アメリカのオイスターは日本の牡蠣!?
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http://kakipedia.blog.jp/2010/kumos.html
こちらの記事に集約されております。
⇒『クマモト・オイスターの謎。』
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【質問】
以前Oregonに住んでいたのですが、牡蠣が日本の牡蠣とそっくりでした。味も形も。アメリカと日本の牡蠣、何か関係あるのですか? どちらも養殖の牡蠣です。
【回答】
アメリカに移住し開拓した人々が、カキで飢えをしのいだことから、カキには特別の思い入れがあり、基本的には魚介類を生で食べる文化が根付いていないアメリカにおいても、カキは特別で、生で食べる習慣があるのはそのためといわれております。
そして・・・
現在のアメリカで養殖されているカキの多くは、日本の牡蠣がベースになっているのです!
最初に日本のカキがアメリカに渡ったのは、なんと明治時代!
当時、アメリカのカキ市場は、90%を占めるイースタンオイスター(東部のカキ)と、残りの10%がウェスタンオイスター(西部のカキ)でした。
ときは明治30年代半ば(1900年頃)、
そのウェスタンオイスターが乱獲と寒さに弱いため生産が減少。
東部のカキをはじめ、様々なカキを用いて養殖を試したがうまくいかない。
そんなときに日本のマガキを試したところ、寒さに強いうえに成長速度もはやいという結果が。
(牡蠣は1日200リットル以上の海水を吸込み育ちます。日本の海にしかない強く美味しくなる特有の海の恵みがあるのだと思います。)
そこで、宮城県(松島など)の種ガキが大量にアメリカに運ばれるようになり、各地で日本のマガキベースのカキが養殖されるようになったのです。
このカキは「パシフィックオイスター」と呼ばれシェアを拡大していったそうです。
そして、第2次大戦に突入・・・日本からの種ガキの輸出もなくなりました・・・
時はたち戦後。
アメリカは、1940年代から50年代初頭にかけて、カキの乱獲およびカキ自体の病気が原因で、絶滅の危機に瀕しておりました。
そんなおり、また生命力の強い日本の牡蠣が注目されました。
当時、日本に駐留していたマッカーサー元帥に日本から牡蠣(およびその種=幼生を付着させたもの)を本国に輸出するよう命令がくだったのです。
当初、アメリカは実績のあった宮城県のカキを要望しました。
ところが、戦争の余波で宮城県の漁場も縮小や人手、資材の不足などで、アメリカが望むような大量の発注には対応できない。
そのレベルの大量な牡蠣および種の輸出が可能なのは、すでに牡蠣で有名だった広島だったのですが、第2次大戦直後・・・つまりは原爆の後遺症で対応できない状態。
そこで、国の命令により調査が開始され、日本でもあまり知られていなかった熊本県に白羽の矢がたったのです。
様々な日本の牡蠣の候補を試していたなか、たまたま食べた当時の『クマモト』が、アメリカで好まれている、一口で食べられる小ぶりの牡蠣に似ていて、しかも、アメリカのものより味が濃く美味しい!と評判になったことが、選抜のもととなったといわれております。
国からの特命。
輸出どころか大量生産の経験もない熊本県で、大量の牡蠣をアメリカに輸出する壮大なプロジェクトがはじまりました・・・
「太田扶桑男 」氏が活躍したこのお話はまた後日。
こうして宮城からはマガキが、熊本からは、その当時の熊本で養殖されていた地牡蛎が、それぞれ本国アメリカに持ち帰られたのです。
