08年初春発行予定。
blog移転します。
すみません。
雑誌の名称変更に伴いアドレスを変更した都合上移転いたします。
友人である某punkyカメラマンの繋がりで、
某punkyファッション誌の編集長と数年振りに
お会いする機会が持てそうです。
色々相談に乗ってもらおうかと思っています。
では、今後ともよろしくお願いいたします。
レゲエについて考えるその前に・・・
先日nununununu氏から、「my-madnessのblogは優等生的な内容で面白みに欠ける」という指摘を受けた。「もう少し毒気を持て」ということだ。もっともだと思うのだが、毒気を含んだ文章を書くのはそれなりに面倒なのだ。なぜなら毒気を含んだ文章は、優等生的文章以上に言い回しや言葉を選ばなくてはいけないと思われるからだ。けれど今のところ、自分の作る本では自分の考えを直接的な文章表現として掲載するつもりはないので、それをやる場は唯一このblogとなる。すれば、優等生的人間とはかけ離れた僕の、謂わば擬似優等生的文章を羅列していく姿勢は、僕が作る本への誤解を招く恐れもあるし、そもそも僕自身書いていて面白くない。だからこれからは、もう少しありのままの自分で文章を書こうかと思う。
で、「レゲエについて」というテーマを新設。
音楽評論家鈴木孝弥氏(roots rock reggae)とフリーマガジン 『Riddim』 編集長大場俊明氏の対談を控えていたり、またある人達にもインタビューをお願いしたりするなかで、レゲエに関してあれこれ考える機会が多い今日この頃。そこで一度、自分の頭を整理するためにもblogに記していこうかなと思っています。
nu
昨日、雑誌のデザインをお願いしているnununununu氏と下北沢で飲みました。いろいろ刺激的な話のなかで、僕自身どうなんだろう?と思っていた、『我らの狂気を生き延びる道を教えよ』という名称についても話をしました。結論から言えば、再考することに。もっとあっさりとしたものにしようかと思っています。
nununununu
『フリーターズフリー』や『dankaiパンチ』などのブックデザインをはじめ、根本敬『幻の名盤開放歌集』や『フリクション ザ・ブック』など、音楽ソフトのデザインも手掛けます。現在、自身が発行人となる雑誌『nu』の03号を制作中。本人曰く、年内にはお店に並ぶはず、とのこと。
nununununu blog nu業務日誌
読書/インターネット
□ 四方田犬彦 『人間を守る読書 』
玉川高島屋の紀伊國屋でパラパラと立読みしました。
インターネットの普及と読書離れの因果については、かなり前から様々なメディアで指摘されていますが、本書の「まえがき」には、インターネットと読書はそもそも本質が異なるとされていて、「インターネット=情報」、「読書=思考」と定義されていました。その上で、「決して情報に還元されることのない思考のすばらしさ」の提案として、四方田氏オススメの155冊が紹介されています。
そこで僕は以前に読んだ、保坂和志『世界を肯定する哲学 』第11章「<精神>が書物の産物だとしたらインターネットの中で<精神>は・・・」を思い出しました。家に帰り読み返してみると、「言葉」と「人間存在」の関係を主旨とした内容で、その冒頭では、四方田氏同様に読書とインターネットの本質的な違いが次の通り指摘されていました。
「インターネット=検索して引用(必要な箇所だけ読む)」→「文章は<情報>となる」
「読書=通して読む」→「文章は<精神>となる」
ネットでこんな記事も見つけました。
「日本人の読書離れは進んでいるのか 」(gooResearchポータル)
男女共に30~50代が最も本を読んでいないようです。
この世代の読書離れに関して、町田康が「作家の読書道 」のなかで言及しています。
少々長いですが、興味深いので抜き出します。
