★1958年 リンカーン コンチネンタル マークⅢ 恐竜 ~ 自動車カタログ棚から 206 | ポルシェ356Aカレラ

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年が明けたと思ったら、あっという間に1月が終わりもう2月ですね。
自動車に関するニュースと言えば、トヨタが世界の自動車メーカーとして初めて年産1000万台を超えたこと(但し国内生産は減少)と1976年のF1を舞台にジェームス・ハントとニキ・ラウダという2人の天才レーサーを描いた映画「ラッシュ/プライドと友情」の公開(2月1日より先行上映)でしょうか。
さて、今回の「自動車カタログ棚から」はアメリカの高級車リンカーンです。リンカーンをピックアップするのは2012年7月22日の本シリーズ
第26回の戦前1936年リンカーンゼファーの記事以来久々です。


★リンカーンの歴史は1917年(大正6年)に遡り、既に100年近い時を刻んで現在も存続している車名である。キャデラックと共にリンカーンはアメリカを代表する高級車としての歴史を持つ。リンカーン・カンパニーは1922年(大正11年)にはフォードの傘下に入り、フォードが誇る高級乗用車としての道を歩んできた。
1939年(昭和14年)2月28日、フォード社長エドセルの構想によりエドセル自らのパーソナルカーとして最初の特別なリンカーン「コンチネンタル・MkⅠ」が製作された。エドセルがヨーロッパ大陸を旅行中にMKⅠの構想を得たことにより「コンチネンタル」(=ヨーロッパ大陸様式)と名付けられたものである。第二次大戦を挟み、戦後1955年10月5日には「コンチネンタル・MKⅡ」が発表され約1万ドルという高額で1957年までに約3000台が販売された。その後、1957年10月に1958年型としてフルモデルチェンジを遂げたリンカーンには「リンカーン・コンチネンタル・MKⅢ」がラインナップに加えられた。1958年型リンカーンは巨体に大出力エンジンを積んだ恐竜のように巨大で華やかだった時代のアメ車の筆頭格の1台。控えめな上品さはなくなった代わりに従来のリンカーンとは一線を画す斬新で宇宙船的とも言われたボディデザインは同時代の華やかなアメリカ車群の中でも飛び抜けてインパクトがあった。とりわけ傾斜したデュアルヘッドライトの面構えが印象的。この時代のアメリカの高級車にはパワーシート、パワーウインド等現在の自動車に付いているパワー装備は既に殆ど全てが備わっていたが、1958年型リンカーン・コンチネンタルでは垂直に立てられたリアウインドまでがボタン一つで昇降した。
フォード社ではコンチネンタルは特別なクルマであり他のリンカーンとは別のクルマとの考えを持って1958年型を市場に出したが、ボディデザインは基本的に同じであったため一般的には1958年のMKⅢ以降のコンチネンタルはリンカーンのラインナップの中の最上級のグレードという形となった。
1958年型のリンカーン・コンチネンタルがMKⅢ、1959年型がMKⅣ、1960年型がMKⅤとマイナーチェンジを受けた後、1961年のフルモデルチェンジではついに全てのリンカーンがコンチネンタルと名乗ることとなった。

●1950年代絵本 「あたらしいじどうしゃ」 (B5判・12頁)
絵本
発行・ひかりのくに昭和出版。絵・梅本 恂 画伯。当時定価50円。表紙は家族でドライブする1958年リンカーン。後ろには1958年ダッジと1958年シボレーインパラが描かれている。中の頁にもキャデラック、フォードエドセル、ビュイック、クライスラーインペリアルなど1958年型のアメ車ばかりが多数登場するので、1958年(昭和33年)頃の発行と思われる。


★以下、自動車史研究の国内第一人者であった五十嵐平達氏が著書・世界の自動車「リンカーン」(1971年・二玄社刊)に1958年から1960年までのリンカーンについて記された文章を抜粋したい。

