つかこうへい追悼シリーズ第11弾
『二代目はクリスチャン』
あゆの曲の歌詞に「幸せの基準はいつも自分のモノサシで決めてきたから」というのがある。
そんなこと、わざわざ教えてもらうまでもない。
幸せかどうかなんて判断は、自分自身にしか下しようがない。
ただ、それとは別に、他人の目から見ても、「あの人、幸せそう」っていうのはある。
本人が幸せと感じているかどうかはともかく、幸せなんだろうなあと想像するとか。
あるいは、本人の基準はともかく、私の基準ではあの人は幸せなはず、とか、そういうやつ。
それで行くと、宗教の力で幸せそうになった人の話しというのは、ついぞ聞いたことがない。
ニュースで流れるのも、宗教のために紛争が勃発したり、宗教のためにテロに走ったり、宗教のために壷を売りつけられたり。
宗教が原因の不幸な話ばかり。
人間の文明が宗教を手にして以来、宗教で幸せになった人と宗教で不幸になった人、いったいどっちが多いんだろうか。
まあ、自分の信じる神のために命を捧げることを幸せだなんて言われちゃったら、返す言葉なんか何もないんだけどね。