なぜ人はPerfumeを必要とするのか | 全身蜂の巣

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煩悩を持て余せ!

 

 

某動画投稿サイトにて、脳科学者の中野信子さんが関西大学 文学部の教授である石津智大さんと対談されている動画をたまたま拝見した。

 

 「なぜ人は”美”を必要とするのか

 

文〇春秋さんのchであるため、オマージュ先、引用元として記しておく。

 

 

 

ただ、長い対談内容の無料開示部分だけであることと、対談が開始後の何分かは、脳科学的な脳の活動領域などに関するわりと専門的な話が続く。

 

 

 

冒頭数分で頭が痛くなりそうな専門の話に興味を持てなくなる私のような一般人の方がほとんどではないかと想像する。

 

だが無料動画の後半、専門的な知識を要求するような話が偶然逸れはじめ、文化人類学的な話だけれども、わかりやすく興味深い話に展開する。

 

 

 

 

なんといっても、日本の大衆芸能最強ユニット(個人調べ)のPerfumeさんのファンブログとしては、なんとも聞き捨てならない、

 

 ”美の認知”

 

という話題の神髄に触れてくれたような気がしたのだ。

もっとわかりやすく言い換えると、

 

 

 私=「どうしてステージ上の”のっちさん”は、あんなにも美しいのか?」

 

 

 ファンA=「どうして”あ~ちゃんさん”は、どんどん美しくなってゆくの?」

 

 

 ファンB=「どうして”かしゆかさん”は、人形のように美しいの?」

 

 

 

こういった、ファン特有の”こじらせ問題”の解が、この対談のスピンオフ部分に見え隠れした気がしたのだ。

 

 

 

 

長い前置きはさておき、さっそく本題に取り掛かろう。

あらかじめお断りしておくが、本編動画でのお二方は日本を誇る優秀な頭脳をお持ちの先生方であるが、その話を聞いている私はすでにPerfumeさん達によって ”全身蜂の巣状態” である。

つまり、この話は私の意訳、私個人の主観を通して自動翻訳された内容である。

 

どうか、そこんとこ 夜 露 死 苦 (バカ丸出しじゃないかっ)

 

 

 

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   (美の定義)

 

①文化、文脈、時代など、入ってくる情報量によって変化する性質を持つ”美”の領域

 

 

②生物の欲求に根差した、文化や時代に影響を受けないプリミティブ(原始的)な”美”の領域

 

 

 

先生方によると”美”の性質は、このように大きく分けて2つあるという。

この話を入り口に、中野信子先生が”美の認知”についてもう少し解像度を粗く、俯瞰で話を展開してくれた。

 

 

   (美と崇高に対する”快”の違い)

 

①崇高

 

自分より圧倒的に巨大な存在を見たときに「圧倒さ」「恐ろしさ」を受ける感覚

混合感情に根差した美的感情であり、心地よさよりもネガティブな感情になりやすい傾向がある

 

 例=アルプス山脈を肉眼で見たときに感じる”美”

 例=単独公演時、Perfumeさんのパフォーマンスを肉眼で見たときに感じる”美”(アレッ)

 

 

 

 

 

②美なるもの

 

崇高さを伴った美しいものよりも、もっとアクセスが容易く、スケールが小さいものや、かわいらしいもの

 

 例=アクセサリーなど装飾品の類

 例=あなたが長年、PCのファイルに貯め込んだPerfumeメンバーの画像

 

 

 

 

いかがであろうか、単純に美しいと感じるものを見たときに得られる快い気分と、崇高に感じる美しいものを見たときに感じる快さ、という二つの”美しいものを見た快さ”があるという。

 

 

 

 

より具体的な例を挙げておいたので、きっとPerfume脳のあなたにも理解可能な話に近付いたはずである。

なお、”例”の二つ目は中野先生や石津教授のお話を聞いていた私が勝手に連想したものを挙げたに過ぎず、先生方は一言も話されてはいない、誤解のないように(わかってるっ)

 

この段階からの中野信子先生の閃きに基づいた話の展開に、とても関心し、かつ、感銘を受けることになる。

 

 

   (美しいものを見たときに感じる二つの快さは、神道のコントラストに似ている)

 

①荒魂=あらみたま=荒ぶる神→”崇高な美的感情”と連続しているのではないか

 

②和魂=にぎみたま=やさしい神→単純な美に接するときの感情と連続しているのではないか

 

 

私の”意訳”が大きく混じっているので、とたんに分かりにくい話になったと思う。

中野先生の連想として、崇高さに内包される美しさと、スケールの小さな美しいモノから感じる美しさのコントラストが、神道にて大きく二つに分類され祀られる神様のコントラストに似ているとおっしゃるのだ。

 

う〜ん、ここらで頭痛くなってきた(オマエが書いてるんだろうがっ)

話が難しい(おいおいっ)

そこんとこ、そこんとこ 夜 露 死 苦 (このバカっ)

 

ここからが本題である(えっ、さっきもここからが本題って言ってたぞっ)

 

この中野先生の秀逸な閃きに触発されるように、石津教授の聡明な連想が働き、話が微妙に、かつイイ具合に逸れてゆく。

ちょうどスピンオフ映画を見ているような感覚に私の期待は高まる(この記述、必要かっ)

 

 

 

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   (中野先生の話は、文化人類学的な解釈と合致=by石津教授)

