長崎から福岡に戻り翌日の朝、ふと思い立って筥崎宮へ。
ここは初めてです。
筥崎宮と言えば、
「敵國降伏」
>「敵国降伏」の真の意味は、
武力によって敵を降伏させる(覇道)ではなく徳の力をもって導き、
相手が自ら靡き降伏する(王道)という、我が国のあり方を説いているのだそうです。
そういえば2月の霧島の帰りに、
やはり福岡の香椎宮という所に寄りました。
どうしても廣田神社の前にこちらに御挨拶をしておきたかったのです。
あの日は鹿児島が吹雪で、香椎も多少吹雪いていて
こちらも初めての場所でウロウロ迷ってしまって、
こちらも初めての場所でウロウロ迷ってしまって、
最初に辿り着いた所がこちらでした。
「古宮」
>仲哀天皇の営んだ仮宮「橿日宮(訶志比宮)」の伝承地で、仲哀天皇の廟跡と伝える。
大正4年(1915年)までは仲哀天皇を祀る祠が存在したが、同年に本殿に合祀されている。
なんだかこちらの場所こそ、
ジャジャジャジャーーンってな気分でした
私は後から詳しく調べるほうなので(行ってみないとピンとこないというか。)
迷っていなければ本殿だけでこちらは気づかなかったと思う。
仲哀天皇は倭建命の第二皇子です。
仲哀天皇の棺を掛けたという神木「香椎」(棺掛椎<かんかけのしい>)
竹内宿禰は360歳までこの世におられたそうです。
きっと真摯に徹底して神の道を貫いていた人なのかも。
本当に本当に現世での御活躍ご苦労様でしたと手を合わせました。
香椎宮の綾杉
素晴らしい。ここには何度も見に行きたくなります。
「とこしへに本朝を鎮め護るべし」と祈りこめられてお植えになった杉です。
神木綾杉
『綾杉は本宮の神木で、神功皇后が三韓より帰られて、ここに三種の神器を埋めて、その上に杉を植えて、「後世の人が杉のように真っ直ぐな心で君に仕えるならば私はその人を必ず守護する。後代までも我が霊をこの杉に留めて異国を降伏する。」と誓われた。
それからこの杉が繁茂していったが、その葉が他の杉とは違って海松(みる=海草)の房のように葉が交わって綾の紋のようになっているので綾杉という名がついた。』
『綾杉は本宮の神木で、神功皇后が三韓より帰られて、ここに三種の神器を埋めて、その上に杉を植えて、「後世の人が杉のように真っ直ぐな心で君に仕えるならば私はその人を必ず守護する。後代までも我が霊をこの杉に留めて異国を降伏する。」と誓われた。
それからこの杉が繁茂していったが、その葉が他の杉とは違って海松(みる=海草)の房のように葉が交わって綾の紋のようになっているので綾杉という名がついた。』
本殿を参拝した頃から雪が止んで太陽が出てきました
木と木の隙間から太陽が見えます
十六八重菊
香椎までの電車の旅もなかなか楽しいですよ
すべて回れていなかったので、またいつかゆっくり行きたいと思います。
話は戻って筥崎宮です。
御祭神は、応神天皇 神宮皇后 玉依姫命
(この神社は撮影はOKだけど本殿のSNSなどの投稿は禁止されています)
御神木「筥松」
>応神天皇が生まれた時の御胞衣(えな)を筥に入れ、
この地に納めたしるしの松と言われ、社名の由来にもなっています。
いつまでもこの地が平和でありますように。