学校教育における結婚・恋愛教育 導入の勧め | MATTのブログ ~ 政治・経済・国際ニュース評論、古代史、言語史など ~

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元新聞記者。 アメリカと日本を中心にニュース分析などを執筆します。


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少子化を食い止めることは、今や日本のきわめて優先度の高い政策課題に浮上しています。人類の歴史上、各民族の興亡は、人口増加率の差が決めてきたという面が大いにあります。人口が減少すれば、社会保障制度は破綻し、経済規模は縮小し、世界での存在感が薄くなるだけでなく、日本民族自体も衰退するということです。


しかも、現在、政府が目指しているのは、人口を増やすというより、減少のスピードを落とし、50年後になんとか人口1億人を維持するという、控え目でありながらも非常にむずかしい課題です。




政府はすでに少子化対策として、保育園の充実や出産祝い金、子供手当、育児休暇制度の整備など、さまざまな施策を打ち出していることと思いますが、どうもそれらの実効性について、いま一つ確証が持てない気がしてしまいます。




そこで今日、提案したいのは、学校教育が少子化問題にもっと貢献できるはずではないのかということです。それには、いくつかの重要な問題を自ら考えさせるきっかけを与えることが重要だと思います。


教える学校のレベルとしては、おそらく高校あたりでしょう。私の考えでは、予算的にはほとんどかからない(教えられる先生を確保するだけ)うえに、抜群の効果が上がる極めつけの策だと思います。




まずは、人間はなぜ、なんのために結婚するのかと言う問題。愛する人と人生を豊かに生きるため。家族がいないと寂しいから。生活を安定させるため。子供をつくり、子孫を残すため。種の保存のため。助け合って生きていく基本単位だから。正しい答えなどありません。けれども、考えさせることが重要です。「結婚するかどうかは個人の自由だから、結婚する義務はない」という考えもありです。また、結婚相手はどうやって見つけるべきなのか。結婚は男と女じゃないと駄目なのか、同性では成り立たないのか、という問題を考えさせてもよいでしょう。




次に、なぜ恋愛をするのかという問題です。自然の摂理? それとも結婚相手を見つけるため? 子孫を残すため? 一人では寂しいから? それとも運命? 人間はドラマチックなことに惹かれるから? これも「個人の自由だから、恋愛する義務はない」との考え方があってもよいでしょう。また、結婚は恋愛した相手とするべきなのか、結婚と恋愛は別なのか。




さらに、恋愛したいけど、相手が見つからない場合、恋愛に上手く成功しない場合はどうしたらよいのか。これだって、正しい答えなどないかもしれません。出会いのある場所に自ら出向いていく。積極的に話しかける。自らを省みて、好かれる努力をする。合コン、街コンに参加する。結婚紹介所に登録する。無理に努力するより、自然の成り行きに任せるべきだ、とか。それから、異性に好かれるためには一体どうしたらよいのか。考えさせていけば、いくつかのオプョンが必ず出てくるはずです。




それから、結婚生活を成功させるには、何が必要なのかという問題。相手への愛情がいちばん必要なのか。優しさや思いやりか。経済的な基盤はどうか。結婚生活が成り立つためには、二人合わせてどの程度の年収があれば良いのか。毎月どれくらいのお金がかかるのか。子供が出来たらどうなのか。結婚したくても収入が足りないときはどうしたらよいのか。給料の高い職業・会社に転職すべきなのか。上級学校に行くべきなのか。収入の高い結婚相手を見つけるべきなのか。親に頼ればいいのか。結婚は好きな人と一緒にいたいからするものなので、そんなことまで考えるべきではない、という考えもあるかもしれません。


それから、愛情が続かなくなったら、信義上の大きな問題が発生したら、どうしたらよいのか。離婚すべきなのか。子供がいても、離婚するのは親の自由なのか・・・。




子供をつくり、育てることをどう考えるか、という問題もあります。人間はなぜ子供をつくるのか。子育てには具体的にどんな仕事があるのか。子供を育てることは親の義務なのか、社会の義務なのか。子供を育てる良い面と大変な面は何か。子育ての負担を減らすにはどうしたら良いのか。


高齢出産をどう考えるかというむずかしい問題も、取り上げてみてもよいのではないでしょうか。何歳からが高齢出産なのか。高齢出産の母体及び新生児への影響が科学的にどう言われているのかは、重要な事実ですから教えるべきでしょう。晩産化が不妊や死産、新生児の知的障害・先天異常などの増加の原因になっていることも、重要な科学的示唆といえるでしょう。リスクを承知したうえで、リスクを取って出産するかどうかは、そのカップルが決めるべきことだ、とか。



もう一つ、養子縁組をどう考えるか。子供がつくりたいのにできないカップルがたくさんいる一方で、さまざまな事情から施設で里親が現れるのを待っている子供たちも多くいます。子供がほしい場合、それも一つの有力なオプションなんじゃないのか、とか。これからは同性婚のカップルも増えていくでしょう。




さらに、人口問題をどう考えるかという点も大事です。地球上では人口が引き続き増え続けており、食料問題やエネルギー問題に直結していますが、これをどうすべきなのか。日本人の人口は急速に減り始めているが、これをどう考えるか、肯定するのか、再び増やす努力をすべきなのかという問題。人口が減り続ければ、最後には日本民族は絶滅しますね。それでもいいのかという問題です。もちろん、個々人の選択の結果、そうなるのであれば、それでもいいんじゃないか、という考え方があって良いでしょう。でも、そういったことを考えさせる時間が必要なのではないか、ということです。


18世紀にマルサスの人口論が登場し、人口爆発が人類に及ぼす危険が指摘されましたが、今度はその反対のことを考えるわけです。




かつては、人は放っておいても勝手に恋愛をして、勝手に結婚をするものでしたが、今は、これらのテーマを学校で教えたほうが良い時代になったと思います。科目の名称としては、たとえば「結婚学」「結婚・恋愛学」でしょうか。


生徒たちが、子供を産み、育てにくい社会のあり方について関心を持てば、必然的に政治にも興味がわいてくるでしょう。そうなれば選挙権を持ったときの投票率も上がるであろうという素晴らしい副次的効果もついてきます。


これだけのことを一方的に教え込むのではなく、さまざまな実例を見せ、自分たちに考えさせるだけで、日本人の出生率は確実に上向くのではないかと思いますが、どうでしょうか。