オードリー・ヘップバーン のチョコレートケーキ | 日々のダダ漏れ

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グレーテルのかまど (5月10日放送)
オードリー・ヘップバーン
のチョコレートケーキ




20世紀を代表する女優、
オードリー・
ヘップバーン。



1961年の公開の映画、
「ティファニーで朝食
を」。
ニューヨークを舞台に、自由奔放に生き
る女性を
描き、世界中を虜にしました。そして、
女優としての地位
を不動のものにしたオード
リー。
しかし、彼女の一番の望みは、母にな
ること。
愛情に満ちた家庭を築くこと。

やがて、その夢が叶い、二人の息子を出産。
ハリウッドスターの座を捨て、ごく普通の母
として
生きることを選びます。そんなオード
リーが、
子ども達の為に作ったスイーツが、
チョコレートケーキでした。

息子、ルカ・ドッテイさんが、
母のチョコレートケーキへの想いを語ります。



(ルカ・ドッティ)
家族誰もが、このしっとりしたケーキが大好
でした。母にとっては幼少期のある記憶と
つながっているのです。

今回は、オードリー・ヘップバーンが、手作り
チョコレートケーキに込めた想い、そして、
としての素顔に迫ります。

**********

イタリア、ローマ、1970年代にオードリーが子
供達と暮らした街。今も、この町に住む次男
ルカ・ドッテイさん夫妻を訪ねました。オー
ドリーはどんなお母さんだったのでしょうか?

(ルカ・ドッティ)
時間をきちんと守る人で、誰からも信頼され
いました。とても大切な事を教えてくれまし
が、息子の僕らにとっては、その生真面目
さは
少し窮屈だったかな・・・。でも、学校へ迎
えに来てくれたり、恋の悩みを
聞いてくれたり、
母は、とにかく僕たちのことを
一番に考えてく
れていました。

躾には厳しくも、やさしい母。
そんなオードリーが子供達の為に手作りした
スイーツが、チョコレート
ケーキでした。



(ルカ・ドッティ)
母の作るチョコレートケーキが大好きでした。し
っとりしていて、砂糖の加減で甘くも苦くもあっ
て、
僕達兄弟の好みを母はよく知っていました。

子供の誕生日や、友達が遊びに来た時に、オ
ードリーが、腕をふるったチョコレートケーキ。
母である喜び、子供達への愛情を、噛みしめ
ひとときです。

オードリーのチョコレートケーキは、今、ルカさ
んの妻、ドミティラさんに受け継がれています。



(ルカ・ドッティ)
これはもともと母が使っていた鍋なんですよ!

オードリーが、大切に使っていたという湯煎用
の鍋。ちょっと変わった使い方をしていたそう
です。
湯煎といっても、上の鍋をお湯に直接つ
けず、
蒸気で溶かすやり方。こうすると、チョコ
レートの
風味が活かされ、焦げ付くことはない。
母はそう言って、いつも
丁寧に作ってくれたと
ルカさんは言います。
ルカさんが、冷凍庫から
取り出したのは、泡立て器
の先と、生クリーム。
少しの間冷やしておくことで、
よりきめ細かい生
クリームになるんですって。
オードリーは、こん
な細やかな工夫をしていたんですね。

(ルカ・ドッティ)
余った生クリームを、こうやってなめるのが
好きだったんです。

小麦粉を入れず、甘さを抑えたピュアなチョコ
レートケーキ。焼きあがったら、粉砂糖
を振り
かけます。オードリーのこのレシピは、
ルカさ
んが、今回初めて公開してくれたもの。
きめ細かく泡立てた生クリームをたっぷり
えて、母の愛情がぎゅっとつまった
チョコレー
トケーキです。

ルカさん、お味はいかがですか?

(ルカ・ドッティ)
懐かしい母の味がします。

**********



オードリーは、1929年、ベルギーのブリュッセ
で、裕福な家庭に生れました。しかし、母親
躾に厳しく、オードリーは、抱きしめてくれる
人を
探して、屋敷の中を歩き回っていたと、後
回想しています。



6歳の時、
両親は離婚。父親は、母とオードリ
ーを置いて、家を出ます。
オードリーは、その
寂しさを紛らわせるように、
いつしか、爪を噛
み、チョコレートを食べるのが、
癖になったと
いいます。

10代半ばのオードリーに、第二次世界大戦
が襲います。
敵から逃れ、地下室に身を潜
める日々。チュー
リップの球根を食べるほど
の貧困を味わいます。

1945年、終戦を迎え、自由の身となったとき、
連合軍の兵士が彼女にくれたのが、チョコレ
ートバーでした。

(ルカ・ドッティ)
母はいつも、そのチョコレートバーの話をして
いました。母にとってチョコレートは、“解放”
の象徴だったのです。それは、この先も生き
いけるんだという意味だったのでしょう。

オードリーにとって、幼いころから心を癒して
くれたチョコレートは、生きる希望の象徴とも
なったのです。

**********



戦後、進むべき道を模索していた彼女が辿り
ついたのが、女優という仕事でした。

1953年公開の「ローマの休日」。



全く無名の
オードリーは、ヒロインに抜擢され
ます。
王女と新聞記者の、切ない恋の1日を
描いた
この映画で、アカデミー賞主演女優賞
を受賞。
スターダムへの階段を駆け上りなが
らも、
ずっと彼女が心に抱いていたこと。それ
は・・・、
母親になること。愛情に満ちた家庭を
築くこと。