「10代前半から30代まで、結構本を読んでいましたが、それは引きこもりみたいなものだったんですよね。他に何もできなくて、世の中に出ていけないから本を読む。悪い言葉で言うと“現実逃避”です。本を読むことは、今この世の中、この現実から一旦降りる、脱落するということ。もうひとつ別の次元に行く体験だと思うんです。昨今、本を読んでいないのは40~50代の人だという記事を読んだんですが、考えてみれば当たり前で、その世代の人たちは忙しくて脱落している時間がない。人間は二つの時間を同時に体験できないから、今の時間から降りて他の時間に行ったら、いろんな人がいろんな思惑で動いていることを自分だけ知らないことになる。要するに出世競争に敗れてしまう。でも、読書は単なる逃避でもない。小説はどうやって書かれているかというと、現実を参照にして書かれてある。そこに何らかの現実につながる回路があるんですよね。だから全然現実とは別のものということでもなくて、もうひとつの現実なんです。もうひとつの現実を体験するということは、二つの時間を持つということ。ひとつの時間にしか生きていない人より二つの時間に生きている人のほうが、いろんなことを分かっていたりする。そして、小説が文字を使って書かれている以上、読んで別の時間に逃避しても、文字の力によってどうしてももう一回現実の時間に押し流されてしまうところがある。自分が変わるということは、そういうことなんだと思うんです。」
また、次のようにも話しています。四方田、保坂両氏の「インターネットと読書の違い」に通じるかと思います。
「だから、あなたの言うように、本を読んで目から鱗、ということはないですね。例えば、大きさがほぼ同じ茶碗を流しで洗っていたら、たまたまガチッと組み合わさってしまってどうしてもとれなくなったとします。それが、本を読んだら「こうすればとれますよ」と書いてあった時に、うわっ、って目から鱗が落ちる。でもそれは生活の知恵ですよね。読書というのは、もっと深い体験だと思います。瞬発的な知識ではなく、じわじわと嫌な形で体にまわって、二日酔いのようになった状態でもう一度、現実に帰っていかなければならない。それが読書だと思います。 」
生活の知恵=瞬発的な知識=情報。深い体験=思考=精神。
僕も本を作ろうと思っている人間なので、この辺の話はとても興味があります。
HONZI
今mixiを見て。信じられません。呆然としてます。
最後に観たのは新宿ゴールデン街。早川義夫と梅津和時とのトリオ。
大人の色気と少年のような純粋さと。
もうあのバイオリンが聴けないかと思うと、悲しい。
ご冥福をお祈りします。
roots rock reggae/Riddim
音楽評論家の鈴木孝弥 氏とフリーマガジン 『Riddim』 編集長大場俊明 氏の対談が決まりました。
最高潮の盛上がりをみせる昨今のジャパニーズ・レゲエ・シーンですが、この人気を維持し更なる発展のためには、アーティストの努力も然ることながらジャーナリストが担う役割がとても重要だと思っています。今や音楽誌やストリート誌でレゲエ・アーティストが当り前のように表紙を飾り、紙面でもバンバン取上げられる状況ですが、残念なことに、どれもこれも記事がつまらなく、ややもすればシーンを劣化させかねないと思えてしまうほどです。そんな状況下、鈴木、大場両氏は、日本における「レゲエ・ジャーナリスト」の名に値する稀有な存在と言えるでしょう。両氏はそれぞれ背負っている看板が異なり、シーンへのコミット方法も異なりますが、共通して言えることは「批評性」を持ちえていることです。だから、両氏が作る本は信用に値するし、知的好奇心を揺さぶられるし、面白いのです。
予てから 『Riddim』 300号(フリーのカルチャー誌では恐らく日本最長)を目前に控えた大場氏に、「from editor」(Riddim誌の編集後記。大場氏の日常の喜怒哀楽が垣間見れる人気コーナー?)のロング・バージョンみたいなものを読みたい、と話していました。自分で雑誌を作ることを決めてからは、自分の雑誌でそれをやりたいと思い、なら鈴木氏との対談しかないでしょ!と両氏に相談、快諾していただきました。
この雑誌は音楽誌ではないので、だからこそ、どんな対談になるか・・・ご期待下さい!
