出逢いの玉手箱。 | 桜野園 お茶で一福、心ふぅわり

桜野園 お茶で一福、心ふぅわり

水俣で、無農薬や自然栽培の緑茶、紅茶、ほうじ茶を家族でつくっています。
そんなお茶づくりと、日々の徒然。
ちゃみさんのあげまん道から学び実践から生まれる気づきも満載でお届けします。


そして、雨の日のエピソードの続き。

そこからの、出逢いの玉手箱のような、怒涛の3週間。

あれも、
これも、
あの人とも、
この人とも、
その時が始まりで
目や心に飛び込んできたこと。
思い出してみると、
今は少しずつ、そこに溶け込んでいることが嬉しくもなり。


始まりは、
カブ号との旅のお供に持って行った、
一冊の本。

『現代農業』の増刊号、「地域から変わる日本」(2001年5月号)

ここに、吉本哲郎さんをはじめとした、地元学のお話
水俣の紹介が載っていました。

学生だったので、安く泊まれる宿を探し、
水俣1泊目は、水俣病センター相思社

当時、農産物の加工に興味のあった私は
相思社のスタッフの方に、尋ねてみました。

そうしたら、とあるおばあちゃんを紹介してくれました。

それが、実は吉本哲郎さんのお母さん。

四国まで回る予定だったのですが、
哲郎さんに「1か所を深く見たほうが良か!!」と言われ、
3週間、吉本さん宅にお世話になることに。

まあ最初は、ご存知の方はお分かりかと思いますが、
哲郎さん節に戸惑いながら
真顔で冗談言ったり、からかわれたり、
真剣に忠告されたり。
本当に、面倒見のいい方です。

その滞在の初期に紹介されたのが、
現在の夫。

ちょうど5月でお茶摘み真っ最中!
手伝いに行け!!と。

前日の夜に、
「この山道をず~っと登っていくと、茶畑があるけん」と言われ、
翌日、カブでむかいました。

本当に山道で、大丈夫かな??とちょっと不安に思いながら行くと
おっと、開けました!!

ちょうど、この景色ですね。



私は、ばっちり作業着を持って行っていたので、
まあ、珍しい部類の人だったかもしれません。


それから、夫の知り合い、哲郎さんの知り合いに
次々と会う日々。

芦北町の「縁」の有吉さんや
漁師の杉本さんご一家
宮崎県綾町の郷田さん一家
田浦の鶴田さん
石飛の天野さん


ビナ(貝)拾いしたり
杉本さんの朝市を手伝ったり
霧島の川の温泉(自然の川が、丸ごと温泉!!)に行ったり
古石での地元学や
おばあちゃんの団子づくりの手伝い
お茶摘みの手伝い(しかも、乗用摘菜機で指をはさんでケガ)
熊本のティアというレストラン
知覧まで、お茶の仕上げにもついていきました。

本当に、つながりつながるご縁。


吉本さん宅と現在の我が家をつなぐ
その道と景色が、
将来、ここに住んでいるんじゃないかな・・・と感じさせたり。

そして、そこからの展開が早く^^;
2週間くらいで夫に「結婚してほしい」といわれ
「え??私、学生ですけど・・・」
とびっくり、でも、何となく気持ちは固まっていたと思います。

だって、その前から杉本栄子さんに
「水俣に来なっせ、松本君の嫁ごになればよか」って言ってもらえたんだもん。。

嬉しかった。

夫の広い人脈ぶりに惹かれたし
直感的に、水俣面白い!この人の輪がおもしろいな、って思いました。

本当に、今思い出しても、
ぎゅぎゅぎゅぎゅ~と詰まった玉手箱。


さてさて、結婚を決めるまでは早かったけど、
そこからと、
さらに結婚してからは、さんざん悩みました。
結婚するということだけでなく
家族のこと
暮らしのこと
仕事のこと
いろいろ。

でも、今の私の気持ち。
それも、後日書きたいと思います。


おまけの、伏線。

実は、あとでまた、驚いたこと。


学生の時、就職活動に行った(というか、押しかけた)
こだわりの納豆をつくっている登喜和食品の社長さん。

私のことを気にかけてくださり
水俣に旅に行くとお話したら
知り合いがいるよ、と教えてもらいました。

私は、その知り合いの方はてっきり市役所の人だと思っており
農業に興味があった私は、市役所の人なら、まあいいかなと思い、連絡はしませんでした
(スミマセン。でも、それは哲郎さんのことだったから、結局逢っていたのだけど)

で、本当に逢わせたかったのは、夫で
夫のもとには、たくさんの納豆と
私の名刺を超拡大コピーしたものがFAXされてきていたそうです。
大いに「よろしくね」ということですね(*^_^*)。

でも、自転車で来ると聞いていたから、
郵便局であった時に、その子かな、と思ったけど
カブだったから声をかけなかったそうです。


本当に、いろんな方がつないでくださったご縁です。

これからも、大切に育てていきましょう。