「もう・・良くなったの、」
斯波はまたボソっと言った。
「え・・?」
絵梨沙が顔を上げた。
「・・この前。 具合が悪かったんだろ、」
斯波はあさっての方向を見ながら言った。
「どうして・・」
絵梨沙は驚いた。
「や、別に。」
斯波はやっぱり多くを話さない。
「あ・・・もうすっかり良くなりました。 熱を出したのが初めてだったんで・・・心配だったんですけど。 お義母さんもいてくれますし。 真尋はあんまり頼りにならないんですけど、」
絵梨沙はなんだか嬉しくなってニッコリ笑ってそう言った。
「あー・・っそ、」
斯波はわざと興味がないような風に言ったあと
「・・・このまま・・きみが専業主婦になっていくのかって・・ずっと思っていた、」
斯波はボソっとまたも意外なことを口にした。
「え・・・」
「NYに拠点を移して。 評判もすごくよかったのに。 ・・まあ、確かに厳しい批評をするヤツらはいたけど・・そんなのはもう誰だってあることで。 そのまま・・消えてしまって。 業界では恋人の北都の息子のトコに行ったって・・噂されてたし。 ほんと・・もったいねえなって、思ってた。」
斯波は絵梨沙に背を向けてそう言った。
「・・斯波さん、」
絵梨沙も竜生を抱いて立ち上がった。
「もう戻ってこないと思っていたから。 ピアニスト・沢藤絵梨沙は。」
すごく
すごく
胸の奥が熱くなった。
「北都マサヒロは沢藤絵梨沙の足元にも及ばない存在だったのに。 今じゃ、あいつは世界でも注目されてる若手ピアニストの一人だ。 ヤツは天才だって・・おれも思う。 あんなピアノ、世界中探しても弾けるヤツいないって思うし。 でも、沢藤絵梨沙だって、あのまま続けていたらきっと世界で名を馳せるピアニストになっていたことは間違いないから、」
そんな風に思ってくれていたなんて。
全然思わなかった・・・
絵梨沙は半ば呆然と彼の言葉を聞いた。
「だから。 何だかイラついちゃったのかもしれない。 あんたがあんまりに欲がなくなってしまったことが。」
絵梨沙はひとつ深呼吸をしてから
竜生をぎゅっと抱きしめて
「あたし・・・。 今、ほんとに幸せなんです、」
いつものようにか細い声で言った。
「え・・」
斯波はようやく彼女に振り返った。
「真尋と結婚して。 こうして・・彼の子供を産んで。 ピアノばっかりで生きてきたころよりも、今のほうが何倍も幸せなんです。 片手間って言われたらそれまでなんですけど、もう楽しむピアノしか弾きたくない。 桜庭さんとのセッションも・・本当に楽しくなってきました。 斯波さんが情けないあたしを叱ってくれたおかげです、」
素直に斯波に感謝することができた。
斯波はそんなことを言う絵梨沙にまた動揺丸出しにして
「・・・じゃあ、」
と、プイっと顔を逸らせてそのまま行ってしまった。
絵梨沙は首を傾げた後、なんだかおかしくなってクスっと笑ってしまった。
斯波の思いやりのある言葉に絵梨沙はジンとします・・・
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