●「1958年」のビッグチェンジはリンカーンの決断を示すもので往年のKシリーズ(註:戦前1931年登場のV8ないしV12のリンカーン)を想わせる超高級車としての性格を明確にすることになった。まずWBは131in.に伸ばされて全長229in、最大重量5040lb、最高価格6283ドルという米車中最大の車となった。この巨大なボディは新しく一体構造(註:モノコック)が採用され、その昔ジャーダが夢見ていたスターケンバーグ(註:1936年リンカーン・ゼファーをデザインしたデザイナー ジョン・ジャーダが1931年にデザインした流線型リアエンジン車)と同じ航空機的な構想が実現したわけである。エンジンは7052cc、圧縮比10.5:1の375HP/4800rpmが用意され、馬力競争を頭から圧して牽制し、少量生産車の利点をフルに活用することで、これに挑戦する他車を押さえてしまった。この車の燃費がどの位であったのかは資料が得られないが、高価なプレミアムガソリンを使用して、このような重量車を走らせることにアメリカ自身が疑問を持つことこそフォードの狙いであったと思われる。以後、リンカーンに挑戦する者はなく、馬力競争には終止符が打たれ、反作用的にコンパクトカーブームが起こった歴史がそれを示しているといえよう。シリーズはカプリとプレミア、基本ボディ型式は3種(4ドアセダン・4ドアハードトップ=カタログ名称はランドウ・2ドアハードトップ=カタログ名称はクーペ)だったが、このリンカーンをベースとした超デラックス・モデルとして「コンチネンタル・MKⅢ」が設定され、コンバーチブルを加えた4種類のボディ型式が与えられた。このコンチネンタル・MKマークⅢの名称には少々独りよがりなところも感じられて、フォードではリンカーンとコンチネンタルの2本立てとして全てのパブリシティを統制したが、ジャーナリズムはコンチネンタルもリンカーンのシリーズの1台として扱った。1958年型リンカーンの生産台数はシリーズ総計25871台(註:月産2155台程度)、アメリカにおけるシェアは0.61%であった。

●「1959年」は、ほんのマイナーチェンジだが、フロントのイメージは相当に変わっていた。シリーズはリンカーン、リンカーン・プレミア、「コンチネンタルMKⅣ」の3種となり、寸法は変わらなかったがエンジンは最高350HPに7%パワーダウンされ、圧縮比も10:1に落ち最大トルクの発生は2800rpmに抑えられて経済性が加えられた。海の如くに広いアメリカ大陸を走らせるため、この巨大なクルーザーは全てパワー化されて軽く運転出来るようになっていたが、さすがに当時の日本では外交官がプレステッジカーとして用いる以外は見られなくなった。1959年型リンカーンの生産台数は30375台(註:月産2531台程度)、アメリカにおけるシェアは0.54%であった。

●「1960年」は1958年度のモデルチェンジ以来3年目となったが、この年もマイナーチェンジで、ルーフと前後の意匠を変えた程度であった。スタイリングは、ジョージ・ウォーカーのムードであったが、このころ開発されたカーチストライト社のエアカーに未来の夢を託したらしく、特にリアスタイルにオールズモビルと同じ表現が感じられた。日本では輸入規制が一番きつい頃であり、新車より中古車の方が高価な程であったが、1960年(昭和35年)5月に片瀬海岸で開かれた外車ショーにもリンカーンの巨体は現れず、その存在は日本人にとっては遠いものとなっていた。機構的にはリア・サスペンションが変更され、2年間用いられた進歩的だったコイルスプリングとトレーリングアームが廃止されて、1/2楕円のリーフスプリングに戻され、エンジンは馬力競争からの脱皮に率先しバランスを第一とするフォードの古くからのポリシーを強調して、標準で315HP、圧縮比10:1、最高出力発生が2200rpm止まりの低速トルク型に戻された。シリーズはリンカーン、リンカーンプレミア、「コンチネンタルMKⅤ」の3種であったが、この年の自動車界は世界的な話題としてビッグスリーのコンパクトカーの発売(註:フォード・ファルコン、シボレー・コルベア、プリムス・ヴァリアント)がニュースの大部分を占めてしまい日本ではリンカーンの情報を得るのには非常に苦労する有様であった。1960年型リンカーンの生産台数は20683台(註:月産1723台程度)、アメリカでのシェアは0.31%に落ちたが、フォードは儲けることよりもプレステッジカーとしてリンカーンを存在させることにメリットを置いていたらしい。

