ポルシェ356Aカレラ

★20世紀の自動車カタログ、鉄道車輛カタログ、玩具・模型カタログ、ビートルズ、ショパン、ヴィンテージ・ポルシェ、草軽電鉄 etc


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しかし、4月だというのに今日は夏のような暑さでしたよね~(>_<) この土日、4月21日(土)と22日(日)は、30度超えの場所も多かったようです。これだけ急に気温が上がると、体調が狂ってしまうという人も多いのではないでしょうか。明日からは気温は少し下がるようですが、それでも平年より最高気温が高い日が続くようです。これから晩春、初夏と季節が進んで夏に入ると、今年は例年以上に暑い日が続くと予想されていますので気が重いですよね~☆☆

閑話休題
貧乏暇なしとはよく言ったもので、記事をゆっくり書いている時間がありませんでして、かと言って、週末1回更新を飛ばしたくはないので、今日は極く簡単にマルサン・ギャンゴのプラモデル等と今日開催された記念すべき第100回ワンダーランド・マーケットの様子をご紹介しますNE☆☆☆
 




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★Chapter1: ギャンゴなど円谷モノ

●ギャンゴとは
ウルトラシリーズに登場する怪獣で別名「脳波怪獣」という。身長は、人間に近い2.2mから巨大化した場合の50mまで。体重は60kg~6万トン。実はギャンゴは怪獣ではなく、宇宙から降ってきた不思議な隕石が変身した姿なのである。この隕石には半径2m以内にいる人間の脳波を受信して、その人が思った通りの物体に変化する力があり、様々な経緯を経た結果、巨大な怪獣ギャンゴに変貌してしまったのである。妙な音を鳴らしながら回るアンテナ耳、ゲームセンターのクレーンキャッチャーのような長い手、トーテムポールのような超派手な腹の絵柄など個性的な外見が特徴である。怪力が自慢だがそれ以外の能力は何も無く、ウルトラマンとの戦いでは騙し討ちなどセコい手ばかりを使う。ウルトラマンを真似して飛ぼうとして失敗していじけたり、スペシウム光線を嫌がったりと動作の可愛さにも定評がある。なお、初代ウルトラマン登場時の着ぐるみは「ウルトラマン第1話」に登場した怪獣ベムラーの改造品である。故にベムラーの着ぐるみは現存しない。


●1966年(昭和41年) 9月 杉並公会堂前のギャンゴと児童
国鉄(現JR)中央線・荻窪駅北口を西に少し進んだ青梅街道沿いの同じ位置に現在も存在する杉並公会堂前の横断歩道を渡るギャンゴと児童。荻窪警察署と杉並区が共同で行った秋の交通安全運動の一コマ。右端にヘッドライトカバーの付いたホンダS600、左側に西武バス(日産ディーゼル?)と65年型クラウンが確認出来る。(ジェネオン エンタテイメント2005年刊「ウルトラマン1966」より転載)



●1967年初頭のマルサン商店ショーウインド
中央にギャンゴ、エビラといった500万円級以上の極めてレアな、1960年代円谷プラモマニアなら卒倒しそうなプラモデルが写りこんだマルサン商店のショーウインド。左上のカネゴンとウルトラマンの箱が巨大であったことが判る。左端のカネゴンは大規模販売店用のディスプレイ?ギャンゴの発売は1967年(昭和42年)に入ってからで、同年、株式会社マルサン商店は株式会社マルザンに商号変更しているため、1967年の早い時期の撮影と推定。(この画像もジェネオン エンタテイメント2005年刊「ウルトラマン1966」より転載)



●1966年12月 マルサン商店プラモデル怪獣シリーズ広告
東京玩具商報1966年12月号(国立国会図書館蔵)より。ゴジラ650円(モーター別)、ゴメス450円(モーター別)、バラゴン500円(モーター別)、ガラモン650円(モーター付)、ゴロー450円(モーター別)、パゴス650円(モーター付)、ウルトラマン800円(モーター付)、ペギラ650円(モーター付)、ネロンガ500円(モーター別)、トドラ650円(モーター付)、カネゴン800円(モーター付)、大魔神650円(モーター付)、科特隊ビートル400円(モーター付)。下にブリキ製電動歩行のゴジラ、バラゴン、ウルトラマン。プラモデルは未組立なら現在は7桁超えのプライスが付くものが多いと思います。これらの殆どを当時作ったという恵まれた環境で育った知人もいますが、リアルタイムで当時小1だった私が作ったのはビートルのみで怪獣やウルトラマンのプラモは高価で手が出ませんでした。しかし、当時買えなかったから今買おうと思っても、現在はモノが殆ど残っていないのに欲しい人は多いため需要と供給のバランスから超高額となってしまい、当時以上に手が届かない高嶺の花になってしまった感ありです。




●マルサン商店 品番593 ギャンゴ プラモデル未組立
ここからは、まんだらけ中野店に展示中の5月6日終了のオークション品。誰でも1000円でID/PWを入手すればWeb上からも入札することが出来ます。ギャンゴはオークションのスタート価格が712万8000円(600万円+手数料10%+消費税8%)。スタート価格でもポルシェのボクスターやケイマンの新車が買えます。貧乏コレクターの私には文字通り高嶺の花(大汗)。しかし、新車のポルシェはお金されあればいつでも買えますが、ギャンゴはこれを逃したら次はいつ絶版市場に出るか判りませんから、もし、君にお金は出すから新車のポルシェとギャンゴとどちらか選んで買っていいよ~などと言われたとしたら私ならギャンゴを選ぶでしょうね。勿論、新車でなく極上のポルシェ356Aカレラとギャンゴとなら迷うことなく356Aカレラを選びますがNE☆ しかし、このギャンゴの未組立品というのは、恐らくこの世に片手の指の数以下程度しか現存していないでしょうから、特に何かショップを経営しているなんて人なら、客寄せの目玉商品として購入して必要経費としてある程度税金を控除したり出来るのではないでしょうか~☆店内に例えば時価1000万円のプラモデルと書いてガラスケースにでも入れて飾っておけばお客様の注目度は高いでしょうからね~☆☆










●マルサン商店 品番488 レッドキング プラモデル未組立
これも5月6日オークション終了。オークションスタート価格297万円(250万+手数料10%+消費税8%)。このプラモデルは成形色違いがあるようですが、成形色のバリエーションまで集めるとしたら大変です。








●マルサン商店 品番174 1961年日産エコー「ウルトラQバス(ナメゴン対ゴメス)」元箱付
これも5月6日オークション終了。オークションスタート価格23万7600円(20万+手数料10%+消費税8%)。ウルトラ怪獣のプリントや箱絵が泣かせます。開始価格でこの箱付未使用品が買えれば、お買い得な気もします。












●米澤玩具(ヨネザワ) 品番798 ウルトラマン スペースカー元箱付
これも5月6日オークション終了。オークションスタート価格59万4000円(50万+手数料10%+消費税8%)。電動走行する上にベムラーが暴れ、ウルトラマンの目とカラータイマーが光るギミックまで付いた、なかなか魅力的な玩具です。











