「実際の少年の成長の様子を見ながら理想のフォームを微調整して
練習メニューも随時変えていけば、かなりのレベルの選手に成長
すると思います。」
劇団 「それはそうでしょう。」
CS 「でも、世の中のほとんどの人はとりあえず行動するんです。」
「野球を始めたから、とりあえず毎日素振りを100回する。
ダイエットしたいから、とりあえず炭水化物は全部取らない。
志望校に受かりたいから、とりあえず予備校に入る。
彼女が欲しいから、とりあえず合コンに出まくる。
大学を卒業するから、とりあえず大企業の面接を受けまくる。
会社を辞めることになったから、とりあえず人気のある資格を取る。」
「そこにはゴールとする明確な設定はありません。」
劇団 「でも大部分の人間は、とりあえずみんなと同じ事をやって生きてる
んじゃないですか?」
CS 「わたしも、大部分の人間はその生き方でいいと思います。」
「ただ、わたし自身は野村克也のようにはっきりした理論や設定が
なければ我慢できないタイプなんです。」
劇団 「これで最初の話と繋がってきましたね。」
CS 「わたしは今までの経験から、丹田、小周天、深部小周天、クンダリニー覚醒、
大周天など、さまざまな現象に対するわたし独自の定義づけ、指導の指針と
なる理論があるんです。」
「要するに、全てが1本の線で繋がっている。」
「ですから、丹田の設定もミリ単位で決める必要があるんです。」
「衛星の打ち上げと一緒で、決まった軌道に乗せるには発射地点もあらかじめ
固定する必要があるわけです。」
劇団 「じゃあ、最初にボクが
(そんな細かい設定が必要なものなんですか?)
と尋ねたらCSさんが
(まぁ、別に必要ないですよ。)
と答えたのは何故なんですか?」
CS 「一般的な気功法はけっこう緩いんですよ。
例えば大周天についても、
毎日、立禅をしていたら頭がスースーして、手をかざすと
圧力を感じるようになりました。
身体の中を何かが流れていて手足もスースーします。
気功の先生に聞いたら、
(それは天地の気と繋がった大周天です。)
と言われました。
なんて感じで流派によって違うんです。」
「これ↑で大周天なら別に細かい設定はいらなくて、普通に立禅や
太極拳をしていれば割と素質のいい人はこうなります。」
劇団 「CSさんは、要求するレベルが高いって事ですか?」
CS 「高いっていうよりも、こだわりが多いんです。」
「気功や仙道をする人の大部分は高藤本やスピリチュアル本を読んで、
何となく、気功をするとお金持ちになったり異性にモテるのかなぁ?
神秘体験して悩みが消えるのかなぁ?
と考えて、
何となく、本に書かれたいろいろな呼吸法や太極拳、禁欲、菜食主義を
したりして、
(目的は何なの?)と聞かれたら、
言葉の意味ははっきりわからないけど、
何となく『クンダリニー覚醒です』 『大周天を目指してます。』『仙人になる。』
とか答えて、
何となく、いろいろな教室やセミナーに行って伝授を受けたりする。」
「だから、細かい設定は必要ないんです。」
劇団 「細かい設定がある流派は皆無なんですか?」
CS 「そんなことは無いです。 そこそこの流派によって違うと思います。」
「個人レベルでも、設定している気功家もいれば
設定無しで緩くやっている人もいるでしょう。」
「ただ、わたしは
(みんな自己責任で好きなように生きればいい。)
と考えていて、いろいろな人たちを観察しているのが好きですから
余計な口出しは一切しないんです。」
「前回の記事にも書きましたが、世直しにも、人助けにも、世間に気功を
広めることにも一切興味ないですから。」
劇団 「じゃあ、何をしているんですか?」
CS 「前回の記事を書いた後、何となく考えたのですがニッチな行為ですね。」
劇団 「(ニッチ=隙間、棲み分け)ですか?」
CS 「自分の生活範囲の中で、
・人には出来るだけ迷惑をかけない。
・礼儀正しい人間には礼儀正しく、そうでない人間には
最低限のマナーで応える。
・受けた恩は10倍返し。
・売られたケンカは100倍返し。
という個人の主義を貫きながらも、神秘行というマニアックな技術を
細かい設定付きで指導するというニッチな行為が年月を経る毎に
さらにディープな方向に深化している。」
「年月を経て経験を重ね、波動に関する知識と能力が深まれば深まるほど
波動の設定は更に細かくなる。」
「するとそれは更なる他者との差別化を生み、わたし個人の知識と能力が
生み出す究極のニッチな神秘行体系がミリ単位の精度で発展していくんです。」
劇団 「王貞治が、普通の野球選手の領域を逸脱した練習で一本足打法という
ニッチな打撃スタイルを身につけ、それをさらに深化させながらホームラン記録を
打ち立てたことで、球界唯一無二の存在になったようなものでしょうか。」
CS 「その一方で美味しいワインや料理を味わいながら、元師匠の気功ナンパの
ように好みの女性に声かけしたり、興味のある分野の本を読んだり、
術能力について考えています。」
劇団 「ニッチかつ自己完結している生活ですね。」
CS 「仙道研究家 高藤聡一郎氏が『超個人主義者=仙人』と書いて
いたのですが、何となくその意味がわかってきました。」
「わたし自身は昔から、(仙人なんて辛気くさいなぁ。)と思っていて
仙人を目指している気は全くなかったのですが、
『超個人主義者=仙人』と考えると、ニッチかつ自己完結した生活を
送っているわたしは、自分の思いとは裏腹に徐々に仙人に近づいて
いるのかも知れません。」
劇団 「やはり、人生はパラドキシカル・・・。」
※次回の記事更新日は11月20日になります。
