マスクって。。 | LOVE & PEACE

LOVE & PEACE

スピリチュアルな毎日

ここ最近。

 

やたらと マスクをするしないに

ついての あれこれを目にするような

気がするんだケド。

 

そんなことない?

 

phaballaの見るところが

そういうところばかりなのかも

しれないんだけれど。

 

とにかく なんかスッキリしない

というのか。

 

あれこれと思いが出てくるというのか。

 

 

ということで。

 

今日は その辺りの話を書いて

いこうと思うよ。

 

 

 

 

 

 

まず一つには

マスク警察的な 絶対を気にして

いる人の話。

 

マスクすることが絶対に必要!!

だから みんなするべき~!!って

いう感じの。

 

後は マスク神話とか。

 

マスクをしていれば とりあえず

安心だし 決まりを守っている感

があるから これでいいよねぇ的な。

 

みんながしているからする方が

問題ないよねぇ的な。

 

 

それから。

 

その反対に 何の意味もない

マスクなんて つけてる方がバカ

なんじゃいの?的なやつとか。

 

我慢して みんなでマスクしてる姿は 

ある意味 全体主義的な

洗脳的な B層的な 気持悪い系な。

 

そういう感じの話。

 

 

 

 

 

 

う~ん。

 

どうなんだろう?

 

ま 確かに 欧米なんかの

元々マスクが習慣にない国の

マスク義務化とか。

 

日本でも 皆がマスクしている姿

が 変だよねっていうのは

 

共感できるものでもあるケド。

 

 

 

 

そもそも というか。

 

外国はさて置き。

 

花粉症とかで ある時期には

マスク率高いという お国柄の日本だし。

 

上に書いたような理由な人の他に

「人に迷惑が掛かる」とか

「他の人が嫌な気持ちになる」とか。

 

どちらかというと 他者を思いやる

気持の人が多い気もするというか。

 

上に書いたような感じの

マスクに そこまでかき回されてる

人いるのかな?と疑問もあるというのか。

 

 

 

phaballaも

外出するときは マスクをするし。

 

それは

みんなと一緒とか 安心とか

そういうものではなくて。

 

エチケット的なものとか

 

行く場所が 病院の付き添いや

スーパーなんかが中心で。

 

その方がメンドクサイくないから

っていうのがある。

 

 

夏の暑い日なんかは

外を歩くときには マスクを外して

歩くけど 建物の中とかでは

マスクを着けていたり。

 

今は マスクのお陰で

寒くないみたいな。

 

 

そんな感じで。

 

phaballaの場合は我慢する

しないという問題はあまりなくて

 

必要な時にする感じなんだけれど。

 

 

 

だし。

 

すでに マスクで 遊んでいる人

がいるというか。

 

色々な柄マスクとか出てきたり

より 心地よいマスクとか。

 

何か それはそれで楽しんでる人

いるよねぇ。

 

マスクして YouTubeって人も

元々いたりするし。

 

マスク文化?みたいな。

 

 

 

 

 

といいつつも。

 

そういえば 少し前に

幼馴染と電話で話した時に

 

彼女の会社でも 一日中マスク

着用で 辛いという話を聞いた

ことがあって。

 

(あれ?もしかしたら 過去記事にも

 書いたかも。。。)

 

やはり 「我慢」しながらマスク

をしている人も多いことを知った

というのか。

 

ある意味の 強制的なものがあって

「我慢」する。

 

 

で。

 

彼女は こうも言った。

 

「マスクするのが 辛いから

 早くワクチン打ちたいんだよね。

 注射打ったら マスク外せるんだよね?」

 

これ phaballaには 

結構 衝撃だったんだケド。

 

マスクの強制化で ワクチンは

自ら打つ人が結構いるのかも

しれない。

 

これぞ 支配者層の思うツボ的な。

 

 

 

 

 

 

 

ま そういうことで。

 

マスクするから○○とか。

しないから△△とか。

 

そういう見方って 疑問だな

というのか。

 

見渡すと マスクしていないのは

私だけ~

 

なんでみんな 洗脳されてるの?とか。

 

逆に

 

マスクしてない奴は 反逆罪だ~的

強制とか。

 

 

そんなことで 判断するのって

何か おかしくね?というか。

 

一つの指標には成り得るけど

あまりに 表面的すぎるという。

 

色々な 意味や 考えがある

人たちがいるわけで。

 

 

 

 

phaballaは超絶アレルギー持ちで

もちろん花粉症でもあって。

 

phaballaの場合は マスクよりも

薬を飲むことで 抑えていて。

 

でも 友人の中には

マスクでしのいでいる人も多かったし。

 

だから どうのこうのなんて

なかったわけだし。

 

マスクすることで 抑えられるなら

それに越したことはないよね。

 

 

 

 

同じように というのか。

 

新コロナが 大したことないとか

日本人はすでに免疫があるとか。

 

色々な意見や研究があって。

 

でも 本当のところは いまだに

分からない中で

 

掛かると その後どうなるのか?

