若い感性は素晴らしい03~「障害と命」:学生の感想文から~ | のめしこき日記

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 学生の感想文です。800字程度にまとめてもらいました。学生の作文中①②③は、次の質問を指しています。

①:自分の4回の判断にブレはありませんでしたか?

②:自分とは反対の意見で尊重すべき意見はありましたか?

③:世の中には「障害があると不幸だ」という考えがあります。この考えが大勢を占めると、障害児者が生きづらい世の中になるように思いますが、いかがでしょうか?

 

学生の感想文(800字前後でまとめる)

 ①については1つだけ「そう思う」を選択したため、ブレがあります。2回目以降の内容については最初「そう思う」を選択していましたが、友だちの意見を聞いて「そうは思わない」に選びかえました。

 ②については、3回目の内容で中絶をするのは仕方ないことだと考えていましたが、友だちの中には「お腹の中にいても命には変わらないのだから中絶するのはおかしいのではないか」という意見がありました。一人ひとりの命を尊重しているとても良い意見だと思いました。ですが、経済の負担や家族の負担を考えると中絶するのは仕方ないという意見も尊重しなければいけないと思いました。

 ③については、「障害があると不幸だ」と「障害者は生きていても仕方ない。無価値だ」という意見は深く結びついていると考えました。「障害があると不幸だ」という考えがあるから「障害がある人は無価値だ」と考えてしまうのだと思いました。

 私は決して障害のある方が不幸だとは思いません。例え障害を持っていたとしても少なくとも生きているうちに家族の人たちなどに支えてもらっているはずです。そういう支えてくれる人たちがいるだけでも幸せなことだと思います。障害があっても何かの能力にたけている人や何かできる人もいます。その方たちの能力を活かして社会に貢献することも可能です。

 少しでも障害のある方たちのことを尊重して支えていくことで障害がある方たちも社会に居やすくなると思います。障害者が生きやすい社会を作ることが今後の課題だと考えました。

 

 

 この学生は「障害があると不幸だ」と「障害者は生きていても仕方ない。無価値だ」の考えは共通であると気づいてくれました。つまり相模原事件の犯人と同じような心理が、私たちにもあるのではないか? ということです。

 この授業は「障害のある命」がいわゆる健常児より軽んじられてもよいのかということを問うているつもりです。文字通り問えば、間違いなく全員が命は平等だと答えます。

 本来幸不幸を決められるのは本人だけだと思うのですが、この授業では、「障害を持って生まれてくると不幸だから」という理由が少なからず述べられました。

 私たちの多くは「障害者は生きていても仕方ない。無価値だ」とは思いません。しかし心のどこかでは「障害者は不幸だ」と思っているかもしれません。

 

 かく言う私もそんな思い=偏見・差別心がないとは言い切れません。

 

 ただ、自分には偏見・差別心があると思っていれば、それを払しょくしようと心がけることができるのだとも思います。

 障害児者=不幸と障害児者=無価値という考えは根は同じで「偏見」であることに気づくと、障害がある人を見るまなざしに変化があるように思い、授業で取り上げました。