★Chapter2: 第100回ワンダーランドマーケット
ジョン・レノンが亡くなった翌年、1981年(昭和56年)の8月に第1回を開催した横浜サンセット主催のワンダーランドマーケットがついに2018(平成30年)年4月22日に第100回を開催。当初は夏のみの開催だったのが1980年代半ばには夏冬2回になり、近年は春夏冬の3回開催となっています。私は100回中、行かなかった(行けなかった)のは数える程で95回以上は行っていると思います。最初にワンダーランドで買ったのは、湯島のパニポート故・坂本氏のテーブルに並んでいた萬代屋(現バンダイ)の1961年クラウンRS31東京駅構内タクシーで確か3万円だったと記憶しています。




第100回だけにかなりの人出


高徳ポルシェ911(35000円也)ほか


米澤オリエント他レアブリキ各種


トミカ黒箱(6000円均一)


トミカ青箱


洋物プラモ


ホットウィール


観音クラウンパトロールカーゲーム(8000円也)他


中京地区の大コレクターK氏のテーブル


マッチボックスの第一人者Y氏のテーブル


主催サンセットのテーブルに並んだブリキベンツ軍団


マルサン・ブルドッグトイのデッド他


海外製プラトーイ各種


プラ製ポルシェ356ポリス


シガレットケース各種


トミカダンディ各種(オークション品)


実車展示(1) コブラ&1964年クラウンカスタム・オリジナル車


実車展示(2) 1964年クラウンカスタム・ドレスアップ車


丸テールがそそります♪






★オマケ(その1): 第100回ワンダーランド限定トミカ シビックタイプR & ニッサンGT-R
今回の第100回ワンダーランドマーケット限定トミカ。各50台がアイアイアドのブースで限定販売。2次加工品ながら以前アイアイアドがよく出していた、単にワンダーランドの日付と文字を入れただけのモデルではなく今回は100回記念だけに手が込んでいます。シビックは白と黒、GT-Rはシルバーメタと金メタの各2色計4種が販売され、1台税込2500円とTLV並みの価格ながらイベント開始早々に完売していました。

















★オマケ(その2): 1966年ウルトラマン第11話「宇宙から来た暴れん坊」 【ストーリー】&【英語版動画】 
・テレビ初放送: 1966年(昭和41年)9月25日


【ストーリー】

●工場の近くの野原で遊んでいた大勢の子供たちの1人、イサムが、空で何かが光ったのを発見し、その方向に行ってみると見慣れない奇妙な石が地面に落ちていた。こんな石ころなんかよりビー玉の方がいい、とイサムが石を投げると、なんと石は彼の思った通り、ビー玉に変った。しかし、すぐに元に戻ってしまったが、今度はレーシングカーになったら面白いのに、と考えると、その通りに当時流行っていた家庭用スロットレーシングのセット(コース及びレーシングカー)に姿が変わった。 その後、友達達を呼んで様々な実験を行ったところ、彼らの前で、奇妙な石は美味しそうな巨大なケーキやグランドピアノに変身。しかし、しばらくすると、元の石に戻ってしまうのだった。

●その後、イサムは科学特捜隊にこの謎の石を届けた。受け取った科特隊は科学センターの山本博士に分析・精査を依頼。そして、精査結果発表の記者会見の場で、この隕石は地球上にない未知の物質で構成された「生きている石」(生物のような石)である事が判明した。その効力の実験をしてみましょうということとなり、結婚願望のある新聞記者(後年、東京都知事となった青島幸男)が思うと、石が世にも美しい花嫁に変身した。嬉しがる記者であったが、そんなことで喜んでいては怖い上司に怒られると思った途端、今度は日頃怖れている怖い上司に変ってしまう。
ところが、そんな盛り上がる記者会見場の近くに怪しい男が潜んでいた。金儲けを企む悪人・鬼田であった。彼はこっそり記者会見場の机の裏に小型通信機を設置し、あの不思議な石を自分の物にしようとしたのだ。そして通信機に向けて、液体になるように指示を出し、ドロドロに溶けた石を部屋の外に出した後、今度は小型ロケットに変身させて、まんまと石を手に入れることに成功したのであった。そしてホテルに滞在していた鬼田がちょっと人を驚かしてやろうという遊び心から、「怪獣になれ」と願った事で『ギャンゴ』が登場した。人間サイズで現れたギャンゴを利用して、鬼田はホテルのボーイや滞在客を驚かしたのだった。すっかり楽しくなった彼は調子に乗って、ギャンゴをもっともっともっと大きくな~れと『巨大化』させた。だがそれがまずかったのである。いきなり大きくなったギャンゴのせいでホテル自体が崩壊してしまい、鬼田も瓦礫の山に埋もれて意識を失ってしまったのである。その結果、鬼田が意識を取り戻して怪獣の事を忘れない限りギャンゴは絶対に消えない、という大変な事態となってしまった。

●この緊急事態に防衛隊や科学特捜隊が出動。防衛隊の熱線砲でギャンゴの右耳が吹き飛ばされ、科特隊に右目も攻撃されたが暴れん坊ギャンゴの大暴れは止まらず、科特隊のビートルが海に落とされてしまった。ビートルを操縦をしていたハヤタ隊員は、水中でウルトラマンに変身。いきなり水中から現れたウルトラマンにギャンゴはたまげて腰を抜かしてしまう。空を飛んで駆けつけるウルトラマン。準備体操をして飛び立とうとしたギャンゴだが当然そんな事は出来ず、すっかりいじけてしまう。その後、空から地上に降り立ったウルトラマンとギャンゴが戦いになるも、チョップ一発で弱ってしまうギャンゴ。だがそれは何と騙し演技であり、騙されたウルトラマンはギャンゴに吹っ飛ばされ、腹の上に座られてしまう。しかしウルトラマンはギャンゴの脇の下をくすぐるという少々セコい戦法で反撃。そして体勢を立て直してギャンゴに突進したウルトラマンだが避けられてしまい、盛大に海に飛び込んでしまう。その様子を馬鹿にしたように見つめるギャンゴに、ウルトラマンは何だこの野郎とばかりに水をぶっかけて応戦した。陸に戻ってきたウルトラマンのスペシウム光線のしぐさを見て嫌、嫌よと嫌がるそぶりを見せたギャンゴだが、その直後、ウルトラマンに左耳をへし折られてしまう。そしてフラフラしながら歩いていた所でウルトラマンに背中を蹴られ、今度はギャンゴが海の中に落ちてしまった。その後、ギャンゴが陸に戻り仕返しとばかりに腕をクロスさせるが、ウルトラマンのように光線は出ず、自分がダメージを負うだけであった。その後もウルトラマンに馬飛びされたり顔をぶん殴られたりと、戦いは完全にギャンゴの劣勢。戦車を投げて攻撃しようとしてもギャンゴは自分の脳天に落としてしまう始末。それでもウルトラマンがカラータイマーを点滅させるまで持ちこたえ、近くのビルの一部をはぎ取り、ウルトラマンに投げようとした時であった。 「おい、早く怪物の事を忘れるんだ!おい!」意識が回復し、山本博士に詰め寄られた鬼田の頭からギャンゴのことが消えたのであった。その結果、コミカルな効果音と共に巨大なギャンゴは元の小さな石に戻り、戦いはようやく終わりを告げたのだった。
「この石はやはりウルトラマンに頼んで宇宙に返してもらったほうが良い。」
その後、石はハヤタ隊員=ウルトラマンによって宇宙の彼方へ返されたのであった。(終)

