何故か東南アジアで小説暮らし・リハビリ編

何故かゲストハウス暮らし➡︎何故かゲストハウスで小説暮らし➡︎そして今回の、何故か東南アジアで小説暮らし・リハビリ編 (読書と小説書き、散歩とトレード&ときどきのビールの日々)


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妻が次の世界への旅立ったとの連絡が、三日前の午前中に長男から届いた。

すべての予定を投げ捨てて駆けつけないといけないと思ったが、もう葬儀は妻の意思によって限られた人たちの間で行われたとのことだった。

その限られた人の中に僕が入っていないのは、彼女の僕への憎悪の度合いを物語っている。

しかも、亡くなったのはもう三ヶ月以上も前のことだという。

僕は妻が嫌いで離婚したわけでもなく、離婚理由をひとつだけ挙げろと言われれば、僕の事業失敗が発端である。

街金業を廃業後、早朝の市場でのバイトのあと、新たに就職した探偵調査会社へ出勤するという日々がしばらく続いた。

一億円を超える負債は法的整理をしたが、生活資金や個人のスポンサーへの返金のために必死で働いた。

だが、彼女の両親や兄姉からの反対があって、家を出て行ってくれと言われ、出たのが実質の別れだ。

その後、ちょうど10年近くが経過して、彼女が癌を発症したことにより16年前に復縁をして今日に至っている。

子供たちがまだ高校生とかだったから、扶養に入れて学資やその他の援助をする必要があったからだね。

まあ、そのあと二年ほど同居生活を送った時期もあったが(家族四人の暮らしは今思えば貴重でした)、あるきっかけで東京へ出てきて、いろいろと紆余曲折があって、妻は癌と闘っているのに、僕は好き勝手しているという構図になったのだろう。

それを彼女の兄姉や息子たちも憎悪しているのだろう。

今回妻がなくなってしまったことはもちろんショックではあるが、それ以上に僕の頭が混乱したのは、最後の瞬間を見てやれなかったことと、子供たちからの連絡が三ヶ月あまり経ってからだったという二点である。

息子たちにもいろいろと考えがあったのだろうと思うと、申し訳ない気持ちにもなるが、僕自身はどう仕様もない人間なりに、金銭的援助や精神的サポートなどもやってきたつもりなのだが、伝わらなかったようだ。

しばらく亡き妻と知り合った頃から最後に会った日までのことを、思い起こせるだけ思い起こして、彼女への償いとしたいと考えている。

最後に会ったのは、昨年の11月の長男の結婚式だった。

少し会話をしたが、車椅子で出席していた割には元気そうだったので、奇跡が起こればとウォーキングの際に立ち寄る神社に毎回祈っていたのだけど、神様の力も及ばなかった。

次男と妻と三人で担当医に呼ばれたのが一昨年の十二月、「あと半年の命です」と医師から宣告されたが、それから一年四ヶ月ほど命をいただいた。

最初の癌の発症から16年、二度の切除手術と、頭部の腫瘍の手術などを彼女は乗り越えてきたが、ついに力尽きたのだろう。

一昨年の十二月に「早く楽になりたいです」と医師に言っていた妻、痛かったのだろうなぁ、辛かったのだろうなぁ、でも子供たちとの暮らしで、頑張って家事を行っていたらしい。

「アンタには言葉は要らん!」と天国で言うかもしれないが「お疲れ様、ふたりの息子を産んでくれて、そしてほとんど君が育ててくれてありがとう」と伝えたい。

向こうでお父さんやお母さんと会えたかなぁ。


◆♪さよならの言葉♪by小野香代子






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