山上談義(第8回:中国・日本で「戦国時代」の考え方が違う。) | Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

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第7回「信長が戦国時代を終わらせたというが」http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10627156036.html の続きです。


留学生D「信長が死んだときでも戦国時代は終わっていませーん!」


H「しかし、信長は前政権である室町幕府を倒しています。将軍義昭は生きていましたが、形式だけの亡命政権です。中国の戦国時代も、秦が周王朝を倒して戦国時代が終わったのでは?」


D「それは違いまーす。周が倒れても(前256年)終わらず、秦が戦国の他の七雄(楚・斉・燕・趙・魏・韓全てを倒して天下を統一した時点(前221年)で戦国時代が終わりでーす。


H「なんと!日本と中国では同じ様に『戦国時代』と呼びますし、中国では『周王朝の弱体化による諸侯の台頭』であって、日本でも『室町幕府の弱体化による諸侯の台頭』という図式でしたので、元凶(中国での周王朝、日本での室町幕府)が無くなれば終わりと思いこんでいました!」


D「あの~戦国の七雄は『王』で諸侯ではないのです。」


H「そうでしたね。春秋時代というのが戦国時代の前に有ってその頃は諸侯。それらが戦国時代に『王』を名乗って周王朝そっちのけで覇権を争ったという訳でしたね。」


D「大体そーうですが、戦国の初期は『公』が『王』を名乗る過渡期になります。」


H「まてよ・・・周も王、その周りも王国なんですか。それでは周が無くなってもいくつも中華の地に王国が有ると。」


D「だからー戦国なのです。」


H「日本の場合は戦『国』と言っても諸侯、すなわち大名が王を名乗る訳でも将軍を名乗る訳でも無かったのです。」


D「私の考えでは、それでは戦国というよりもー中国の春秋に近いかもしれません。」


H「混乱期である事には変わりは有りませんが・・・日本の戦国時代という『名称』はあくまでも室町体制の『枠組み』内だったのですね。だから信長に室町将軍が追われて終わった。でも・・・」


D「中国にとっては『戦国』は実質だったーのです。」


H「なるほど。それに沿えば、日本で実質的に戦国『状態』を終わらせたのは天下を統一した豊臣秀吉という事になりますね。」


D「それならー納得です。」