 

①荒神様を祀る神社がある村人

 

村人の構成員の結束が固く、人と仲良くなろうとする寛容さや共感性が高い傾向にある

 

 

*注 画像は本文と関係ありません

 

 

 

 

 

②和魂神を祀る神社のある村人

 

村人の構成員の結束が弱く、どちらかというと個人の利益を優先する傾向にある

 

*注 画像は本文と関係ありません

 

 

 

 

 

ここで、Perfume教授(教授っ?)である私はポイントきた、いや、違った、ピンときた。

 

 

以下、私見である。

 

 

 

 

   (Perfume物語は、文化人類学的な解釈と合致)

 

①Perfumeを崇高と感じているファンの集団

 

ファンの構成員同士の結束が高く、ファン同士仲が良い、そしてPerfumeの萌えポイントへの共感性が異常に高く、寛容な心で推し違いのファンを眺めている。

 

 

 

②ルッキズムに支配されたアイドルファンの集団

 

ファンの構成員同士に一定の距離感があり、同属嫌悪に近い感情で個人の”推し”を追いかける傾向にある

 

 

 

ちょっと言い過ぎた(かなりだろっ)

言いたかったことと若干逸れてきたので言い訳(言い訳っ?)させてもらう。

 

 

 

つまりだ、Perfumeさんの美しさには多分に”崇高”なものを目の当たりにしたときに起きる感情である混合感情に根差した美的感情を伴うことが多いのではないか。

 

 

もっと平たく言うと、Perfumeさんのパフォーマンスを体感するとき、Perfumeさんから崇高な美しさを感じていないだろうか?、ということだ。

 

 

ここで、石津教授はさらなる研究結果を引き合いに出してくれる。

 

 

   (カリフォルニア大学の実験)

 

①崇高さを感じるような大木が視界に入るように集められた人たち=集団A

 

②その大木が視界に入らない向きで立たされた人たち=集団B

 

 

この、集団Aと集団Bの間を通るように、大きな荷物を苦しそうに抱えた人を歩かせ、物を落としてみる実験をしたそうだ。

 

結果、崇高な大木を見ながらこの落とし物を見た集団Aの人たちは、積極的かつ自発的に手助けを買って出て、その落とし物を拾ってあげたそうだ。

 

対して、崇高な大木が視界に入っていない集団Bの人たちは、あまり手助け行動を起こそうとしなかったというのだ。

 

 

 

 

 

 

追加実験として、崇高な大木を見ている集団Aと、なにも視界にない集団Bに、それぞれ文章の穴埋めテストもしている。

 

 

 *テスト

「私は〇〇〇〇である」・・・この文章の〇〇〇〇部分に言葉を埋め込んで文章を成立させよ

 

 

 (テスト結果)

 

*集団A

=〇〇〇〇部分に「大学名」や「アジア系民族」など、所属集団や所属団体などが書かれる傾向にあった

 

*集団B

=〇〇〇〇部分に、「頭が良い」「足が速い」など、個人的長所を書き込む傾向が見られた

 

 

崇高なものを拝んでいる時、人は帰属意識や向社会性が高まることがこのカリフォルニア大学の実験によって検証されたというのだ。

 

 

 

 

勘の良い方はお解りのように、我々はPerfumeさんのライブを拝みに行くPerfume戦士である(言い切ってるが大丈夫か)

その戦いのためには万難を排してライブに臨む。

 

 

 

 

けれども、人を出し抜いてまでチケットを確保するような行動は慎み、ライブ後もPerfumeさんにふさわしいファンであろうとゴミを拾って会場を後にしたりする。

ライブ後にはファン同士、居酒屋に集合してPerfumeを愛でる会話で徹夜すら辞さない。

 

 

 

 

でも、特に自分が優良ファンとも思っていないし、ただただPerfumeさんの世界観やパフォーマンスやメンバーの人柄が大好きなだけである。

 

 

 

 

それでも、それでもこれだけは譲れない、これだけは言わせてくれと思っていたりする。

 

 

 「Perfumeさんはその生き方も含めて”美しい”、なんなら崇高ですらある」

 

 

こう思っているのは私だけではないはずだ。

この長ったらしい話をキリっと締めるためにも、もう一度大きな声で言っておこう。

 

 

 『Perfumeは美しいっ!!』

 

 

 

 

 

Perfume脳丸出しのバカな結論ではあるが、最後に、石津教授のお言葉でこの拙い記事に強力な補助線を引いていただこうと思う。

 

 

石津教授=「美的な概念なんだけれども、けっして、美術館の中とか、山の上とか、読書体験とかだけに閉じられたものではなく、社会において、他者に対する態度にも影響を与えるようなものが、美学の概念の中にはある」

 

 

 

大切なことなので復唱させていただく。

 

 

 

 『他者に対する態度にも影響を与えるようなものが、美学の概念の中にはある』

 

 

 

私の脳内自動翻訳機は、このように翻訳してくれる。

 

 

 

 『他者に対する態度にも影響を与えるようなものが、Perfumeの美しさの中にはある

 

 

 

 

 

 

 

 

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・・・「前フリに対して結論が軽い」・・・とお思いのアナタ・・・

 

 

 

 ”Perfumeさんは美しい

 

 

 

・・・「わかったっ、わかったっ・・・」