っていところも いまだにハッキリ

しないわけで。

 

 

他の病気と同じレベルじゃね?

ということだったとしても

 

掛からないに越したことはない

というのか。

 

インフルエンザも 普通の風邪も

普通の肺炎も

 

掛からない方が良いわけで。

 

 

 

マスクしたから掛からないわけ

でもないだろうケド。

 

そういう 一つの方法ならアリかも

しれないというのか。

 

別に それ以上でもないというのか。

 

 

ふ~ん。

 

それで終わり。

 

みたいな。

 

 

 

あとは

 

新コロナに 恐怖を感じていて

その恐怖が マスクで軽減するなら

それはそれで アリというのもある。

 

そんな恐怖を どれだけの人が

感じているのかは 分からないケド。

 

 

というのも。

 

phaballaの住んでいる 地方の

小さな町でも

 

小さいながら イベントを打って

集客するということをやっているけれど。

 

そこそこの人が集まるのは

新コロナになっても  あまり変わらない

気がするというのか。

 

新コロナが出始めの 春ごろに

比べれば

 

割と 普通に人が集まっているし。

 

もちろん みんなマスクしてるけど(笑)

ワイワイ楽しくやってるみたいな。

 

 

本当に恐怖感があるなら

そんなに出かけないよね?みたいな。

 

それこそ マスクしてるし大丈夫じゃね?

的な雰囲気というのか。

 

 

マスクしなくちゃいけないとか。

マスクしなくていいとか。

 

そこまで考えて無さそうな。。。

 

 

 

上から言われたから

みんなが そうだから

 

そういう考えはあるかもしれないケド。

 

そして それが問題でしょ?って

いうのも分かるケド。

 

 

そんなこと言いだしたら

 

そもそも そういう世界じゃないの?

という感じで。

 

服の流行や アイドルや

音楽や 本に至るまで

 

人気があること ポピュラーなもの

が幅を利かすみたいに

 

言い出したら切りがないほど

埋め尽くされているし。

 

そういう意味において

日本という国ほど 「個」の意識が

低い国は無いかも?ぐらいの。

 

 

もちろん 世界の国も ある意味

同じかもしれないケド。

 

どちらかというと もっと癖がある

というか。

 

こだわりとか 個性とか

それが認められているところがあるし

 

日本とは 少し違う気がする。

 

 

ま その辺は どうでもイイんだけど。

 

 

 

 

 

 

という感じで。

 

表面的なものに 左右されるより

本質的なものが しっかりすれば

問題ないんじゃないかと。

 

マスクするしないも

ある意味 どっちでもイイんじゃね?

という感じの。

 

問題は 内面や精神的な部分で

マスクしているかどうかみたいな。

 

 

 

マスクをするしないって

どちらの側からでも問題視している人って

 

もしかしたら ある意味での「絶対」を

求める心が強いのかもしれないなと。

 

 

 

思い出すのは

 

少し前に 知人と話をしていて

 

その人は ジャッジが強い

所のある人で 支配されることを

気にしていたんだよね。

 

私たちの世界が すでに「支配」を

受けているという話だったんだケド。

 

で。

 

物理的な支配と 精神的な支配

があるよねって話になった。

 

もっというと

 

目に見えない世界が先にあって

それが 物理世界に現象化してくる。

 

ということは 精神的な支配を

受けるかどうかで

 

物理的な世界が変化してくる。

 

そういうことよねと。

 

 

 

支配っていうと

今でいう ディープステートとか

世界の支配者とか。

 

そういうイメージだけれど。

 

その闇とか陰の支配者が

何をしているのか?っていうと

 

恐怖支配というのか

精神の不安を煽ることで支配

するみたいな。

 

不安だから 依存するし支配されることを

選ぶみたいな話で。

 

 

だからこそ 「自立」というか。

 

マスクをするしないよりも

そっちの話だし。

 

