【東南アジアで「リアルサカつく」!】②僕とカンボジアとの出会い
前回の記事で、「カンボジアンタイガーFC誕生までの歴史」を紹介しました。
今回は、僕とカンボジアとの出会いを紹介したいと思います。
僕が最初にカンボジアを訪れたのは2005年の春。
バンコクからバスで17時間かけてシェムリアップ目指し、タイとの国境の町ポイペトに入った瞬間、世界ががらりと変わり、ゴミだらけの川で裸の子供達が遊び、歩いていると物やお金をせがまれ、町中では赤土が舞い、途中の悪路にうんざりした。
国境を越えただけでこれほどの衝撃的なインパクトがあった国は55ヶ国訪れた現在でもここだけ。
そんな光景に驚きながらもシェムリアップではアンコールワットに感動し、カンボジア人の優しさに触れて大好きになり、その年だけで3度も訪れた。
カンボジア最大の魅力はアンコールワットでも物価の安さでもない。どんなに困難でも人々が笑顔を絶やさず、楽しそうに生きているその姿だと思う。
だから僕は彼らのこの笑顔に出会うためにこれまで何度もカンボジアを訪れたのだろう。
そして、初めて訪れた時
夕方、学校に行けない子供たちがお寺に集まり、お坊さんが先生として日本語や英語などを教える簡易的な学校へ行く機会があった。
そこで授業を務める機会があり、そこで子供たちに「みんなの夢は何ですか?」という授業をすることになりました。
子供たちの回答は皆、「旅行のガイドさん」、「バイタクの運転手」の2択のみだった。
旅行のガイドさんといっても僕らの想像するようなガイドさんではなく、当時は観光地で勝手についてきて説明し、お金を請求するような一種の半分詐欺のような形のガイドである。
しかし、この時のカンボジアは、内戦の影響で国内で食べ物や物を生産する知識も技術もなく、収益のほとんどが観光によるものだった。
この時、僕は思った。
日本は、90年代に野茂英雄や中田英寿のような先駆者が出たおかげでサッカーも野球も世界で戦えるようになった。
カンボジアもいつか、スポーツを通じて一人でも先駆者を生み出すことができれば、皆それを目標にすることができる。
カンボジア人は外国人から物をもらうことが定着している。
スポーツに限らず自分達で価値を生み出すことができれば、彼ら自身で「努力すれば夢は叶う」ということを知ってもらことができるのではないか。
僕らの使命はまず、その道筋を作ることに違いない。
「よし、今すぐにはできないが、カンボジアを中心とする東南アジアの国々と関わりを持ちながら、いつかこの国のサッカー発展のためになるような仕事をしよう」
この時の僕はそう誓った。
あれから10年もかかったが、僕こうしてカンボジアの地でサッカーを仕事として生活することができた。
夢が叶ったのだ。
だが、これからが本当の戦いだった。
次回はなぜ僕がカンボジアで働くことになったきっかけを紹介したいと思います。
<過去の記事一覧>
・「カンボジアンタイガーFC誕生までの歴史」
・「アメブロ復活!」
今回は、僕とカンボジアとの出会いを紹介したいと思います。
僕が最初にカンボジアを訪れたのは2005年の春。
バンコクからバスで17時間かけてシェムリアップ目指し、タイとの国境の町ポイペトに入った瞬間、世界ががらりと変わり、ゴミだらけの川で裸の子供達が遊び、歩いていると物やお金をせがまれ、町中では赤土が舞い、途中の悪路にうんざりした。
国境を越えただけでこれほどの衝撃的なインパクトがあった国は55ヶ国訪れた現在でもここだけ。
そんな光景に驚きながらもシェムリアップではアンコールワットに感動し、カンボジア人の優しさに触れて大好きになり、その年だけで3度も訪れた。
カンボジア最大の魅力はアンコールワットでも物価の安さでもない。どんなに困難でも人々が笑顔を絶やさず、楽しそうに生きているその姿だと思う。
だから僕は彼らのこの笑顔に出会うためにこれまで何度もカンボジアを訪れたのだろう。
そして、初めて訪れた時
夕方、学校に行けない子供たちがお寺に集まり、お坊さんが先生として日本語や英語などを教える簡易的な学校へ行く機会があった。
そこで授業を務める機会があり、そこで子供たちに「みんなの夢は何ですか?」という授業をすることになりました。
子供たちの回答は皆、「旅行のガイドさん」、「バイタクの運転手」の2択のみだった。
旅行のガイドさんといっても僕らの想像するようなガイドさんではなく、当時は観光地で勝手についてきて説明し、お金を請求するような一種の半分詐欺のような形のガイドである。
しかし、この時のカンボジアは、内戦の影響で国内で食べ物や物を生産する知識も技術もなく、収益のほとんどが観光によるものだった。
この時、僕は思った。
日本は、90年代に野茂英雄や中田英寿のような先駆者が出たおかげでサッカーも野球も世界で戦えるようになった。
カンボジアもいつか、スポーツを通じて一人でも先駆者を生み出すことができれば、皆それを目標にすることができる。
カンボジア人は外国人から物をもらうことが定着している。
スポーツに限らず自分達で価値を生み出すことができれば、彼ら自身で「努力すれば夢は叶う」ということを知ってもらことができるのではないか。
僕らの使命はまず、その道筋を作ることに違いない。
「よし、今すぐにはできないが、カンボジアを中心とする東南アジアの国々と関わりを持ちながら、いつかこの国のサッカー発展のためになるような仕事をしよう」
この時の僕はそう誓った。
あれから10年もかかったが、僕こうしてカンボジアの地でサッカーを仕事として生活することができた。
夢が叶ったのだ。
だが、これからが本当の戦いだった。
次回はなぜ僕がカンボジアで働くことになったきっかけを紹介したいと思います。
<過去の記事一覧>
・「カンボジアンタイガーFC誕生までの歴史」
・「アメブロ復活!」