当初は牡蠣の輸出も行われていたのですが、当時の輸送技術では鮮度の維持が難しく、種牡蠣(幼生を付着させたもの)のみの輸出に。
日本の牡蠣の種は非常に生命力が強く、成長もはやい。
そして病気にも打ち勝ち、大量生産を実現したのでした。
そして、いつまでも日本の種に頼っていられないと考えたアメリカは、この日本の種をベースに研究を重ね、アメリカ独自での養殖が始まりました。
さらには、アメリカのもともとのカキとの配合にも成功し、いまのアメリカのカキが誕生したといわれております。
熊本から輸出された「クマモト」に至っては、「ウェスタン・ジェム(西方の宝)」と呼ばれ、アメリカにおいて一番売れたカキ、一番美味しいカキとして表彰されるなど大活躍。
西方の宝・・・元は日本の牡蠣なのでしいていえば「東洋の宝」だとは思うのですが、すでにアメリカ独自で養殖がはじまっていたので、仕方がないですね。
日本では小ぶりな牡蠣は好まれないことが影響したのか、いつのまにか本場の熊本では生産されなくなり、いまでは「クマモトオイスター」という名前のまま、アメリカのカキとして世界で有名になっております。
(現在、熊本でクマモトを復活させるプロジェクト が動いており、すでに試食レベルまで来ております。)
アメリカやカナダのカキ養殖者は、この『クマモト』に憧れ、『クマモト』に似たカキの生産に挑戦するまでに。
例えば、有名なのはカナダの『Kussi(クッシ、屈指)』やワシントンの『Shigoku(シゴク、至極)』など。
クマモトも含め、日本も逆輸入しております。
2007年の貿易統計では、日本はアメリカからカキを輸入しているものの、日本からアメリカへの輸出は、統計上では「0」。
アメリカのレストランや和食のお店が個人レベルで取引してるにとどまっております。
オーストラリアも、日本の牡蠣やその種、養殖技術を取り入れたり、参考にして現在があると、オーストラリアのカキ生産者の方が公言しております。
日本の牡蠣は実は世界のウィンドウズ(OS)でありグーグル、つまりは「グローバルスタンダード」なのであります。
日本が世界に誇れるものは「マンガとゲーム」とアメリカのメディアに言われてしまう今日この頃・・・
(それだけマンガとゲームがすごいってことですが)
日本オイスター協会では、世界に誇る世界一元気な日本の牡蠣を、もっと世界の皆様にも楽しんでいただきたい!という思いから、オイスターマイスターの皆様のご協力のもと、昨年より、日本の牡蠣を世界へ贈りだすプロジェクトの推進および支援を開始しております。
上記のプロジェクトについてはあらためて、別のコーナーを立ち上げてご報告しく予定でございます。
【バージョン】
2011-01-20改訂
2011-01-19改訂
2010-10-05改訂
2010-08-10改訂
2010-01-09公開
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以前Oregonに住んでいたのですが、牡蠣が日本の牡蠣とそっくりでした。味も形も。アメリカと日本の牡蠣、何か関係あるのですか? どちらも養殖の牡蠣です。
【回答】
アメリカに移住し開拓した人々が、カキで飢えをしのいだことから、カキには特別の思い入れがあり、基本的には魚介類を生で食べる文化が根付いていないアメリカにおいても、カキは特別で、生で食べる習慣があるのはそのためといわれております。
そして・・・
現在のアメリカで養殖されているカキの多くは、日本の牡蠣がベースになっているのです!
最初に日本のカキがアメリカに渡ったのは、なんと明治時代!
