「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

「自分のままで“養護教諭”になる」をコンセプトに、YOU(あなた)とYOU(あなた)を繋ぐYOUKYOUカフェを主宰しています。

柏木むつきです。

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【保存版】養護教諭シリーズ

 

暑くて暑くて毎日ヘロヘロですが、

皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

 

気づけばあっという間に8月の中旬に差し掛かり、

自分でもびっくりするくらいのスピードで前期が終わってしまいました。

お盆に入り、ようやく余裕ができました

(自分のペースで仕事や研究ができる時間が増えたということです)。

 

先日、こちらの記事を読み返していたのですが↓

 

ここで引用している2019年(もう5年も前なの!?)の記事の中(挑戦することで見える「観」。)でこんなことを書いていました。

養護教諭だからといって、

保健室の中で必要な知識、学校保健に必要な情報だけ知っておいて良いわけではない。

保健室があって、教室があって、学校があって。

そして学校は地域の中にあって。

それは大きな社会と関係していて。

そういう関係の中で養護教諭の職務があるのだとすれば、

学習指導要領だって、新しい教育課程だってその中身を知った上で、

自分の養護教諭としての在り方を位置づける。

そこに「自分」はどう関わりたいのかを考える。

そして先ほどの記事の中で、上記に加えて、

「「養護教諭」であることについて思考停止しない」

という気持ちはますます強まるばかり。

 

きっとこの時以上に、

ヲタク度合いが増していて、

もっともっと、

考えたいことがあって、

もっともっと、

聴いてみたいことがあって、

もっともっと、

知りたいことがあって、

時間も余裕も足りません(笑)

 

今日も会っていた友人に、

「ヲタクどころか、もはやヘンタイの域に達してる」

とお褒めの言葉を頂戴しました(笑)

なんて書いていました。

大学に就職してから、

ほぼほぼ「養護教諭」に関係する世界の中で四六時中生きているわけで、

もうヘンタイの域さえも超えているかもしれません(笑)

と書くと、「養護教諭」に関係のないことには興味がないのか?

と言われれば実は全くそうではなくて、

「関係ないこと」を考えることが、

結果として「関係あること」に変化しているだけのような気がしています。

 

実際に私は(テレビはないのでネットだけですが)五輪の記事やインタビュー映像から、

「養護教諭」について考えることがここ最近多いし、

全く関係のない小説や漫画を読みながら「養護教諭」に想いを馳せていることもしょっちゅうです。

 

それに何てたって、

私は養護教諭を目指している学生たちと関わることと同じくらい、

養護教諭を目指していない学生たちと関わることも大好きです。

私はきっと、

「養護教諭」それ自体はもちろんですが、

「養護教諭」の存在を通して見える学校の不条理さや、

「養護教諭」の世界から見えてくる社会の理不尽さに対して、

もっともっと深く深く考えていきたいのだと思います。

だからこそ、「関係のないこと」が大事なのだと思っています。

 

「関係ないし」と決めつけてしまうのは簡単ですが、

本当に「関係ない」ことなんて、

実はそこまでないのだと思います。

それに「関係ある」ことも、他方で思いすぎると盲目的になってしまい、

見えにくくなること、気づけなくなることもある気がしています。

(ものを見る時に遠すぎてもぼやけるけれど、一方で近すぎてもぼやけてしまうように)

 

そう考えるとやっぱり思うのが、

「自分」の全てが「何か」につながって。

だからこそ、「外」ではなく「内」と向き合う必要があって。

そこを避けていては進めない、そんなポイントやタイミングがあるのだろうな、と思います。

 

 

日々暑い日が続きますね。

地震もゲリラ豪雨も台風も気が気でないですが…。

備えを万端にした後は、「今」に集中して日々楽しみたいな、と思います。



(数年ぶりに訪れたお店!メニューがリニューアルしすぎててびっくり…)

 

 

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