これは珍しくも日本の路上で見たコンチネンタルMKⅤでライセンスプレートは在日米軍関係所属のもの、車体色は黒であった。この写真は1961年(昭和36年)3月の撮影で土砂降りの国道16号で新車スバル450の試乗中にこのクルマに追いついたが、水しぶきを上げて雨の中を優雅に走る様はエアカーというよりは湖水を行く大型クルーザーを想わせ、大容量低速トルク型エンジンと自動変速による加速力は素晴らしく、コンチネンタルのバス並みの車幅と天候を考えるとスバルでの追い越しなどは無謀の一言に尽きるので横浜市内まで追尾して走った思い出の写真でもある。
五十嵐氏写真
※註: 五十嵐平達氏が豪雨の16号でスバル450でリンカーンを追尾しながら写された後ろ姿のこの1枚は在日米軍のナンバーといい臨場感に溢れていて実に魅力的。


【主要スペック】 1958年 リンカーン・コンチネンタル マークⅢ 4ドアセダン (1958 Lincoln Continental MarkⅢ 4-Door sedan) 
全長5817㎜・全幅2035㎜・ホイールベース3327㎜・車重2370㎏・FR・水冷90度V型8気筒OHV 7052cc・最高出力375HP/4800rpm・最大トルク67.76kgm/3100rpm・変速機3速コラムAT・乗車定員6名・フルパワー装備・最高速度180km/h・米国内販売価格$6283



●1957年10月 1958年リンカーン&コンチネンタル・マークⅢ 簡易カタログ (縦25×横37.5cm・12頁)
58簡易表紙
中頁から
58簡易1中文章
コンチネンタルのみに設定された2ドア・コンバーチブル
58簡易2中コンバチ赤
コンチネンタル4ドアとクーペ(2ドアHT)
58簡易3中4ドア&クーペ
中級グレード「プレミア」(Premiere)
58簡易4中プレミア
ベースグレード「カプリ」(Capri)
58簡易5中カプリ
裏面: スペック
58簡易6中スペック

【各グレードのボディタイプ一覧】
最上級のコンチネンタル・マークⅢは4ドアセダン・4ドアHT「ランドウ」・2ドアHT「クーペ」・2ドアコンバーチブルの4種、中級グレードのプレミアとベースグレードのカプリは4ドアセダン・4ドアHT「ランドウ」・2ドアHT「クーペ」の3種。リンカーンの4ドアHTボディは前世代末期の1957年型でデビューしているが、日本車で4ドアHTが登場するのは15年も後の1972年230セドリック/グロリアにおいてだった。
58簡易7中3種ボデイタイプコンバチ赤


●1957年10月 1958年リンカーン&コンチネンタル・マークⅢ 本カタログ (縦25×横37.5cm・24頁)
58本表紙
中頁から
コンチネンタル・コンバーチブルとクーペ(2ドアHT)
58本1中コンバチ&クーペ
コンバーチブルの開閉は全自動パワーアシスト
58本2中コンバチ開閉方法
コンチネンタル4ドアHT「ランドウ」(Landau)
58本3中4ドアHTランドウ
モノコックボディを採用
58本4中モノコックボディ


