大島渚監督のお葬式で弔辞を読んだ坂本龍一さん、映画のきっかけが「戦場のメリークリスマス」で演じた大尉、その役は当初ジュリー(沢田研二さん)がキャスティングされていたらしい。
調べてみると、この映画は1982年8月にクランクイン、1983年5月に公開された。大島監督の前作の「愛の亡霊」が1978年で、デビット・ボウイには1980年の暮れに会ってシナリオを渡してOKをもらったらしい。また、当初はロバート・レッドフォードとジュリーの競演する企画であったが、レッドフォードは断ったみたいである。
一方、ジュリーの映画出演は、1979年10月公開の長谷川和彦監督作品「太陽を盗んだ男」、1981年6月の深作欣二監督作品「魔界転生」、1982年12月の山田洋次監督作品「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」で田中裕子さんと共演することになる。
ちなみに、シングルでは、1981年9月21日♪ス・ト・リ・ッ・パ・ー、 1982年1月♪麗人、5月♪おまえにチェックイン、 9月♪6番目のユ・ウ・ウ・ツといった時期
やっぱり「太陽を盗んだ男」を観て、オファーされたのでしょうかね。そして、スケジュールがあわなかったのでしょう。
もし、戦場のメリークリスマスに出演していれば、寅さんには出ていなくて、田中裕子さんとの出会いはなかった???
その後、1986年(昭和61年)に行われたジュリーの「デビュー20周年記念パーティ」には、発起人代表として、大島渚監督の名前もありました。
ということで、キャスティング変更で、ほとんどみんな結果的によかったかも、、、