大沢敏郎(横浜・寿識字学校)インタビュー
22日午後、石川町の駅前にある純喫茶モデルにて、大沢敏郎氏のインタビューを行いました。インタビュアーの経験は初めて、しかも「識字」という難しいテーマなので、とにかく背伸びせずに等身大の自分でお話を伺おうと臨んだのですが、始めた途端もの凄く緊張しだし、予想はしていたものの、事前に考えていた筋立て通りに話は進行しないし、冷や汗ものでした。とにかく嫌な顔一つせずにヘタクソなインタビュアーに2時間も付き合ってくださった先生に感謝です。
「あの事を聞き漏らした」とか「あの話題をこっちの方向に膨らませれば良かった」とか、後悔は多々あるのですが、その反面、予想だにしなかった話を幾つかお聞きすることができたことは良かったと思っています。あとは編集次第というところでしょう。
インタビューの内容をちょっとだけ。宮沢章夫氏の二つの著書 『「80年代地下文化論」講義』 と『[ノイズ文化論]講義』をもとに示唆すると以下のような感じです(未読の人には意味が分からないかと思いますが)。
・「識字」とは「ノイズ」である。識字の「実践者」も「価値観」もノイズとして排除される対象。
・大沢敏郎氏は60年代に<機動戦>を経て80年初頭<陣地戦>に移行した人。
・そして62歳の現在も、「ゆるやかな抵抗」を実践している人。
最後に、インタビューを終えて、つくづく僕もこうありたいと思いました。
不合理こそ文化である。ところが今、文化全体が合理主義に収束されていくと考えられる。その不合理をどうやったら擁護できるか。この高度に発達した資本主義社会のなかでは、「不合理」は一種の愚か者の情熱といってもいい。だからこそ、僕は愚か者でいたいんです。(宮沢章夫)
横浜・寿識字学校2/石原吉郎/町田康
二度目の参加。他の出席者は共同通信の記者と小学校の先生。いずれも女性。帰路、川崎駅まで小学校の先生とご一緒しました。先生だけあって聞き上手なのか、そのことに甘えてしまい色々喋ってしまいました。自分の子供を預けるなら、こんな先生がいい、と思える方でした。学校教育の理念と識字教育の理念は相容れないものだから、さぞかしご苦労(心の葛藤)があると思うのですが、頑張ってもらいたいなぁ、と思いました。
本日の授業で配布された資料に「石原吉郎 のことば」がありました。僕は石原吉郎(詩人)を知りませんでしたが、ぜひ著書を手にしたいと思いました。ひとつだけ書き写します。
何びとも、自分自身が正しいと思いはじめたときが、その人の堕落のはじまりであると思います。私たちは一度は(そして、いつまでも!)自分自身に抱いている自信を放棄し、自分自身に絶望する勇気をもたなければならないと思います。それがとりも直さず自分自身に対する誠実であり、またすべてのひとびとにたいする誠実であると考えます。
帰宅後、googleで「石原吉郎、町田康」で検索してみましたが、二人を結びつけるような内容の記事を見つけることはできませんでした。僕は上の言葉を読んで、真っ先に町田康が頭に浮かんだのです。
本日午後、大沢敏郎先生のインタビューです。
宮沢章夫/80年代地下文化論/ノイズ文化論
● 宮沢章夫 『「80年代地下文化論」講義』 『[ノイズ文化論]講義』
訳あって14日から18日まで秋田に滞在していて、その間読みました。長くなりそうなので感想は割愛しますが、 『「80年代地下文化論」講義』を通して、70年生まれの僕が「世代論」的視点で一つだけ気付いたことを。
僕は1970年生まれですが、70年生まれはいわゆる「団塊ジュニア」の規定からギリギリ外れます。「ロストジェネレーション」とも言えない。もう少し若い世代ですね。では、バブルを謳歌できたかといえば、学生だったからそれもありません。ピテカン には遅すぎたし。田舎の中学生だったから・・・
