歴史用語の基礎(第10回:「皇別」「神別」「諸蕃」) | Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

・歴史旅行記や言葉(日本語・フランス語・ドイツ語など)へのこだわりや検定・歴史散策などの実践録を書き綴ろうと考えています!    
                      
<本記事を引用された場合、その旨を御連絡頂けると有り難いです。>

本日2度目の更新です。


今回は7/28の記事「皇太子制」と「大兄制」の後編http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10602952008.html 以来の歴史用語の基礎。次回以降の歴史談義に必要なので、簡単に纏めたいと考えています。


なぜその様な説明の必要があるのかは、その回になると分かります。

なにしろ、「その一族」は古代から戦国・幕末に至るまで日本史に大きな影響を及ぼしたのですから・・・


では本題に。

日本において古代の氏族を分類する際に、その出自によって分類がなされていました。


それは、平安初期の弘仁6年(815年)に嵯峨天皇(字の上手な天皇として有名)により選定された新撰姓氏録によれば


①「皇別」・・・天皇の子孫で臣籍降下している一門。

橘(第30代敏達天皇末裔)、清原(第40代天武天皇末裔)などが有名。


②「神別」・・・皇別以外の神(天津神・国津神)の子孫。

中臣・藤原(天児屋命=アメノコヤネノミコト末裔)が有名。


③「諸蕃」・・・渡来人系。

秦(はた)・東漢(やまとのあや)などが有名。


の3分類です。


日本史で学ばれた人も多いかと思いますが、律令体制以前の豪族社会においては

蘇我臣などの「臣(おみ)」の姓(かばね)を有するのは皇別氏族(蘇我氏は記紀8代目孝元天皇末裔という)

物部連などの「連(むらじ)」の姓(かばね)を有するのは神別氏族

というパターンが大抵でした。


蘇我馬子は大臣(おおおみ)でしたが、なぜ「おおおみ」という読みかは分かりますね。


これらの分類は律令体制の確立以前には極めて重要だったのです。