表面的な するしないジャッジを

するのは 「絶対」を求める心というか

正しさを求める心というのか。

 

これぞ 二極的な思考というのか。

 

自分たちが正しい。

という対立を生んでいく心。

 

このジャッジは 支配と結びつく。

 

外側の正しさに依存する心。

その正しさを押し付ける心。

 

そんな気がする。

 

 

 

 

 

精神的に支配を受けないなら

物理的にも支配されない。

 

それは 自分で選んだ結果となる。

 

自立して 選ぶのなら

それでイイよね。

 

 

そう。

 

その段階に来てる人にとっては

それでイイ。

 

ただ

 

そうじゃない段階の人が

どうするのか?って話がある。

 

 

 

ここで 想うことは

 

その人にちょうどいいレベルで

その人の選択の自由があるということ。

 

その人が自ら気が付かなければ

変化は起こらない。

 

無意識下で 支配されている

ということもあるケド

 

無意識下で 依存しているという

こともあるわけで。

 

でも もっというと

 

そういう体験をすることが

ある意味での「人生の目的」に設定

されているかもしれず。

 

何が正しくて間違っているのかなんて

どの視点で見るかによって変化するもの。

 

 

 

 

 

段階っていうと。。。

 

やはりこの世界は色々な段階の人が

ごちゃ混ぜになっているんだろうね。

 

どの段階が上とか下とか

そういう話でもなくて

 

どういう体験をしているのか?

っていう話だったり するんだろうケド。

 

 

 

phaballaも 時間がある時には

よく ネットや動画なんぞのスピ系の

ものを見たりするんだよね。

 

そういうのも 自分が体験したことや

色々学んだことを基準にしながら

 

参考程度に聞いたり見たりする

という感じとか

 

この人は こういう考えなんだな

という感じで 良い悪いはないんだケド。

 

 

もしかしたら あういうものを見る

人の中には 

 

不安とかからの解放や依存型の

人も多いのかもしれないし。

 

間違ってるとか 正しいとか

そういう見方をする人も多いのかも

しれないなと。

 

 

 

何かを求めている段階だけど

根底的なものがあって

 

それが依存的なものや 正しさを

求める心やら 諸々と。

 

 

 

 

何も気が付かず

何にも疑問がない段階から

 

疑問を持ち始めるとか

正しさや 真実を求め始める。

 

 

たぶん

答えは 内側からやってくるん

だろうケド。

 

体験することで答えが見つかって

いくのかもしれないし。

 

人さまざまなんだろうし。

 

そういう中で

質問したり 本読んでみたりする。

 

自分のネガティブやポジティブと

向き合ったり

 

高次自己なんぞとの交流で

本質に目覚めて行ったり。。。

 

 

 

日本では ある意味

嫌われているかもな宗教も

 

スピ系と同じようなところで

 

自らの意思とか 選択とかで

やっている人と

 

恐怖心からやっている人がいたり

するよね。

 

 

 

だからというか。

 

○○だから □□なんだ。

 

そういうものでもなくて

 

どこの世界でも 本質的なものに

目覚めるのかどうか的な。

 

そういうラインがある気がする。

 

 

 

 

ま そういう感じで

 

様々な世界で 色々なバージョンやら

段階やら ごちゃ混ぜだケド。

 

大きなステップというか

大きな溝みたいなのがあって。

 

そのラインを飛び越えるかどうか。

 

そういう話になるのかもしれない。

 

どの道からでもイイ。

 

そこを超えられるのかどうか。

 

その溝を乗り越えると

見えてくるもの。

 

 

 

 

 

 

ということで。

 

いつものごとく マスクの話から

大きく逸れてしまったけれど。。。

 

やっぱり 今 頭に浮かぶのは

 

「あなたは何を選びますか?」

 

そういう気がする。

 

 

 

気が付いてない人にとっては

 

「えっ?何を?」っていう

一つの疑問を持つ切っ掛けになる

かもしれないし。

 

気が付いている人にとっても

最終的な「自立」を意識することになる。

 

 

 

 

物理的な選択よりも

もっと本質的なものの選択。

 

世界の変革の時代

100年も前から 言われている問い。

 

何を選んでも間違いはないし

 

大切なのは 

どの体験であっても「楽しむ心」

なのかもしれない。

 

 

 

 

あ。

 

もちろん 

苦しみを楽しむって言っても

M体質的なものじゃないよ~

 

これ 話し出すと長くなるから

やめとくねぇ~

 

 

ではでは(^^)/