当時、アメリカのカキ市場は、90%を占めるイースタンオイスター(東部のカキ)と、残りの10%がウェスタンオイスター(西部のカキ)でした。
ときは明治30年代半ば(1900年頃)、
そのウェスタンオイスターが乱獲と寒さに弱いため生産が減少。
東部のカキをはじめ、様々なカキを用いて養殖を試したがうまくいかない。
そんなときに日本のマガキを試したところ、寒さに強いうえに成長速度もはやいという結果が。
(牡蠣は1日200リットル以上の海水を吸込み育ちます。日本の海にしかない強く美味しくなる特有の海の恵みがあるのだと思います。)
そこで、宮城県(松島など)の種ガキが大量にアメリカに運ばれるようになり、各地で日本のマガキベースのカキが養殖されるようになったのです。
このカキは「パシフィックオイスター」と呼ばれシェアを拡大していったそうです。
そして、第2次大戦に突入・・・日本からの種ガキの輸出もなくなりました・・・
時はたち戦後。
アメリカは、1940年代から50年代初頭にかけて、カキの乱獲およびカキ自体の病気が原因で、絶滅の危機に瀕しておりました。
そんなおり、また生命力の強い日本の牡蠣が注目されました。
当時、日本に駐留していたマッカーサー元帥に日本から牡蠣(およびその種=幼生を付着させたもの)を本国に輸出するよう命令がくだったのです。
当初、アメリカは実績のあった宮城県のカキを要望しました。
ところが、戦争の余波で宮城県の漁場も縮小や人手、資材の不足などで、アメリカが望むような大量の発注には対応できない。
そのレベルの大量な牡蠣および種の輸出が可能なのは、すでに牡蠣で有名だった広島だったのですが、第2次大戦直後・・・つまりは原爆の後遺症で対応できない状態。
そこで、国の命令により調査が開始され、日本でもあまり知られていなかった熊本県に白羽の矢がたったのです。
様々な日本の牡蠣の候補を試していたなか、たまたま食べた当時の『クマモト』が、アメリカで好まれている、一口で食べられる小ぶりの牡蠣に似ていて、しかも、アメリカのものより味が濃く美味しい!と評判になったことが、選抜のもととなったといわれております。
国からの特命。
輸出どころか大量生産の経験もない熊本県で、大量の牡蠣をアメリカに輸出する壮大なプロジェクトがはじまりました・・・
「太田扶桑男 」氏が活躍したこのお話はまた後日。
こうして宮城からはマガキが、熊本からは、その当時の熊本で養殖されていた地牡蛎が、それぞれ本国アメリカに持ち帰られたのです。
当初は牡蠣の輸出も行われていたのですが、当時の輸送技術では鮮度の維持が難しく、種牡蠣(幼生を付着させたもの)のみの輸出に。
日本の牡蠣の種は非常に生命力が強く、成長もはやい。
そして病気にも打ち勝ち、大量生産を実現したのでした。
そして、いつまでも日本の種に頼っていられないと考えたアメリカは、この日本の種をベースに研究を重ね、アメリカ独自での養殖が始まりました。
さらには、アメリカのもともとのカキとの配合にも成功し、いまのアメリカのカキが誕生したといわれております。
熊本から輸出された「クマモト」に至っては、「ウェスタン・ジェム(西方の宝)」と呼ばれ、アメリカにおいて一番売れたカキ、一番美味しいカキとして表彰されるなど大活躍。
西方の宝・・・元は日本の牡蠣なのでしいていえば「東洋の宝」だとは思うのですが、すでにアメリカ独自で養殖がはじまっていたので、仕方がないですね。
日本では小ぶりな牡蠣は好まれないことが影響したのか、いつのまにか本場の熊本では生産されなくなり、いまでは「クマモトオイスター」という名前のまま、アメリカのカキとして世界で有名になっております。
(現在、熊本でクマモトを復活させるプロジェクト が動いており、すでに試食レベルまで来ております。)
アメリカやカナダのカキ養殖者は、この『クマモト』に憧れ、『クマモト』に似たカキの生産に挑戦するまでに。
例えば、有名なのはカナダの『Kussi(クッシ、屈指)』やワシントンの『Shigoku(シゴク、至極)』など。
クマモトも含め、日本も逆輸入しております。
2007年の貿易統計では、日本はアメリカからカキを輸入しているものの、日本からアメリカへの輸出は、統計上では「0」。
アメリカのレストランや和食のお店が個人レベルで取引してるにとどまっております。
オーストラリアも、日本の牡蠣やその種、養殖技術を取り入れたり、参考にして現在があると、オーストラリアのカキ生産者の方が公言しております。
日本の牡蠣は実は世界のウィンドウズ(OS)でありグーグル、つまりは「グローバルスタンダード」なのであります。
日本が世界に誇れるものは「マンガとゲーム」とアメリカのメディアに言われてしまう今日この頃・・・
(それだけマンガとゲームがすごいってことですが)
日本オイスター協会では、世界に誇る世界一元気な日本の牡蠣を、もっと世界の皆様にも楽しんでいただきたい!という思いから、オイスターマイスターの皆様のご協力のもと、昨年より、日本の牡蠣を世界へ贈りだすプロジェクトの推進および支援を開始しております。
上記のプロジェクトについてはあらためて、別のコーナーを立ち上げてご報告しく予定でございます。
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