「傲慢でない」ということが「傲慢」だと気づいた。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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私は、現在、
ブログやインスタを通して、
そして実際に皆さんとお会いしながら、
自分の「想い」をお伝えしています。
 
私自身が向き合ってきたこと、
そこから学んできたこと。
多くの経験から乗り越えてきたこと。
 
…そう、私は「乗り越えてきた」と思っていました。
 
今日、このブログを書く前の出来事があるまでは。
(出来事自体は書けなくてごめんなさい。)
 
 
私、自分と向き合ってきた「つもり」なのかもしれません。
学んだ「つもり」なのかもしれません。
私、何も分かっていなかった…。
 
 
私は、前職(養護教諭)の経験は、
(もちろん多くの失敗もありましたが)
「仕事をしている中」で気づき、解決し、乗り越えてきた、と思っていました。
 
だから、大学院に進学した時点では、
「全て乗り越えていた」と思っていました。
乗り越えられたから、
進学する決意を固められたんだ、と思っていました。
 
 
しかし、それは完全な私の「傲慢」でした。
私は、進学してからもなお、
自分自身の存在価値を「学歴」や「経験の差」でジャッジし、
(口ではそうではない、と言いながらも)
同時に、周りの人に対しても同じようなジャッジを下している人間でした。
 
過去の栄光にすがり、
その正当性を自分に言い聞かせることで、
大学院に来た意味がある、と思い込んでいました。
 
 
自分で自分を満たすことができない。
自分を満たすための「愛情」が欲しい。
だから、
私は他の人の愛情を奪うことでしか、
自らの虚無感を埋めることができず、
それでしか
自分の存在価値を確かめられなかった。
自分に対して無条件の愛を注げないから、
無条件の愛を受け入れることもできない。
条件付けされた自分しか許可できないから、
相手に対しても「条件付けの愛」しか求められなかった。
 
…そんな自分は、養護教諭として働いていた最初の頃まで。
そう勘違いしてしました。
働く中で気づき、受け止め、許してきたと思っていました。
 
 
実際は、一年前。
いや、きっともっとつい最近まで。
もしかしたら、今もきっと少なからず、
そうなんだと思います。
 
私は、「生徒」との思い出を、
自分自身の存在価値を認めるための手段として利用し、
仕事を辞めてもなお、“選民思想”の塊とともに、
自分の気持ちを保つ材料にしていたのかもしれません。
 
 
当たり前ですが、
私はまだまだ道の途中なのです。
それを自分は「途中ではない」と錯覚していました。
そしてそれは、
人生の途中で完全に気づききることそのものが「傲慢」で、
これから先、
そういう自分も「心の中」にいるんだよってこと、
それ自体を受け入れてあげることで、
初めて満たされるんだと思います。
 
 
満月の夜に手放したスペースに入ってきたのは、
「傲慢でない」ということが「傲慢」であることに気づかされた「出来事」。
それもかなりのタイムラグを伴って、
私の前に現れました。
 
その「想い」には、
今だからこそ、気づかなければならないタイミングでした。
というか、今じゃないと気づけなかった。
気づいたことで私はまた一つ、「扉」を開けたように思います。
この気づき、決して無駄じゃない。
むしろ今の私に必要なこと。
今だから、そう思える。
 
 
ここまで、お読みくださった方の中で、
もしも心配してくださる方がいらっしゃったら、
(ありがとうございます)
先にお伝えしておきますね。
「私は、大丈夫です。」
 
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(富士山は、自らが日本で一番高い山であるという「傲慢さ」がないからこそ、こんなにも気高い存在なのかもしれませんね。)
 
 

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