そろそろ教員採用資格を修士卒に引き上げてはどうか | MATTのブログ ~ 政治・経済・国際ニュース評論、古代史、言語史など ~

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元新聞記者。 アメリカと日本を中心にニュース分析などを執筆します。




教員


教員をめぐる質の低下や不適格な人物の採用などの問題が語られて久しい。これらの問題は、採用の方法などさまざまな原因が考えられるだろうが、人に教えるための実技訓練と専門知識、あるいは教職を志す学生に自分自身の見極めが不足していることが大きいように思われる。

そこで、多くの保護者の学歴が大卒で占められるようになった現在、そろそろ小中高の教員採用資格を大学院修士卒に引き上げても良いのではないだろうか。とくに実技教育を中心とした教職大学院があるのだから、それを必須条件とするのが理想的だ。

「いくら学歴をつんでも、良い先生が育つわけではない」という人もいるかもしれない。しかし、教職大学院は良い先生を育てるための学校であるはずだ。もし育てることができないのであれば、そもそも教職大学院の存在意義がないことになる。


もう一点、考えなくてはならない点がある。人に尊敬されるべき職業である教員は、最低限、知識・教養のある程度の優越がなければ務めを果たすのがむずかしいと思われる。せめて知識的な裏付けぐらいはないと、とくに人生経験も浅い若い教員は頼りなく見え(実際に頼りない先生も多いが)、自信を持って高学歴や口達者な保護者たちと渡り合うのは困難ではないのだろうか。

なんでも米国のやり方が良いわけではないが、米国では普通の公立高校や中学であっても、教員の多くを修士卒が占め、高校教員の中には博士取得者もいたりしてびっくりする。教員は人格ももちろん重要ではあるが、基本的には知識を教えるのが仕事だから、低学歴より高学歴のほうが良いに決まっている。

新卒だけでなく、現在の教員にも(義務ではないにしても)、夜間の教職大学院への通学や休職しての通学を大いに支援したほうがよいと思われる。


その関連で言うと、幼稚園教諭が短大や保育専門学校卒でもなれる現状についても、大卒を資格条件に変えたほうが良い。「大卒でなくても良い」という言い方があるとすれば、「幼稚園教諭にそれほどの専門性は要らない」と言っているのと同じことになる。しかし、幼児期の教育の重要性がますます指摘されているいま、「専門性はなくてもいい」とはまったく言っていられない。この分野にこそ、専門性が持ち込まれる必要があるのではないだろうか。6歳からでなく5歳から学習を開始するという案も近年、現実味を帯びてきている。

四年制大学のうち延びた2年間は、こちらも「教えるための技術」(実技)と「教えるための知識」をみっちりやってもらえばよい。

また、幼稚園教諭や保育士の仕事が大変なうえ、待遇がよくないため、成り手が少なくなっているという問題がある。「低学歴でもなれる」という考えは「さほどの専門性がない」、つまり「給与は安くて良い」ということになり、結果的に自治体にとっての教育(福祉)支出を抑える役割を担っている。

現代は、どんな産業においても、ますます「人が資源」であり、どのような教育を受けるかが問われる時代になってきている。教育の重要性を鑑みると、「安い労働力を使って支出を抑制」などと言っている時代ではないと思われる。