四方田犬彦氏は著書『ハイスクール1968』のなかで1970年を次のように評しています。(1970年は、アルバート・アイラーがイースト・リヴァーに屍体で浮いた年。四方田氏は渋谷公会堂でウェザー・リポートのコンサートを観たそうです。安保闘争の終焉と大阪万博も象徴的な出来事として挙げています)
もはや全面否定の実験精神は時代遅れと見なされるようになり、多幸症的な全面肯定が、新しい時代の表情として台頭しようとしていた。あらゆる意味において60年代的なるものが後退してゆき、なにか得体の知れない幸福感に包まれた70年代的なるものが、それに代わって登場しようとしている気配を、わたしは感じとった。
僕は、ことさら1970年生まれの特殊性みたいなことを主張するつもりはないのですが、自分という人間を点検してみると、なるほどな、と思うところがあります。
※ 『[ノイズ文化論]講義』 に関して一言だけ。
22日、寿識字学校の大沢敏郎先生にインタビューをするのですが、この本を読み終え、インスパイアされたことが多々あったので、既に準備してある質問内容を大幅に変更することにしました。これからまとめますが、面白いインタビューにすべく頑張ろうと思っています。
在日/フランス文学
● 鈴木道彦 『越境の時 1960年代と在日 』
僕の亡父と鈴木道彦氏との間には交友関係があったことから、僕は氏の名を知ってはいたのですが、それはあくまでフランス文学の専門家として。だからブックオフで本書を見つけた時には、同姓同名の別人かと思ったほどでした。なぜフランス文学の専門家が在日問題なのか?
本書には、鈴木氏が小松川事件 (僕はこの事件自体を知りませんでしたが)と金嬉老事件の二人の被告、李珍宇(イジヌ)と金嬉老への支援活動を通して行われた、「在日と日本人」問題への真摯な考察が記録されています。そして、鈴木氏の「在日と日本人に関する考察の原点」が、「なぜフランス文学の専門家が在日問題なのか?」の答えにもなっているのです。その辺の関係性がストーリーを生み、まるで小説を読んでいるような楽しさがありました。
簡単に説明すると…
鈴木氏はフランス留学中にアルジェリア独立戦争 (宗主国フランス)に遭遇します。そこで、アルジェリアの活動家やアルジェリアを支援するフランスの知識人等と関係を持つのですが、やがてアルジェリア独立戦争に纏わる諸々を、日本人である自分達に引き付けた場合どう受けとめることができるのかと考えるようになります。鈴木氏は最終的にそれを「民族責任」と呼ぶようになるのです。
※「民族責任」の意味を端的に説明する文章として、
チュニジアの知識人アルベール・メンミを引用します。
植民地的状況とは、民族の民族に対する関係だ。(中略)彼[善意の植民者]は抑圧する
民族の一員であり、望もうと望むまいと、彼がその幸運をわけあったと同様にその運命をも
分け持つように決められている。(中略)彼は、個人としては何の罪もないけれども、抑圧する
グループの一員である限り、集団的責任にあずかっている。(「植民者の肖像」より)
またサルトルの同様な文章も引用しています。
良い植民者がおり、その他に性悪な植民者がいるというようなことは真実ではない。
植民者がいる、それだけのことだ。(「植民地主義は一つの体制である」より)
そして具体的な日本人の「民族責任」を考えるようになった鈴木氏は、以下のような自問に至ります。
もし日本人の名で抑圧する状況が存在したら、そしてその裏返しとして、日本人でないということが抑圧される理由になるような状況があったならば、否応なしに抑圧者に組み込まれる日本人の自分はどうしたらよいのか?
このような心境のなかで小松川事件に遭遇した鈴木氏は、当然の如く犯人である在日朝鮮人李珍宇の支援活動に関わり、その後起きた金嬉老事件に対しても同様な態度を示したのです。