ルアンターマハーブア僧の本葬 | KhonKaen徒然日記

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少々早めのリタイヤを決断。タイ人女房とのイサーンの日常をお伝え出来ればと思います。


我が家のテレビはパソコンと接続されインターネット経由にてタイのテレビが観れるようになっています。


テレビが大好きな女房、いつもなら寒いからと毛布を被りトドの如くゴロリと横になりテレビを観ているのですが、昨日の女房は何やら正座をしてテレビを観ている(汗)


さてどうしたのかと?と聞いてみると、先週の土曜日、5日の日にウドンタニー県のバーバーンタート寺に於いてシリキット王妃様の主催にて開催されたルアン・ターマハーブア僧の葬儀の模様の録画中継を観ていたのでした。


先般の渡タイの際に我々もこのお寺に高僧のタンブンに訪れましたがいよいよ本葬が開催されたようです。

先般のタンブンの様子はこちら→http://ameblo.jp/pie-nuwatto/entry-10812690008.html


高僧の遺志により葬儀は質素に・・・との事、KAZから見ますと充分に豪華絢爛な葬儀と思いましたが女房が言うにはタイで一番の高僧の葬儀としたら全然質素との事。


さてその高僧の葬儀にあたりテレビで紹介されていた高僧の話しを紹介させて頂きます。


但し女房のタイ語は小学生レベルですので(汗)間違った処もあるかも知れませんので悪しからず御了承下さい。



・仏は全ての人間の心にあるものであり他にあるものではない。


・阿呆も仏の決まりの中に居れば幸せになれる。頭が良くても仏の決まりから外れれば不幸になる。


・不幸な出来事に出合い心が揺れた時、その心を揺らす風は自らが造った風です。自らの力で治める事です。


・偉い人間も金持ちも最後は死を迎え、そして燃やされる。


・私のお寺には塀が無い。(但し最近は造ったらしい)仏門に入るには入口は不要です。どこから入っても、何がきっかけでもよいのです。


・都会の中に居るから欲が出る。自然の中に居れば欲は不要です。そして都会の中で欲に溺れた人も自然の中の無欲な人もどちらも同じ人間です。


・一日に5回、瞑想の時間をつくり自分に正直になりなさい。そして死を迎え土に還り、水に還る事を想いなさい。そうすれば欲は無くなります。


・美味しい物を食べても決して長生きする訳ではありません。


・私はプラクルアン(お守り)は造りません。悪い出来事があればそれに正面から立ち向かって下さい。お守りが守ってくれる訳ではありません。




他にも数々の話しが有ったのですが・・・残念ながら通訳が間に合いませんでした(汗)


シリキット王妃、ジュラポン王女を始めとする王族一族、アピシット首相、そして閣僚や多くの議員達、変わった処では俳優のソーラポンさん御夫妻も献花、焼香。


それらの代表者を始め数万人に及ぶ一般参列者が見守る中でルアン・ターマハーブア僧は荼毘にふされました。


その遺骨は今後タイ全土の100カ所のお寺を廻るような事を言っていたようです。




全ての儀式が終了した後、荼毘の際に飛散した灰を探すべく地面に顔を摺りつけるようにして探し回る多くの人々。タイの人々の信心深さを垣間見間ました。



下衆な話しですが高僧とバーバーンタート寺の資産は億を軽く超えると言われているそうですが遺言によりその殆どを国に寄付。


電気も水道も無いお寺。


その中で自らも小さな一部屋しかない質素な家に住み、このお寺で修行中である他のお坊さんはなんとビニールシートで囲われただけの小さな小屋に住んで修行している様子でした。


女房の話しによればタイの仏門には修行の仕方により二つの流派?が有るそうです。


「タマユッ」と呼ばれる実践派。


無欲になることが仏の道との考えだそうです。


この流派は寺院を始めその施設を自らの手で開墾し建設するそうです。


もうひとつは「タマニカイ」


こちらは言うなれば学識派。お釈迦様の経典を勉強することが仏になる道との考えだそうです。




ルアン・ターマハーブア僧はまさに「タマユッ」の最高僧だったようです。



高僧の数々の良いお話し。


聞けば「なるほど~」と思いますが・・・・なかなか自分自身では出来る事ではありませんよね。


KAZも今後はタイに住む身。


少しでも無欲の境地に近付ければ・・・と思います。




ルアン・ターマハーブア僧に「合掌」






追記 


hyoutankunさんが御自身のブログにて葬儀の様子を紹介されております。


http://ameblo.jp/bangkok-asemamire/entry-10821093633.html


この写真の中で祭壇の上に掛けられた大きな傘。

高僧は42年間に渡りこの寺院から出る事無く多くの僧侶を育ててきたそうです。

それを讃えてこの傘は42本の骨組で作られている・・・と言っていたそうです。