★1966年ウルトラマン第11話「宇宙から来た暴れん坊」 (The Ruffian from Outer Space) 英語版動画
Youtubeをみたところ、オリジナルの日本語版がありませんでしたので(youtube以外の動画はあり)、とりあえず、英語版を貼っておきます。


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みなさんは1日、何時間くらい眠ってますかぁ~???
私は去年あたりまで1日5時間位が平均だったのですが、歳も重ねてもっと眠らないと体に悪いかなと考えまして、現在は1日6時間眠るように(努力)しています。平日の朝は大抵5時起きですので、夜11時に眠れば6時間眠れる計算です。
日本人の平均睡眠時間は、1960年(昭和35年)の時点で8時間半を超えていたのが、2014年(平成26年)の調査では約1時間減の7時間40分にまで減っているそうです。調査によれば、都道府県別で平均睡眠時間が最も長いのは秋田県で8時間2分、反対に最も短いのは神奈川県の7時間31分だそうです。一方、都道府県別の平均通勤時間の調査結果では、神奈川県が最長の1時間40分であったことが、神奈川県の睡眠時間が短い要因の一つのようです。要するに通勤に時間を割かれて眠る時間が減っているという構図です。


何れにしても1日の睡眠時間が8時間を切る日本人は世界的にみても睡眠時間が少ない方だそうです。OECD(経済協力開発機構)が行った国際調査では、世界各国の15歳~64歳までの男女の睡眠時間を比較すると、最も長いのが南アフリカの9時間22分、次いで中国が9時間2分、アメリカが8時間36分などという結果となっており、日本人は男女問わず世界標準より睡眠時間が短いとのことです。
しかし、もし1日9時間睡眠を達成しなさいと命令(←誰に?)されたなら、朝5時起きの私の場合、夜は8時には寝ないとダメYO~という話になります。平日は帰宅が夜7時を過ぎることも多いですので、もし無理矢理にでも9時間睡眠を確保するなら、帰ったら即シャワーを浴びて何もせずに寝るという生活に変えないとダメですよNE~(大汗)


閑話休題
貧乏暇なしと言いますか、ゆっくりブログを書いている時間がありませんでして(汗)、しかし、週末1回更新はストップさせたくないですので、今日は「自動車カタログ棚から」シリーズ第373回記事として初代サンダーバードを簡単にご紹介しますNE☆☆このブログの読者諸兄は日本車の好きな方が多いと思いますので、アメ車なんてつまらんよ~と言われそうですが、どうか勘弁してくださいNE~(笑)(笑)。最近、急降下している、このブログのアクセス数もアメ車の記事ですと更に大幅に減りそうですが、まあいいでしょう(笑)(笑)(笑)www☆☆☆
 




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★サンダーバード
サンダーバードと聞いてクルマを思い浮かべる人は少ないかもしれませんよね。かく言う私の場合も、サンダーバードという言葉で一番に思い浮かべるのは、クルマよりも1960年代後半にテレビで見たジェリー・アンダーソン制作の英国製特撮人形劇であったりします。今井科学のサンダーバードのプラモデルを沢山作ったことと共に小学生の頃を思い出します。サンダーバードの名称は近年の日本ではJR西日本の運行する特急列車の愛称としても使用されています。しかし、サンダーバードという言葉の本来の意味は、「雷を引き起こすと信じられている巨大なワシに似た鳥」=「雷神鳥」だそうです。

★自動車のサンダーバード
第2次世界大戦後、GIが本土に持ち帰ったMG、ジャガー等の欧州製スポーツカーがアメリカでブームとなった。欧州製スポーツカー人気に触発されたGMは1953年(昭和28年)にシボレー・コルベット(C1)を発売した。フォードもサンダーバード(T1)を開発しコルベットより2年遅れて市場に投入した。この最初のサンダーバードはスポーツカーよりのパーソナルカーというコンセプトを持ち、コルベットと同じく二人乗りながらV8エンジンをも選べるスポーティで高級なパーソナルカーとして販売された。コルベットのようなアグレッシブなデザインではなく上品かつシンプルなエクステリアに加えて普通の乗用車に近い快適性も備えていたことから市場に好感を持って迎えられた。当初からルーフは着脱式グラスファイバー製ハードトップが標準で付き、ユーザーはオープンカーとクーペの2種類を楽しむことが出来た。布製の幌は別途オプションで用意された。

★初代サンダーバード
初代Tバードは、1954年(昭和29年)のデトロイト・ショーでデビューした。ショー出品時の車両には派手なサイドモールが付けられていたが、発売に当ってはサイドモールは取り去られ、よりシンプルで美しい姿に変えられた。日本では初代クラウンRSやダットサン110セダンがデビューした1955年(昭和30年)、サンダーバードの販売は開始された。何と発売初年の1955年は、販売目標1万台に対し、1万6000台以上を売り上げる大ヒットとなった。エンジンは292Yブロック(4.8ℓ)のV8、排気口は2ピースのリア・バンパーの間に設置した。

●発売2年目の1956年モデルは、スペア・タイヤがトランク外側に取り付けられ、トランクスペースが拡大し、排気口はバンパー・エンドに位置が変更された。また、車内換気向上のため、前輪の後ろに通気口が設けられ、リアクォーター部の視認性向上のため、ハードトップにポートホールと呼ばれる丸窓が設置された。この年には、312Yブロック(5.1ℓ)のV8エンジンがオプション設定され、販売は好調で2年目の販売台数も1万5000台を上回った。

●発売3年目、初代最終の1957年モデルでは、比較的大きなモデルチェンジを受けた。即ち、フロントグリル・フロントバンパーの形状変更、テイルフィンの延長、大型のテールライトの装備等が為された。最終年はスペア・タイヤが再びトランク内に収納され、垂直にタイヤが収納できるように設計された。エンジンは292と312が用意されていたが、312には更にチューンが施され、極く僅かながらスーパーチャージャー仕様も生産され市場に投入された。この年の販売は何と2万1000台を越えた。この1957年モデルが20世紀のサンダーバードでは最後の2シーターモデルとなった。2002年(平成14年)に初代をリスペクトした11代目サンダーバードがデビューするまで45年間、2シーターは製造されなかったのである。