**********

女優として、絶頂期を迎えていた1960年、長
男・ショーンを出産。母になるという夢を叶え
た瞬間
です。しかし、一方で、夫との家庭生
活は長く
続かず、離婚。



そして1969年、イタリア人医師、アンドレア・
ドッティと出会い、二度目の結婚をします。



その翌年、次男・ルカを出産。家族4人、

たな生活をスタートさせました。

(ルカ・ドッティ)
幼い頃に父親と離別し、戦争で家を失ったこ
とが、母のトラウマになったんです。だから、
幸せな家庭を持つ事を強く
望んだのでしょう。

息子達への愛情の証。
それが、オードリー・ヘップバーンの、チョコ
レートケーキだったの
です。



**********

イタリア、ローマ。オードリーが女優ではなく、
普通の母として、主婦として暮らした街です。
変装することもなく、素顔のままで買い物を
し、街の人々と気さくに会話をしていたといい
ます。自宅近くに住んでいた人は、オードリ
ーの印象をこういいます。

(近所の酒屋 ディ・フェリーチェ・ドメニコさん)
よく犬の散歩をしていたよ。
でも、会ったときは気さくに挨拶してくれたよ。


八百屋さんで、品物を一つ一つ吟味している
姿を見かけたわよ。




人々から、「シニョーラ」、つまり、「奥さん」と
呼ばれ、平凡な一人の主婦として、ローマの
街に溶け込んでいました。

**********

街の中心にあるティールームが、彼女のお
気に入りでした。



創業100年を超える、クラッシックな佇まい。
店にはオードリーのサインが残っています。



サンキュー
オードリー・ヘップバーン・ドッティ


(オーナー キャーラ・ベディーニさん)
女友達と来て、紅茶やホットチョコレートを
楽しんでいましたよ。


ホットチョコレートを飲みながら、どんな話を
していたのでしょうか。子育てのこと、家庭の
こと。しかし、実は幸せのはずだった家庭に、
再び
亀裂が生じていたのです。



結婚当初からの、夫の度重なる、女性問題。
オードリーの心は、不安と猜疑心で、揺れ動
いていました。

そんな彼女の引き出しには、いつもチョコレ
ートがいっぱいでした。幼いころに、心の隙
間を埋めてくれたチョコレートを、思い出す
かのように。

(ルカ・ドッティ)
母はチョコの数を把握していたから、こっそ
り食べて怒られたこともありました。


「食べてはいけないわけではないけど、食べ
たらちゃんと言ってね。だって、引き出しを開
けて私のチョコがなかったらがっかりするで
しょ」


何とか守ろうとした、幸せな家庭。二度目の
夫との生活も、やがて終わりを告げました。
しかし、彼女のもとには、愛する息子たちが
残ったのです。



**********

オードリー・ヘップバーンが、息子たちへの
愛情を込めて手作りしたチョコレートケーキ。
チョコレートの、ピュアな美味しさに、雪のよ
うなメレンゲが加わって、やさしくも濃厚な、
母の味です。



**********



オードリーの自宅近くにあった花屋さん。週
に二度は訪れていたという、この店のご主人
が、とっておきの思い出を教えてくれました。

(店主 イオヴォネ・ルチアーノさん)
うれしかったのは私の娘が生まれた時、
洋服をプレゼントしてくれたことです。



オードリーがプレゼントしてくれたという
洋服を着た娘さんの写真です。

親になることの喜びを、人一倍知っている、
彼女ならではのやさしさ。

オードリーが、毎週買っていた花が、
このマーガレット。



可憐でありながらも、雑草のような、強い生
命力を持つこの花を、いつも、家に飾ってい
ました。

(ルカ・ドッティ)
なぜ花が好きなのか、母はよく語っていま
した。凍てつく冬を過ごし、春に再び、つぼ
みをつける。それは人間が、困難な時期か
ら立ち直る力と同じだと。

 
人生の困難に出会っても、立ち直る力を持
つこと、それは、オードリーの生き方そのも
のでした。晩年の、ユニセフ親善大使とし
ての活動は、困難な境遇にある子供達へ、
生きる希望を与えることでした。



愛情に満ちた家庭を追い求め、母になるこ
とを望んだオードリー。彼女は、幾多の苦し
みに遭遇しても、決して、生きる希望を失い
ませんでした。

オードリー・ヘップバーンのチョコレートケー
キ、それは、息子達、そして、オードリー自
身の幸せが、しっかりと、詰まったものだっ
たのです。



**********


オードリー・ヘップバーンは、ローマの休日での
彼女の美しさが心に残って、とても好きな女優
さんです。本物のお姫様のような品格と美しさ、
華奢な身体は理想的というか、こんな人が現実
に存在するのかと思うような、美しい女優さんだ
と思います。そんな彼女が、実は愛情に飢えて
いた人だったのは、意外でしたが、トップスター
になる人には、そういう人が多いような。無意識
のうちに、たくさんの人の愛情を、視線を求めて、
スターになるというか。抱きしめてくれる人を探し
て屋敷の中を歩き回っていたという小さなオード
リーがそこにいたら、ぎゅっとしてあげたかった。
彼女は、自分がそうして欲しかったように、自分
の子供たちに愛情たっぷりに接していたのでし
ょうね、きっと。寂しい思いはさせたくなかったか
ら、普通の母親になって暮らしていたのでしょう。

寂しさを癒してくれたチョコレート、人間が困難な
時期から立ち直る力を感じさせてくれた、可憐な
マーガレット。オードリーが好きだった、大切にし
ていたものたちは、彼女の凛とした姿を想わせて
くれます。久々に、「ローマの休日」を観ながら、
チョコレートケーキを食べたくなりました(*^。^*)


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