即興ではない新連載小説;馬酔木のひとびと その一 | peroの根無し放浪渡世日記

peroの根無し放浪渡世日記

バックパッカーで旅仲間からはperoと呼ばれています。金融業➡︎探偵➡︎通信関係➡︎エセ小説家。東京に単身移転後16年余り暮らし、2022年6月に故郷・和歌山へ。妻が他界して8年以上も経つのにまだ生きている。藤井弘司としての著書が数冊有り、密かに文学賞を狙ってます(笑)

この前無理やりエンディングを迎えた「時刻表のないバス停」は、読み返してみるとなかなか面白いので、辻褄が合わない部分などを修正し加筆して、来月の角川さんか光文社へ出すことにしました。

従って、あと一週間ほどで全部削除します。

続いて、今度はある程度プロットのある小説を書きます。マリオ

        馬酔木のひとびと

 一

 馬酔木は「アセビ」と読み、ツツジ科の常緑の低木植物である。馬がその葉を食べると毒にあたり、まるで酔っているようにふらついた歩行になってしまうところから、この植物が「馬酔木」と名付けられたそうだ。

 だが、遥か昔、いきつけの店だった馬酔木は「アシビ」と呼び、カウンター席がふた桁にも届かない場末のバーだった。
 阪急東通商店街を突き抜けた堂山町のはずれにある寂れた商業ビル、行きつけた誰かと一緒でなければ一見客など絶対に訪れないであろう一室に、僕らの愛した馬酔木という店があった。

 僕が最初にこの店を訪れたのは、歴代天皇で最も在位が長かった昭和天皇陛下の下血が報じられるようになった昭和六十三年の秋、歴史的にも大きく変化が続いた昭和の時代の終わりを、人々が心細く感じ始めたまさにそのころであった。

 三十年近くも昔、馬酔木というちっぽけなバーに集まっていたひとびとのことを、僕はふとしたときに何の脈絡も前後関係もなく思い起こすことがある。それは、その時代にある程度社会生活というものが分かってきた年齢の者が、毎日の暮らしの中でのやりきれない思いや喜びや悲しみ、怒りや驚きなどのあらゆる感情を持て余したとき、誰に導かれたわけでもないのに馬酔木のドアを開けて吐き出して帰っていくという不思議な光景をずっと眺めてきたことにも起因している。

 僕は二十代になってすぐに結婚した妻と子供をもうけないまま別れてしまい、自分の身の立場の気楽さに甘えて仕事を転々とした挙句、当時は怪しい金融会社のサラリーマンで、三十二歳にもなって好き勝手な毎日をただいたずらに消し続けていた。

 ある日、以前の職場でときどき飲みに連れて行ってくれた先輩から久しぶりに会おうと連絡があり、仕事が終わってから梅田で落ち合って居酒屋で飲み、そのあと彼が行きつけていた「馬酔木」を初めて訪れた。

「いらっしゃい、藤田ちゃん、毎度~」

 「馬酔木」と書かれた木板が掛かった、かなり古びたドアを開けると、威勢の良い声が奥の方から届いた。でも、奥といっても入口から十メートルも離れていない距離だった。
 店には女性ふたりの先客がいた。藤田先輩は彼女たちともこの店で顔なじみのようで「こんばんは~、夏も終わってしまいましたね」と声をかけていた。

 この物語はこの夜の出来事からはじまる。

つづく・・・


※小説でも書かないとこころが落ち着きません。


◆休みの日 ・・・ミスターチルドレングッド!