【主要スペック】 1955年フォード・サンダーバード (1955 Ford Thunderbird)
全長4453㎜・全幅1783㎜・全高1326㎜・ホイールベース2590㎜・車重1457kg・FR・水冷V型8気筒OHV4778cc・最高出力198ps・最大トルク38.75kgf-m・変速機3速MT・電装系6V・パワーウインド/パワーステアリング標準・乗車定員2名・0-400m:17.3秒・最高速度165km/h(103mph)


●1955年 フォード・サンダーバード 本カタログ (縦19.7×横27.9cm・英文12頁)
1954年8月発行。最初のTバードのカタログ。カタログに登場するボディカラーは、赤・黒・ミントグリーンの3色。初代Tバードは年式別に最低3種類のカタログが出ていると思われますが、残念ながら手元のカタログ棚にはこの最初のカタログしかありません。


【中頁から】





シャシー


V8エンジン


トランク




室内


魅力的な運転席


ハードトップ


スペック


裏面: 左下に8-54=1954年8月の印字






★オマケ(その1): 嗹馬(デンマーク) テクノ820番 1/43スケール 1956年フォード・サンダーバード
全長11cm。ダイキャスト製。品番809としてオープン(ハードトップなし)も出ています。後ろに写っているのは同時代のテクノ803番ポルシェ356。この時代のテクノは造形に独特な味わいがあります♪










★オマケ(その2): 西独 プラリーネ 1/87スケール 1956年フォード・サンダーバード各種
全長5.2cm。プラ製。所謂HOスケール・ミニカー。このサンダーバードの品番は、5200~5600で丸窓ハードトップ付ナチュラルカラー、丸窓ハードトップ付メタリックカラー、布ルーフ付、オープン等で振り分けられています。整理をしていたら、ベルリンの壁があった時代、30年以上前の西独製プラリーネのC1コルベット、57年ベルエア、59年キャデラック、この初代サンダーバード等のアメ車が150台程度、ポルシェ356が60~70台出てきました。経年で個々のケース内のスポンジの劣化が進行してポロポロに崩れてしまっているものもあり、あまりにも酷いものはスポンジを捨てて応急的にティシュを入れてあります。しかし、こんなに同じものが沢山は不要なため、銀座・天賞堂4Fの中古ショップで買取り値を訊きましたら、基本ミニカーは1台10円だそうです。「100台あれば1000円になりますから、都内なら交通費程度にはなるでしょう」との由。鉄道模型がメインのためミニカーについては、元々天賞堂が輸入代理店をしていた西独ヴィーキング(ヴァイキング)製品でさえもタダでもいいなら引き取るというスタンスのようです。実際、天賞堂4Fでは自動車プラモデルの完成品も沢山売られていますが、鉄道模型マニアさんが亡くなった後の買取りの際に御遺族から一緒に引き取って欲しいと言われてタダで引き取ってきたものとのことです。ちなみにTMS等の書籍も基本買取りはしないとのことで、店頭に沢山置いてある中古書籍は全て鉄道模型と共にタダで引き取ってきたものとのことです。ということで、このプラリーネも1980年代に1台700~1000円定価だったものが、30年以上を経て1台10円(@_@;)ということですから、売るに売れません(プラリーネでもポルシェ356だけは売りませんがNE)。当時、このプラリーネではなく黒箱/青箱から赤箱に移行した時期のトミカを大量に入手して今売ったなら大儲け出来るのとは対照的ですよね(大汗)。








こんなにTバードはいらないのですけど(笑)、買取り1台10円で手放すのは勿体ないですよね~







オマケ1との並び






★オマケ(その3): 1955年フォード・サンダーバード テレビCM
発売初年のテレビコマーシャル。



★オマケ(その4): 1956年フォード・サンダーバード テレビCM
トランク外部にスペアが積まれた発売2年目のテレビコマーシャル。




★オマケ(その5): 1957年フォード・サンダーバード テレビCM
発売3年目、少々アグレッシブなルックスに変った、初代最終型のテレビコマーシャル。


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さて、明日は都内の中学で入学式、明後日は高校で入学式ですよね。入学式っていうのは、式には出ているはずなのにワタシどうも何も覚えてないのですが(汗)、校長先生が挨拶をしたり、学年主任の先生がこれからの予定、学校生活の注意点などを話したり、校歌を唄ったりするって感じなのでしょうか~??

みなさんは花粉症ですかぁ~??
関東地方の花粉の飛散は5月末まで続き、ピークは4月上旬~中旬までとのことです。しかし、今年のヒノキ花粉の飛散量は例年の400倍とのことですから、これまで何ともなかった人が急に花粉症になるなんてケースもあるのではないでしょうか。かく言うワタシも40歳前後で突如として花粉症になりまして、この数日は花粉症薬を飲んでいてもティシュの箱が2日程度でなくなるペースで鼻をかんでいます。また、喉や気管支に花粉が入ってくるためか、喉の痛み・違和感や咳が止まらないといった風邪のような症状があり、一応、耳鼻科に行ってみたところ、風邪ではなく花粉症=アレルギー症状との診断で、咳や喉の痛みもやはり例年以上に花粉が多い影響のようです。


みなさんは料理が得意ですかぁ~???
噂によるとスマップのメンバーなどは男子なのに料理が上手いそうですが、私は日本古来の「男子厨房に入らず」あるいは「男子厨房に入るべからず」派でして、キャンプなどでカレーを作った経験はありますが、自ら進んで料理をしたいと思ったことは一度もありません。とどのつまりは、料理をするよりは楽器を弾く時間が欲しく、料理をしたり後片付けをするのも面倒でインスタント食品や店屋物で済ますのが一番楽ということなのですが、そういう食生活だととても長生きは出来ないから、早く普通に料理の出来る恋女房を貰った方がよいなどと言う知人もいたります(←ワタシの歳でこれから恋女房を貰える可能性は極めて低いという意見も多々ありますがww) 。まあ、アメブロでもmaroさんやセンセイなど料理が凄く上手な人は人柄もよいことは誰の目にも明らかな訳ですから、ワタシのように料理が出来ないあるいは料理をしない派は人柄も悪いということが一般的には言えるでしょうNE(大汗)。


閑話休題
さて、今年はポルシェ356の生誕70周年ということで、ポルシェAGからも公式なアナウンスがされていますが、ミニカーの世界でも70周年記念の356が発売になっています。そこで今日はポルシェ70周年に因んだ話題と最後に1台オマケとしてランチア・ストラトスのちょっと珍しいミニカーをご紹介しますNE☆☆☆
 



