九死に一生の中で練られた心魂とは……? | 致知出版社公式アメーバブログ

おはようございますひらめき電球


お盆休みも目前ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか??





さてさて、編集長が毎号の特集テーマについて


熱い思いメラメラを綴る「特集総リード」





今月のテーマ


「心の持ち方」では


どんなことが語られているのでしょうかはてなマーク





本日は一足お先にその内容をご紹介してまいります音譜


致知出版社編集部ブログ






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常岡一郎、と聞いても知る人は多くないだろう。




明治三十二(一八九九)年、福岡県生まれ。


少年期から頭脳明晰、正義感が強く、


慶應義塾大学予科一年の時には


島崎藤村らを招いて講演会を開催、


自らその前座を務めるといった


才気煥発な青春時代を送った。




議論をすればたちまち相手を論破。


カミソリと渾名されたという。




この人の人生に暗雲が立ちこめたのは


大学卒業目前。


肺結核で倒れたのである。




一転して病床に伏す身となり、


近寄ってくる者はいなくなり、


孤独を嘆く日々を過ごすことになった。




そんなある日、


一人の見舞客が訪れ、常岡に言った。




「比叡山も高野山も


 もとは誰も住まない田舎だった。


 そこに徳の高い人が住み、


 人々が集う所となった。




 あなたは人々が群れる東京という都会に住んでいるが、


 周りに誰も寄ってこない田舎だ。


 そんな人間でどうする。


 徳を積んで病気と縁を切りなさい」




このひと言に常岡は奮起、


大学を中退し修養生活に身を投じる決心をした。




柳行李にトイレの掃除道具を入れ、


各地を回って奉仕作業を始めたのである。




常岡は言う。




「闘病十五年、五千日。


 病を見つめながら自らを練った。


 病を治すことをやめ、


 病で自分の性格を直すことに全心全力を尽くし、


 九死に一生の中から心魂を練ってきた」




ついに病を克服した常岡は昭和十(一九三五)年、


修養団体・中心社を立ち上げ、


月刊誌『中心』を発行、講演に人生相談に全国を行脚、


九十歳まで人としての道を説き続けた。




すべてを人のために使い切り、出し切った人生だった。


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 常岡先生が残した数々の心に響く言葉とは……はてなマーク


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