回想旅日記 〜熊本県「中世」人吉城〜 | 旅するカメラ

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一般に「人吉城」と言うと近世人吉城の事を指すと思うのだが、
その近世人吉城の東側一つ向こう側の丘に『中世人吉城(原城)』がある。

中世人吉城


現地の案内板によると本城だったのは「上原城」。
その北側に「中原城」、東に「下原城」と広がり、近世人吉城の本丸と二の丸の一部あたる「内の御城」と
複数の郭で形成されていた。
その規模は東西1km、南北0.5kmに及び麓集落も含めれば約40万平方メートルの城容だったと言うから
かなり規模の大きな中世城だったと思われる。

近世人吉城の武者返し石垣の下にある地図に従い中世人吉城を目指し歩いて行く。

地図

麓馬場のまっすぐに延びる道を歩いて行くと途中から山道に突入。
多少不安にかられるがそのまま少し坂道を上ると『中世人吉城』の看板を発見。
意外とすぐに見つかりほっとするが、その案内板から道が二手に分かれている。
左側の階段を登ってみたがなにやら記念碑の様なものが建っており「ここは違う??」と思い引き返し
反対側の坂道を少し登るが道が荒れに荒れ果てておりそれ以上先に進む事は困難だった。
・・・いや、頑張って草木を踏み分ければ入って行けない事も無いが一人だったのでやめてみた。

道

いったん引き返し現地の案内板の地図と見比べてみるがどこが本丸だかこの日はよく分からなかった。

遠景



で、後日インターネットで色々調べているとどうやら先に登った右側の記念碑が建っていた付近が本丸っぽい。
しまった。
ここは違うと思い写真も何も撮らなかった。

しかも、麓馬場から山道に入った付近がどうやら空堀の中だったらしい。
空堀の底部分を歩いていたらしいのだ。
しまった。
ここもアスファルトで舗装されていた為よく分からずに普通に通り過ぎてしまった。

うーん。
所詮素人なので「ここが堀切ですよ。」とか「こっちに行けば本丸がありますよ。」と言った親切な案内標識が
ないとよく分からない。
近世人吉城は奇麗に整備されており案内標識もふんだんにあり分かりやすかったのだが、
中世人吉城はどうやら放ったらかしのようだ。
できれば中世人吉城の方も少し整備していただけないものだろうかと思った次第だった。

よし。
また人吉へ行こう。

ああ、こうして行かなければならない場所がまた一つ増えて行くのであった。エンドレス。