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★ポルシェAG(本社:ドイツ、シュトゥットガルト・現代表: オリバー・ブルーメ=Oliver Blume :1968年6月6日~)は、過去70年に亘り、世界最高水準のスポーツカー製造を行ってきた。
ポルシェのビジョンは、次の3つ。高速で走ること、純粋であること、情熱的であること。ポルシェの名を冠する最初のモデル、356「No.1」ロードスターは1948年(昭和23年)6月8日に車両登録され(ユーザーの手に渡ったのは9月)、この日にポルシェ・ブランドが誕生した。今年2018年はブランド生誕70周年のメモリアルイヤーに当る。タイプ356は、Dr.フェルディナンド・ポルシェ(Ferdinand Porsche;1875年9月3日-1951年1月30日)とその息子であるフェリー・ポルシェ(Ferdinand Anton Ernst Porsche;1909年9月19日-1998年3月27日)の親子が自らの名を冠したスポーツカー発売という夢を現実へと変えた。

★今年2018年のポルシェ ミュージアムでのニューイヤー・レセプションの席上、ポルシェAGの代表取締役オリバー・ブルーメは、「1948年当時のフェリー・ポルシェのビジョンは、現在も変わらずポルシェ・ブランドの特徴となって続いている、ポルシェの価値観の全てを備えていました」と述べた。
またブルーメは次のようにも述べた。「伝統とは、謂わば公的な責任とも言える約束です。伝統や基本的な価値観がなかったなら、ポルシェが現在の地位を築くことはできなかったでしょう。私たちは、フェリー・ポルシェが設定した極めて高い技術水準を今後も守り抜きます。クレバーかつ世にもダイナミックな感動的な走りを今後も実現させます。このために、ポルシェにはしっかりとした技術的な専門知識あるいは創造力に富んだ優れた従業員が多数在籍し、他社では類を見ないチーム・スピリットを保持しています。このような理由により、ポルシェ・ブランドはこれまでの過去70年と同様にこれからの70年も世界の人々を魅了し続けることでしょう」。

★ポルシェ ブランドの歴史は356デビューの1948年に始まったとされる。
但し、スポーツカー・メーカーであるポルシェの技術的な基礎は、創業者Dr.フェルディナンド・ポルシェ(Ferdinand Porsche;1875年9月3日-1951年1月30日)の生涯に亘る優れた仕事の過程で築かれており、息子フェリー・ポルシェはこれを受け継いだのである。フェルディナンド・ポルシェは、20世紀が始まる直前に、自動車産業における先駆的な革新技術を生み出した。即ち、1900年(明治33年)、フェルディナンド・ポルシェは「ローナー・ポルシェ」として知られるホイールハブ駆動の電気自動車を作り、世界初の全輪駆動を採用した乗用車を作ることを計画した。同年、ガソリンと電気を組み合わせたパワー・トレインを開発し、現在のハイブリッドカーの思想的かつ技術的な基礎を作った。1931年(昭和6年)、フェルディナンド・ポルシェは設計事務所を設立、1939年(昭和14年)に競技用に3台だけが試作された「ベルリン・ローマ カー」(所謂、ポルシェ・タイプ64 ←クリックで過去記事をご覧戴けます)は、ポルシェの名を冠したスポーツカーのアイデンティティのルーツとなったが、この夢は前述の通り1948年(昭和23年)、息子フェリーが市販車タイプ356を造ることによって実現した。

★そして、フェリー・ポルシェの息子、フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェ(Ferdinand Alexander Porsche;1935年12月11日-2012年4月5日)が設計した、356の後継モデルであるポルシェ911のデビューは、技術的にもデザイン的にも、世界を代表するスポーツカー・メーカーとしてポルシェが大躍進を遂げる契機となった。
1963年(昭和38年)にワールドプレミアされたポルシェ911は、空冷・水冷を含め何と累計100万台以上が生産されている。現ポルシェAG代表のブルーメは次のように述べている。
「911は数十年の間、一貫して開発が続けられ、何度も新しい革新技術を用いて改良が重ねられてきました。しかし、911に匹敵するほど、当初からの本質を守ることに成功したクルマは他に存在しません。現在、また未来にわたって開発されるポルシェの全モデルは、この911をベースとすることになります。ポルシェ・ブランドの中心的存在である911は、夢のスポーツカーとして過去50年以上に亘り世界中のファンの心を虜にしています。ポルシェはこれからもずっとポルシェであり続けます。エクスクルーシブでスポーティなモビリティのためのトップ・ブランドであり続けます」。

★ブランド生誕70周年の今年、ポルシェは世界中で多くのイベントを開催または開催を予定している。
2月3日には、ロサンゼルスのピーターソン自動車博物館で「ポルシェ エフェクト」を開催、ドイツでは、3月20~31日、ベルリンの「DRIVE.フォルクスワーゲングループフォーラム」に於いて初めての「ポルシェスポーツカーの70年」展示会を開催した。ポルシェ ミュージアムでも、6月9日に特別展を開催。また同じ日、ポルシェは世界中のスポーツカーファンのために「Sports Car Together Day」を開催する。6月16~17日の週末には、ポルシェ従業員、ツッフェンハウゼン地区の住民、そしてポルシェ・オーナーをシュトゥットガルトのポルシェ ミュージアム内外での70周年公式祝賀会に招待する。7月12~15日には、英国のグッドウッドサーキットでの「Festival of Speed」、9月27~30日にはカリフォルニアの「Rennsport Reunion」により70周年を祝う。70周年行事の締めくくりとして、10月13日には初めてシュトゥットガルトのポルシェ・アリーナにおいて「Sound Night」イベントが開催される。

★ポルシェとスキー
ポルシェ356や911のエンジンフードにキャリアを付けてスキーに行く姿に憧れて、私も1980年代にはナロー911にわざとスキーキャリアを付けて走っていた時期があります。正確には私の前のオーナーがスキー用リアキャリアを付けたままにしてあったのです。が、例えスキーを積まなくても911にスキーキャリアは何ともカッコよく絵になるのでそのまま付けていました。ところが、私はちびまる子ちゃんの登場キャラ藤木君と同じでスケートを除けば大のスポーツ音痴でして、スキーも何とかV字ボーゲンで滑ることは出来ても止まり方が判りませんでして、スピードが出てしまうと何しろ止まることが出来ませんので、信州・車山に行った時にはゲレンデで休んでいる人にかなりのスピードで衝突した経験もあります(大汗)。「うわー!ぶつかる~!!どいて~、どいてくださ~い!!!」と叫んでも間に合わずに激突(大汗)。幸い、お互いに大した怪我などもなかったのですがNE。

●手縄毛でポルシェとスキーの話ですが、まずは手元にある1959年(昭和34年)10月発行ポルシェAGの1960年版オフィシャル・カレンダーからスキーを背中に積んだポルシェ356Aクーペの何とも美しい写真2枚です。






★独シュコー1/43スケール ポルシェ70周年記念 ポルシェ356Aクーペ・スキーキャリア+ポルシェ356Aカブリオレ・サーフィンキャリア
全長9.5cm。ダイキャスト製。シュコーが1990年代に造った金型の356Aクーペにスキーを載せた仕様(品番Nr.45 025 5900)と356Aカブリオレにサーフィンを載せた仕様(品番Nr.45 025 6900)がポルシェ70周年記念として発売されました。何れも世界限定777台で日本への入荷数は少な目のようです。スキーやサーフィンといった小物が付く上にカラーリングもとても魅力的です。内箱にスキーキャリアには白銀のアルプス、サーフィンキャリアには海の写真が付くのも泣かせます。国内定価は税抜10500円と高目ですが、TLV-NEO43のY31セドリックパトカーが税抜9500円することを考慮すれば法外な値段ではない気もします。

