(前回の関連記事は「ミリ単位の設定(一本足打法編) 」です。)
ただ修行をしただけ
劇団 「前回の記事でCSさんは、
王貞治の一本足打法や4回転ジャンプなど難易度の高い技術を選手が
身につけるためには、
選手がその技術を成功している明確な設定(イメージ)が必要であり、
その設定を行うことがコーチが果たす最も重要な役割だ。
と言っていましたね。」
CS 「ハイ、そうです。」
「そして、前回わたしが話したコーチの逸話にはある重要な
前提要素があります。」
劇団 「前提要素って何ですか?」
CS 「それは、そもそもコーチが目の前の選手が成功しているイメージを
描くことが出来るかということです。」
劇団 「えっ、指導する前にコーチは必ずイメージするんじゃないですか?」
CS 「どんな選手でもイメージできるわけじゃ無いんです。」
「例えば、荒川博コーチは打撃不振に苦しんでいた頃の王選手の
プレーを見て、
これだけ悪い打ち方でも(打ちにいく際に、手足の動きがバラバラで
不安定・一定でないため簡単にスイングを崩される)、
打率2割7分打ったこともあるのだから、やはり素質は素晴らしい
と非凡な才能を感じました。」
「要するに、
こいつは鍛えればモノになる!!
と肌で感じた。」
「だから、本腰を入れてマンツーマンでの指導を引き受けたわけです。」
劇団 「それで一本足打法をイメージできたと・・・。」
CS 「更に細かく説明しますと、
最初、荒川コーチは王選手の『バックスイングに入る始動が遅い。』
という弱点を修正するためにいくつかの打撃フォームを試した
うちの1つが一本足打法だったのですが、
やはり相性なのでしょうか、試合で一本足を試したときにたまたま
ヒットが出て調子が上がり1ヶ月でホームランが10本出るようになり、
それがきっかけで 荒川コーチと王選手の両者は本格的に一本足打法の
完成に取り組み始めたそうです。」
劇団 「という事は、荒川コーチは王選手がぶっつけ本番の一本足で本塁打を
打ったときのフォームを元に、更に完成度を高めた理想の一歩足打法の
設定を頭の中でイメージしたわけですね。」
CS 「(これはイケる!!) と感じたんでしょうね。」
「後年、荒川コーチは
『あの日ヒットが出なかったら一本足打法は止めさせていた』
と語っていたそうです。」
劇団 「ほんのちょっとしたきっかけが大成功のもとになるんですね。」
CS 「ただ、その大成功も荒川コーチが最初に王選手のプレーを見たときに、
あぁ、こいつからは何の才能も何も感じない。
早く野球を辞めさせて違う道に行かせた方が本人のためだ。
と感じたら、一切手助けはしなかったと思います。」
「そもそも、王選手が成功しているイメージをする気にもならなかった。」
「最初から設定自体をしなかったわけです。」
劇団 「そうか、一定の基準をクリアーしないと、コーチは設定(=成功のイメージ)を
する気にもならないんですね。」
CS 「する気にもならないというか、
どうやっても成功しているイメージが浮かんで来ないんでしょうね。」
「例えば、少年野球や中高の部活、社会人を含めた野球の競技人口は
一説では800万人いるそうですが、そこまで行かない人が99.99%
なのではないでしょうか。」
劇団 「確かにそうですよね。」
「ドラフト最下位でも巨人に入団できた選手って、競技人口全体から見たら
ものすごい倍率を勝ち抜いたエリートなんでしょうけど、
その新人達の中でも、最初からたいしてコーチに期待もされず
構ってももらえない選手は確実にいるんでしょう。」
CS 「そう考えると、野球の神様の川上監督にじきじきに荒川コーチをつけて
もらった王選手って超エリートなんです。」
「でも、その王選手でも一本足でたまたま打ったヒットが出なければ、
選手生命が断たれていたかも知れません。」
劇団 「シビアですよねぇ~。」
CS 「だから、わたしがこのブログで何度も言っているように、
この世の中は情け容赦ない非情な世界なんです。」
「特にプロスポーツ選手やオリンピックを目指している人は
自分の素質と性格、周囲の状況をよく理解した上で
人生設計をしないと、
気づいたときはプロとしては食べていけず、普通の仕事を
するためのスキルも学歴も無く、身体は長年の競技で故障を
抱えて普通の仕事も満足に出来ない。
というお先真っ暗の状況に陥ることがありますから気をつけないと
いけませんね。」
劇団 「たまにTVで、
〈元●●の選手がコンビニ強盗で捕まりました。〉
なんてニュースを見かけます。」
CS 「でも、スポーツ選手はまだ恵まれていると思うんですよ。」
劇団 「どこが恵まれているんですか?」
CS 「客観的に自分の立ち位置が分かるじゃないですか。」
「スポーツには必ずルールがあり、それに則った大会が
アマチュアからプロまで様々なレベルで開かれます。」
「ですから、それに出場して自分の実力を試し続けていけば
自分の素質やその競技に対する適正をある程度は把握
出来るんです。」
劇団 「それが恵まれているということですか。」
CS 「そう、見切りをつけられますから。」
「例えば、
オレはプロとしてはやっていけないけど、何か仕事をしながら
休日にアマチュアのチームで練習して大会に出ながら自分なりに
レベルアップしていきたい。
わたしは選手にはあまり向いていないけど、後輩の面倒を見たり、
人に技術を教えるのは好きだから、教員の資格を取って指導者として
やっていきたい。
全く自分はスポーツには向いていないから、就職して仕事で頑張ろう!
