部下の「了解です」を失礼に感じる人がいるのはなぜだろうか | MATTのブログ ~ 政治・経済・国際ニュース評論、古代史、言語史など ~

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元新聞記者。 アメリカと日本を中心にニュース分析などを執筆します。


了解です


 

 上司に対する「了解です」という返答が失礼に当たるのかどうか、このところしきりと議論されているようです。私も「了解」という言葉は時々使っていますので、少しばかり考えてみました。




 「了解」の意味は、大辞林によると、「事情を思いやって納得すること。理解すること。のみこむこと」です。この言葉自体に、「尊大」を示す意味や「目上の人が目下の人に使う言葉」という付属的な意味合いはありません。まあ普通の漢語ですから、単に「納得して理解すること」という意味しかないのです。




 それでは、上司が部下から「了解です」と言われたとき、不快に思う人が存在する(ムカつくと回答した割合は10%:「しらべえ」編集部調べ )のは、いったいなぜなのでしょうか。(まあ90%というほとんどの上司は失礼とは思っていないので、一部の上司だけの反応なのですが。)


 一つには、漢語である「了解」という言葉に「です」しか付けずに使われているためでしょう。同じ漢語の「感謝」という言葉に「です」だけ付けて「感謝です」と部下が上司に言ったら、ぶっきらぼうな感じに聞こえ、やはり失礼に思われる可能性があるでしょう。「納得です」も、「理解です」も、「承知です」も、「終了です」も、「開始です」も、みな同様です。部下が上司に使うと失礼に聞こえる恐れがあります。

 


 ところが、日本語が便利なのは、「する」という動詞を加えたり、謙譲語にすることによって丁寧さの度合いを変えることができるわけです。「了解しました」と言えば少し丁寧になりますし、「了解いたしました」と言えばかなり丁寧に聞こえます。「了解いたしました」と言われて不快に思う上司はまずいないのではないでしょうか。上司ではなく顧客に使ったとしても、「了解いたしました」であれば、失礼に思われることはないだろうと思います。部下が上司に使うときは、(社風やどんな人かにもよりますが、)「しました」か「いたしました」をつけたほうが無難ですね。



 つまり私の見るところ、問題の所在は、「了解」という漢語にあるのではなく、漢語に動詞を加えず、「です」だけで済ませてしまう表現が簡略すぎて聞こえてしまうということにあります。文法的に決して間違いではないし、「です」という丁寧語の助詞もついているのですが、それでも「丁寧度が足りない」「ぶっきらぼうだ」と感じる人がいるということなのでしょう。

もう一つの補強的な推論があります。「了解」というちょっとこむずかしい印象のある漢語が、時代の推移とともによりなじみやすい「分かりました」に収れんされ、若い世代の人々が(年輩の人々に比べて)あまり使わなくなってきたということがあるのでしょう。その結果、この言葉はもっぱら「目上の人が目下の人に向かって使う言葉」との印象がついてしまったのではないでしょうか。「大抵は年輩の人が使っている言葉」→「若い人が使うと(聞きなれないものだから)偉そうに見える」と、そういう因果関係もあるのではないかと思います。