●ポルシェ356Aクーペ・スキーキャリア







●ポルシェ356Aカブリオレ・サーフィンキャリア







●356Aクーペ&カブリオレ2台の並び






黒いシックな箱入り




★伊メーベトーイ A-64番 ポルシェ912スキーキャリア
全長10cm。ダイキャスト製。スキーを積んだポルシェと言えばこのミニカー。スピードホイール化された1970年代後半まで連綿と売られたモデルですが、画像はジュエルライトに旧ホイールの貴重な1960年代モノです。






フル開閉アクション




★青箱トミカF9-3番 1/59スケール ポルシェ356Aスピードスター特製品
全長6.5cm。ダイキャスト製。赤箱89番に移行した後も1990年代後半の中国製になっても売られたロングセラーですが、これはアメブロで前人未到の驚異の毎日1回定時更新記録を現在も伸ばし続けている、 monkinさんの手による特製品です。ボディの塗装が何とも美しく、細部まで色差しがされている上に裏板には「monkin magic」の綺麗なロゴが入っています。市場に出たトミカの356は特注品を含めて多分殆ど全部買って持っていると思いますが、こういう世界に1台だけのプロレベルの特製品はまた格別の魅力があります。赤い方は全国津々浦々で売られた通常品です。
しかし、トミカと言えば今日4月8日(日)夜、ヤフオクで22時過ぎに終了の80台入りスーパーギフト、終了1日前で既に60万円を超えていましたが、幾らで終わるのでしょうね( ←69万3000円=1台当たり8662円で終了していました)。スーパーギフトは発売当時、定価より安い割引き価格2万円強で購入して一度も中味を出さずに保存してあったものを、15万円でどうしても欲しいという人に譲ってしまいましたので現在手元にないのですが(スーパーギフトはバラ売りするお店も多かったので気に入った車種のバラだけは今も手元にあり)、こんなに高値になるのではもう買い戻せませんね(汗)
高額といえば、マルサンの円谷ウルトラ怪獣プラモデルのギャンゴの未組立が712万8000円スタート、同レッドキングの未組立が297万円スタートで「まんだらけ」のオークション本「まんだらけZENBU」(売価1000円)の最新号(No.86)に出ていますが、貧乏コレクターの私では幾ら欲しくともスタート価格であっても高価過ぎてちょっと手が出ないですね(大汗)








裏板=monkin magic のロゴ入り






★オマケ: 高徳(タカトク) Dh2番 1/39スケール ランチア・ストラトス・ターボ「マルボロ」
最後にmaroさんやyousanが好きなストラトスの珍しいミニカーをオマケに。全長11cm。ダイキャスト製。ドア開閉、前輪ステアリング、ライト点灯アクション付。箱絵にはお約束のアリタリア仕様のバリエーションも出ています。あのブリキ玩具で有名な高徳(タカトク)がストラトスのミニカーを出していたことは、あまり知られておらず珍品かも??高徳は、戦後、高木得次郎氏が東京台東区浅草蔵前3丁目で興したブリキ玩具製造会社で高木氏のイニシャルを社名にしていますが、名前の損得の「得」は「徳」に変えて、高徳玩具製作所としたようです。
箱には「ダイカホビー」の印字があり、超合金キャラ玩具のノリを感じます。また箱にはスーパーカーカード付の印字もあります(手元にあるモノは残念ながらカード欠品)。








裏板: 松代工業株式会社(?)の刻印。高徳が販売会社で製造は松代というメーカーだったようです。松代は1960年代の玩具メーカーの一覧に金属モデルガン製造メーカーとして掲載されている、松代玩具工業株式会社(松代章男社長・文京区弓町1-23)と思われます。


青い911は同じ高徳(タカトク)製の1960年代1/15スケール・ナロー911(全長27cm)。


ドア開閉


テーマ:

さて、1年の4分の1が終わり、もう今日から4月ですね~(>_<)
東京の桜は既にピークを過ぎて葉桜になりつつありますですよ~m(__)m 4月6日(金)の区立小学校の平成30年度入学式までは桜は持ちそうにない感じです(>_<)今年は平年より10日早く咲いたということですので、平年通りなら丁度満開の頃に入学式ということになりますね~♪♪


しかし、前にも話しましたが今年は平成30年度入学式と堂々と言えますが、来年は本当に困りますよね~(汗)。新元号の発表が2019年(平成31年)2月24日以降の早い時期とのことで新元号が5月1日施行の予定ですので、4月の1ヵ月だけが平成31年度で5月から翌3月末までの11ヵ月は新元号の年度に変えるのか、あるいは、新元号が発表された時点で4月の1ヵ月は新元号の年度に組込むこととするといった通知をして、平成31年度は失くし、新元号の○○元年度入学式あるいは○○元年度予算といった形とするのか。その反対に新元号は無視して、2020年3月までを平成31年度で通してよいのか??
そもそも、生前退位なのに年度替わりの4月1日ではなく5月1日に元号を変えるというのが摩訶不思議なことですよね~(大汗)。まあ、そもそも、日本中で年度の元号表記は失くして、来年度以降の年度表記は原則、西暦表記とすると決めるのならば何も問題はないですよね~(笑)(笑)(笑)


閑話休題
実はこの土日は色々と忙しく仕事になってしまいまして、記事を書いている時間がありません。しかし、週末1回更新のペースを崩さないように、今日はランチア・ストラトス・ピレリ仕様のミニカーを簡単にご紹介しますね~☆☆☆ 



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★タイヤの寿命
自家用車(マイカー)を所有している皆さんはタイヤをどんなタイミングで換えてますかぁ?溝が1.6ミリとなってスリップサインが出ると車検を通らなくなりますから、スリップサインが出たら換えるという人もいるでしょうね~。新品のタイヤの溝は8ミリで5000キロ走行すると1ミリ減ると言われていますので、スリップサインが出るまでに大体3万2000キロ走れる計算となります(新品8ミリ-スリップサイン1.6ミリ=6.4ミリ消耗×5000キロ=32000キロ)。ところが、タイヤメーカーは新品の半分の残り溝4ミリで交換を推奨しているようです。4ミリ×5000=大体2万キロ走ったらタイヤ交換が良いということになります。また、極端な話、例え走行キロゼロで溝が全く減っていなくともゴムは経年劣化するため、メーカーの示す耐用年数=推奨交換年数は4~5年といいます。