など、早めに見切りをつければ充実した人生を送れますからね。」
劇団 「見切りをつけるって重要なんですね。」
CS 「逆に、見切りをつけられない分野にヘタに首を突っ込むと、
人生ドツボに嵌まります。」
劇団 「それはどんな分野ですか?」
CS 「アート、俳優・歌手などの芸能関係、伝統武術、神秘行でしょうね。」
「アートはゴッホやエリック・サティみたいに死後100年近く経ってから
評価されたり、
俳優業もモーガン・フーリマンみたいに年をとってからブレイクする
ことがありますから、成功・不成功の見極めが難しいです。」
劇団 「なるほど。」
CS 「それでもアートはコンクールがあったり、芸能関係は実際に
売れたり売れなかったりなど客観的な評価基準があります。」
「一方、伝統武術と神秘行は閉鎖的かつ自己完結している
世界ですから客観的に評価する基準がほぼ無いんです。」
「まぁ、そこが観察していて非常に楽しめる点なのですが。」
劇団 「CSさんは以前から、
伝統武術(特に中国武術)と神秘行の世界には親和性がある。
と記事でも書いていましたね。」
CS 「客観的な価値基準がないということは、
オレは発剄でヘビー級のプロボクサーを一発で倒せる
中国拳法の達人だ。
自分はクンダリニー覚醒によりあらゆる万病を治し、どんな人でも
一瞬で大周天まで導ける、真の悟りに至った覚者です。
○○のマントラを唱えると宝くじが当たりますぞ。みんな救われますぞ。
などと自己申告で何を言っても許される世界なんです。」
「そして、そんな話が書かれている書籍やサイトを読んでいるうちに、
どんどん幻想と妄想を膨らませるタイプの人がいるんです。」
「確かに伝統武術や神秘行にも優れた点はありますし、ある程度の
常識を越えた能力やスキルも存在するのですが、
それはある程度の基礎能力を備えた人間が、地道な長い努力の
結果として手に入れるものだとわたしは考えています。」
劇団 「その事を伝えるのが、このブログの趣旨の1つですよね。」
CS 「ここで話は荒川コーチと王選手の話に戻りますが、
わたしもそれなりに多くの指導を重ねてきたことにより
波動に接した瞬間で、
あぁ、わたしの指導でこの人が神秘行で上達するのは無理!!
と感じるようになったんです。」
劇団 「ミリ単位の設定どころか、成功しているイメージが一切浮かんで
こないんですね。」
CS 「ここで断っておきますが、以下に書く内容はわたし個人の意見であって、
これが絶対的に100%正しいと言うつもりはありません。」
「世の中には本当に神のような力を持った何でも出来る奇跡の人がいて、
どんな人でもアーチュメントで一瞬で大周天やクンダリニー覚醒に導いて、
超能力使いたい放題で宝くじとか当てて遊びながら楽して暮らせるように
してくれるのかも知れません。」
「ですから、以下の文章を読んでムッとした方は、
(あぁ、こんなCSなんてヤツが言っていることは嘘っぱちだ!!)
(オレを導く仙人や超能力者は必ずいるはずだ!!)
と考えた上で、このブログは2度と読まないで自己責任で神のような力を
持った奇跡の人をお捜しになることを薦めます。」
劇団 「ずいぶん前置きが長いですね。」
CS 「わたしとしては、神秘行をやればやるほど現実が不幸になる人たちを
見てきて、
(スポーツと同じでサッサと神秘行に見切りをつけた方が人生を
楽しく暮らせるのになぁ。)
という基本的に善意の感情でたまにこういう記事を書いているのですが、
わたしの意図とは反対に、記事を読んでひどく落ち込んでしまったり、
逆ギレする読者がいるようなんです。」
劇団 「余計なお世話って事なんでしょうか?」
CS 「まぁ、そうなんでしょうね。」
「わたしが20代の頃に、同じ職場にバンド活動しながら働いている人がいて
プロデビューを目指して退職したんです。」
「その人は送別会で、
オレはバンドを続けて浮浪者になっても絶対に後悔しない!