●1958年10月 1959年リンカーン&コンチネンタル・マークⅣ 本カタログ (縦35×横28cm・24頁)
59表紙
中頁から
59中1文章
コンチネンタルに設定されたリムジンより幾分小さな特別ボディの「タウンカー」(Town Car)
59中2タウンカー
ブルーのコンチネンタル4ドアセダンと自家用セスナ。左上の男性はこの時代で既に自動車電話を使用している。日本で自動車電話が普及し出したのは30年も後の1980年代後半のバブル期のことだったのでは。
59中3自動車電話左上
コンチネンタル2ドア・コンバーチブル
59中4赤コンバチ
コンチネンタル・クーペ(2ドアHT)のリアビュー。3分割されたリアウインドの中央部分のみがパワーで自動昇降する。
59中5リアウインド3分割
1959年は1958年とはフロント周りがかなり変わり、独立していたヘッドライトがグリル内に組み込まれ、バンパーの砲弾部分が左右両端となった。
59中6フロント変更
59中7芝生
赤いコンチネンタル・ランドウ (4ドアHT)。この時代のクルマの白タイヤは魅力的。
59中8ランドー4ドアHT


●1959年9月 1960年リンカーン&コンチネンタル・マークⅤ 本カタログ (縦28×横35cm・24頁)
60表紙
中頁から
コンチネンタル・ランドウ(4ドアHT)。サイドビューで見ると長大なトランクに驚かされる。
60中1黒
カタログの1頁が何とこの社交界の写真。上流リンカーン・ユーザーを意識したイメージ戦略だろう。
60中2社交界
コンチネンタル・ランドウ(4ドアHT)とコンバーチブル。1960年はまたフロントが変わりバンパーの砲弾部分はやや中寄りとなりバンパー両端にスモールライトがビルトインされた。
60中3ランドウ&コンバチ
コンチネンタル4ドアと2ドアHT「クーペ」
60中4クーペ&4ドアセダン
全長6mを超えるリムジン・ボディ
60中5リムジン6m超え
室内はメーター周りが一新され4連の丸型メーターとなった。
60中6メーター4連丸型




★オマケ(その1): 萬代屋(現バンダイ) 1/20スケール 1958年リンカーン・コンチネンタル マークⅢ クーペ(2ドアHT)
全長29cm。萬代屋あかばこ世界の自動車シリーズ703番。1958年11月発売。当時定価:地方最低小売価格330円。フリクション駆動。萬代屋からは品番704としてコンバーチブルも発売された。
バンダイ(1)
バンダイ(2)
箱の日本語印字はリンカーンでなくリンカン。戦前はリンコンだった。
バンダイ(3)


★オマケ(その2): 米澤玩具(ヨネザワ) 1/20スケール 1960年リンカーン・クーペ(2ドアHT)
全長29cm。米澤玩具品番393。当時定価:不明。リモコン。リアウインドが垂直ではなくラップラウンドなのでコンチネンタル以外のグレードをモチーフにしているようだ。1960年型で丸型4連メーターに変わったダッシュ周りもプリントで再現されている。高級車リンカーンにはやはり黒塗りがよく似合う。
米澤(1)
米澤(2)
米澤(3)


★オマケ(その3): 青眞商店(アオシン) 1/20スケール 1960年リンカーン・2ドアHT  警視庁パトカー
全長29cm。当時定価:不明。電動ミステリーアクション。米澤の金型を流用して作られたパトカー仕様。乗車している警官がピストルを構えているのが何とも物騒だ。
パトカー(1)
パトカー(2)
パトカー(3)


★オマケ(その4): 倉持商店コレクトーイ 1/70スケール 1958年リンカーン・コンチネンタル マークⅢ 「ランドウ」 (4ドアHT)
全長8cm。コレクトーイ品番J-5082。ダイキャスト製。国産ミニカー黎明期のブランドで1958年型のシボレー、フォード、ビュイック等のアメ車とポルシェ356Aハードトップ等の欧州製スポーツカーがラインナップされていた。コレクトーイは輸出中心だったと言われるブランドだが、吉祥寺の現在の西友のサンロードを挟んだ向かいにあった「中央模型」で1978年(昭和53年)頃にデッドストックが沢山残っていたのを見たことがあり国内でも相当量が流通していたようだ。
コレクトーイ(1)
コレクトーイ(2)
コレクトーイ(3)


★オマケ(その5): 1958 Lincoln vs. 1958 Cadillac
1958年リンカーンとキャデラックを比較した当時の動画。埋め込み無効に設定されているので、次のURLにアクセスしてみてください。 
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