★ところが、私の場合、普段、自転車で15分程度の吉祥寺などに行くのにわざわざ渋滞にハマり駐車場代もかかる自家用車で行くことはなく、大渋滞にハマって電車(中央線快速)の2倍位は時間も掛かる上に勤め先には駐車場もないため通勤に自動車を使うことも全くありません。そのため、自家用車があっても年間の走行キロは多くても3000キロ、10年乗っても3万キロ以下ですから、メーカーの推奨年数の4~5年を過ぎてもタイヤの溝はたっぷり残っているという状況になります。しかし、目視で全く問題はなくともゴムの経年劣化が怖いので、現在は大体5年履いたら例え溝がたっぷり残っていても交換するようにしています。タイヤの購入に当っては、安売りなどで2年前など製造時期が古い在庫タイヤをうっかり掴まされないように注意した方が良いようですよ~。2年以上前の製造ならメーカー推奨耐用年数では残り2年位しか使えないタイヤということになりますからね~☆☆


★ピレリ (PIRELLI)
イタリア・ミラノに本社を置くピレリは、1872年(明治4年)にジョヴァンニ・バッティスタ・ピレリが創業した世界第5位のタイヤメーカー。タイヤの製造は1890年(明治23年)に自転車用タイヤにより開始。第二次大戦後、1950年(昭和25年)にF1世界選手権が開催された当初から参入したタイヤメーカーであり、古くからWRCにもタイヤを供給してきている。モータースポーツ・ファンにはよく知られたタイヤメーカーである。バブル景気時代の日本車に於いては、ピレリタイヤをOE(メーカー純正)装着、もしくはオプション装着を設定する車種/グレードが何と軽自動車に至るまで存在した。

【タイヤメーカー世界シェア・ランキング】 (ブリジストン2017年発表データ)
第1位 ブリヂストン・・・・・15.0%
第2位 ミシュラン・・・・・13.8%
第3位 グッドイヤー・・・・・9.2%
第4位 コンチネンタル・・・・・6.7%
第5位 ピレリ・・・・・4.3%

以上のようにタイヤの世界シェア・トップはブリジストンの15%。ところが、国内シェアではブリジストンが57.2%と圧倒的に強く、それにダンロップ(住友ゴム)、ヨコハマ(横浜ゴム)が続き、世界シェアで5位のピレリは国内ではあまり売れてはいない。

★ランチア・ストラトス
1974年(昭和49年)2月に市販車としてデビューしたストラトスは、全長3710㎜・全幅1750㎜・全高1110mm・車重960kgと小さな体にフェラーリ・ディーノ246GTと同じV6DOHC2418ccエンジンを搭載し、最高出力190ps/7000rpmを絞り出し最高速度230km/hに達した。発売開始直後より数々のインターナショナルラリー、レースに参戦し、中でも1974年から1976年までは3年連続でワールドラリーチャンピオンの栄冠に輝き、ラリーの王者と言われた名車である。

【ワークス・ストラトスのスポンサーの変遷】
1974年: マルボロ
1975年~1977年: アリタリア
1978年: ピレリ


●1978年サンレモラリーのストラトス・ピレリ仕様






★ランチア・ストラトス「ピレリカラー」の国産ミニカー達
ストラトスのラリーフィールドでの活躍も晩年となった1978年はスポンサーがアリタリアからピレリに替わり、第8戦サンレモラリーではワークス・ストラトスとしては最後の優勝を飾った。リアルタイムで出たミニチュアのストラトスはアリタリア・カラーとマルボロ・カラーが圧倒的に多く、ピレリ・カラーをモデル化したものは稀少な存在です。大:永大グリップテクニカ、中:米澤ダイヤペット、小:トミカ。








●永大グリップテクニカ20番1/28スケール ランチア・ストラトス・ピレリレーシング
全長14cm。ダイキャスト製。当時定価1800円。リアカウル、左右ドア、ヘッドライト開閉アクション付。ヘッドライト開閉はグリップテクニカ特有の室内レバーを引いて行う。グリップテクニカではマルボロ、アリタリアもリリースしているが、ピレリについては専用の箱が作られず、20番ストラトス・マルボロと同じ箱の短辺にPIRELLI RACING TYPEのシールを貼ってバリエーションモデルに対応していました。ピレリ仕様の参戦が日本のスーパーカーブームも終焉を迎えた1978年と遅かったことに加えて1980年代初頭の永大の倒産の影響もありピレリ仕様は極く短命だったようです。








箱にPIRELLI RACING TYPEのシール






●米澤玩具ダイヤペットG-108番 1/40スケール ランチア・ストラトスターボ・ピレリーレーシング
全長10.5cm。ダイキャスト製。リアカウル、左右ドア開閉。存在感のある妙に魅力的なミニカーです。当時定価1200円。ダイヤペットもストラトスを沢山出していますがピレリ仕様は永大同様、短命だったようです。










●青箱トミカF19-2-4番 1/57スケール ランチア・ストラトス・ラリータイプ・「ピレリーレーシング・モンテカルロラリー」
全長6.5cm。ダイキャスト製。全国津々浦々で売られた通常品ではなく、ホビーショー・オリジナル限定品。当時定価280円。










★オマケ(その1) : 青箱トミカF66-1-?番 1/62スケール ランチア・ストラトス・ターボGr.5「ピレリーレーシング」
全長7cm。ダイキャスト製。このミニカーは今は無き恵比寿のホビーショップ「ミスタークラフト」が1990年代後半に開店28周年記念として制作した青箱F66-1の特注品。中国製なのでビンテージミニカーとは言えないと思いますが、既に発売から20年が過ぎて、そろそろ貴重品?








★オマケ(その2) : 青箱トミカF19-2-?番 1/57スケール ランチア・ストラトス・ラリータイプ・「ピレリーレーシング1978年サンレモラリー優勝車」
全長6.5cm。ダイキャスト製。このミニカーも今は無き恵比寿のホビーショップ「ミスタークラフト」が1990年代後半に開店29周年記念として制作した青箱F19-2の特注品。これも中国製なのでビンテージミニカーとは言えないと思いますが、ワークス・ストラトス最後の優勝車をトミカスケールで上手く再現した傑作です。






細かい文字もトミカスケールではこれ以上望めないような正確なタンポ印刷がされています。



オマケ1・2・F19-2-4: トミカピレリーストラトス3台の並び





テーマ:

例年より10日早く、昨日、東京の桜が満開(=8分咲き)となったそうです。近所の桜並木にもお花見の人が大勢訪れています。先週は雪が降ったというのに、これからは今週木曜日(29日)には東京の最高気温が25度と予報されているなど例年以上に暖かい日が続き、来週末まで桜が持つのか微妙な感じもします。

昨日、女性にモテモテのミニカーおやじセリカさんが「とどめの1曲」として、TULIPの「青春の影」をアップされていましたが、今日は私が1976年に自分で唄ったTULIPの「とどめの1曲」を第1部でご紹介します。そして、私のブログでは音楽系の記事はアクセス数が急落する傾向にありますので、第2部として昨日、京商のファミリーマート等のコンビニ限定ランボルギーニ・コレクションが発売になったことに因んで、お気に入りのミウラのミニカーをご紹介しますNE☆☆ 