と話していたのが印象的でした。」
劇団 「で、どうなったんですか?」
CS 「それから数年後にプロデビューしてアルバム発売のインタビューや
MTVを深夜の音楽番組で見ました。」
劇団 「スゴイじゃないですか。」
CS 「でも結局、バンドは解散してしまって全く見かけなくなったんです。」
「それが1年ほど前でしょうか、たまたまインディーズのサイトを見ていたら、
彼がライブで演奏している画像がありました。」
劇団 「まだ続けていたんですね。」
CS 「あちこちのバンドのライブやレコーディングの助っ人みたいな感じで
やっているようでした。」
劇団 「でも、40代でその生活じゃ大変じゃないですか?」
CS 「経済的には苦しいんでしょうけど、画像の本人からは情熱的な
波動を感じました。」
「彼は後悔はしていないし、今でも音楽に情熱を傾けているんです。」
劇団 「それって幸せなんでしょうか?」
CS 「わたしは波動的観点から人生で重要なのは、
本人がどれだけ強烈なエネルギーを発して生きられるか
だと考えています。」
「そして、エネルギーを生み出すのは情熱であり、その元となるのは
本人の強い覚悟。」
「彼が情熱を感じて生きているのなら、それで幸せなんですよ。」
劇団 「それがCSさんの基本的な考えなんですね。」
CS 「劇団さんは、芸術家の岡本太郎って知っていますか?」
劇団 「芸術は爆発だ!!の人ですね。」
CS 「わたしから見ると、彼は一流の霊能者と言えるほどの
波動情報を読み取る能力があったんです。」
劇団 「えっ、そうなんですか!?」
CS 「私見ですが、
彼は波動感覚とインスピレーションで得た情報を優れた
論理的思考能力で顕在化して処理した結果として
芸術作品を創造する。
という希有な能力を持った人物だったんです。」
「ある意味、わたしの理想とする人物です。」
劇団 「それは意外でした。」
CS 「その彼の言行録で、
いま、この瞬間。
まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、
全存在で爆発する。
それがすべてだ。
という言葉があるのですが、
これがわたしが考える神秘行の本質に最も近い言葉です。」
(個人的に岡本氏の絵画はあまり好きじゃないけど、
彫刻はすごく感じるものがあります。↓)
劇団 「神秘行の本質ですか・・・。」
CS 「この言葉を真の意味で理解出来ない人間は、いくら呼吸法や
いろいろな行を続けても、
ただ修行をしただけ
で終わるんでしょうね。」
劇団 「〈神秘行〉と、〈ただの修行〉は違うんですね。」
CS 「それはさておき、わたしは神秘行や中国武術に嵌まったけれど
全く結果が出ず人生を棒に振っても、
それでも本人が情熱的に生きて満足していれば、それでいいと
思うんです。」
「問題なのはうまくいかずに、
『お金がなくて苦しい。』 『孤独で寂しい。』 『誰か助けて下さい。』
などと泣き言ばっかり言っている人がいる事で、
そういう様子を見ていると
(この人はもう、すっぱり諦めた方がいいんじゃない?)
と思ったりするのですが、そういう人に限ってしがみつくんですよ。」
劇団 「泣き言はだめなんでしょうか?」
CS 「泣き言が出るということは、
自分の行為の全てを自己責任として
受け入れる覚悟がない。
覚悟がない人間には情熱が生じない。
情熱が生じないということはエネルギーが空っぽなんです。」
「エネルギーがからっぽな人間が神秘行を続けて結果が出るわけがない。」
「武術も上達するわけがない。」
「仕事だろうが、恋愛だろうが、芸術だろうが、それにかける
本人の情熱とエネルギーに周囲の人間が惹きつけられるから
状況が好転して行くんです。」
「しかし、覚悟も情熱もエネルギーも無い人間は状況は好転しないし、
現実と向き合ってすっぱり諦める精神力も無い。」
「ただ、、だらだら泣き言を言いながら
(自分は夢だけは絶対に捨てません。)
としがみつき貴重な時間を浪費して人生を終えるんです。」
劇団 「そして、CSさんの記事を読んで、落ち込んだり、逆ギレする。」
CS 「本人の人生ですからどう生きようがその人の勝手ですし、
わたしがとやかくいう事じゃないです。」
「まぁ、そういう泣き言もすべり芸みたいに名人レベルまで高められて
読んでいてすごく面白くて、ブログ更新を毎回わくわく楽しみにして
いるような人もいますしね。」
劇団 「実は、その人の泣き言を読むのが楽しくてしょうがないと。」
CS 「このブログは画面の上部に、
COSMIC SHAMANが、気功・仙道、神秘行に対する考察を
述べるブログです。
と書いている通りに、わたしなりの考察を記事にしているだけですから
他人の生き方に口を挟むものではないんです。」
劇団 「実は、泣き言を止めて欲しくないんですね。」
CS 「そう、
当人が満足なら、いいことだ。
という言葉もありますしね。」
劇団 「それも岡本太郎の言葉ですか?」
CS 「いえ、この人の言葉です。↓」
※次回の記事更新日は12月1日になります。

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