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★Chapter1: 生きるといふこと
女性にモテモテのミニカーおやじセリカさんが昨日、「とどめの1曲」として、TULIPの青春の影をアップされていましたが、私の「とどめの1曲」はこの曲。1975年(昭和50年)4月5日に東芝EMIからリリースされたチューリップ5枚目のオリジナル・アルバム「無限軌道」収録曲。
財津さんの世界観がよく表れている佳曲です。名曲と言いたいところですが、セリカさんも知らないと言われてましたし、シングルヒットを聴いているだけでTULIPのアルバムまでは聴いていないよという人は知らない隠れた名曲といったところでしょうか。
今回の音源は私がアルバムリリースの翌年、1976年(昭和51年)、高2の時にギター1本で弾き語りしたものです。この曲は歌詞もメロディも当時の自分の気持ちにとてつもなく馴染む歌でした。まるで自分でつくった歌のように。みなさん、そんな曲ってありませんか?
この曲と共にビートルズのヒア・カムズ・ザ・サン、マザー・ネイチャーズ・サン、自作の「愛の灯」(ともしび)などを私は高校の学園祭でギター1本で唄っていたのです。しかし、財津さんのこの曲は、チューリップ・ファン以外の人、特にストーンズやツェッペリン、キャロルあたりが好きな人にはウケが悪く、「キモイ」という言葉は当時はまだなかった気がしますが、「軟弱」とか「ダサイ」と思われていた気がします。尤も私自身は自分の気持ちにしっくりくる曲なので何と言われても堂々と唄っていたのですがNE☆☆☆


●チューリップ「無限軌道」 LPジャケット
このアルバムがリリースされた1975年というのは自動車の世界では330セド/グロやコスモAPあたりがデビューした年ですが、2300円というLPレコードの価格は貧乏高校生の私には安くはなかったので、実はチューリップのLPは自分では1枚も買ったことがなく、クラスメイトのチューリップ・ファンの女の子から新譜が出る度に1日だけ借りてカセットに録音して聴いていました。



●チューリップ「無限軌道」 収録曲
「生きるといふこと」はB面の5曲目に収録。ヒットした「サボテンの花」の1曲あと。




【生きるといふこと】 TULIPカバー by porsche356A 1976
録音: 1976年。もう2018年で42年の時が流れています。今アップしないと永久にアップしない気がするのでアップしちゃいます(→誰も聴きたくはないかもww)。財津さんは声が高いので私がオリジナルキーのDで唄うのは少々無理がありますが、キーを変えるとギターが弾きにくくなるため、オリジナルキーで無理矢理唄っています。ギターはナイロン弦のガットギターです。16歳の私のガラスのように繊細な内面(実は今も大して変わっていないw)が見えるような録音で聴く人によっては相当にキモイかもしれません??キモイと思った人はキモイよ~って是非正直な感想をコメントくださいね~☆☆


【生きるといふこと】 歌詞
1975 TULIP 作詞・作曲 財津和夫

何度死んでしまえと思ったろう
信じるものは何もなかった
風はよそよそしく 通り過ぎて
太陽が怖かった

何度生まれ変われと願ったろう
たった一度の人生だから
花はきどって 咲き誇り
青空が憎かった

でもあなたとめぐり会い
心の狭い 私を知りました
この世のすべてのものは
私のもの 私たちのもの

太陽は勇気だったのです
青空は真実だったのです
風はやすらぎ 雨は二人のために
小さな世界をつくってくれる

棘のある薔薇の花は
いま 棘を落としました
永遠に消えないで
この幸せよ このうれしさよ

どんなつらい別れが来ても
私は泣いたりしないでしょう
だってあなたがこんなすばらしい
勇気をくれたのだから




★Chapter2: ランボルギーニ・ミウラのミニカー
昨日2018年3月24日(土)、ファミリーマート/サークルK/サンクスの一部店舗で京商ランボルギーニ・コレクションの販売が始まりました。1/18ウラカンを含めて25種類あり、そのうち10種は2台もしくは3台の同色ランボのセットになっています。1回800円(税込)でハズレくじなしです。Webで取扱い店となっていた最寄りのファミマに昨日午前11時過ぎに行ってみたところ、ちょうど商品を並べているところでした。お店の人にくじは全部で何枚あるのかと訊いたところ、「全部で70枚、まだ一人も買ってませんから800円×70=56000円で全部Get出来ます」旨を言われて、ランボの新車価格や最近の1/12レジン製ミニカーなどの価格を考えたら全部買った方が良いぞよ~という悪魔の声?が聞こえたのですが、同じミニカーが5台とかダブっても処分に困ると思ったのと後から来た人が買えないのは悪いとも思い大人買いは止めておきました(汗)実際、今回は入荷数が限られているため、そっくり大人買いした人がいたようで、出して即完売となった店があったようです。
今回のくじでは、京商1/64新金型のアヴェンタドールSVクーペとチェンテナリオは数の少ない2台ないし3台のセット物がメインで入手が難しく、ミウラやカウンタックは数が多く入手はしやすいようです。私はどこか爬虫類のようなイメージもある最近のランボよりミウラ、カウンタックの方がそそられるので、ミウラのオレンジとカウンタックの黄色の2台がすぐに出たところで散財しないうち止めました。今回のくじ、確率的には同じモノが5回続けて出るといった悲惨なことも有り得ます。単品でなくセット物が当たれば大当たりでしょうね。しかし、京商の1/64は正規の単品販売定価では2000~2500円位もするのに、くじは税込800円で定価12000円の1/18ウラカンや2台/3台セットという当たりが含まれていることを考えると1台800円を大幅に下回る原価であることが不思議です。恐らく相当に数を沢山作っているのでしょうね~






●伊ポリトーイ552番 1/43スケール ランボルギーニ・ミウラ・ベルトーネP400
全長10cm。ダイキャスト製。ここからはビンテージミニカーのミウラの中からお気に入りを少し。現行品に至るまでミウラのミニカーは山のように出ていますが、私が一番好きなのはこのポリトーイ製。人気の高いソリドやメーベもありますが、カラフルで凝ったパッケージ一つとってもポリトーイ製が個人的には好きです。フル開閉アクション付。






フル開閉アクション




●英コーギー319番 1/43スケール ランボルギーニP400 GTミウラ
全長10cm。ダイキャスト製。スピードホイールですが妙に魅力的なミウラです。牛のフィギュアが付いたものや後年はシルバーなどのカラバリが出ています。前後カウル開閉アクション付。






前後カウル開閉




●英マッチボックス・キングサイズ K-24番 ランボルギーニ・ミウラ
全長10cm。ダイキャスト製。1年程度でスピードホイールに移行した後、黄/青などの珍妙なカラバリが出ています。この旧ホイールは数が少ないと思います。リアカウル開閉+前輪ステア・アクション付。






リアカウル開閉




●ランボルギーニ・ミウラのお気に入りミニカー達






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