◎ 東北沖大震災に思うこと
この度の地震においての特徴である沿岸部での津波被害は未曽有で、誰しも経験値が及ばないところであって、津波には経験のない私もあまり言及する資格はありません。
被災した皆々様のご苦労をお察しし、あえて誤解を恐れず、良寛和尚の言葉。当時の三条市は大火災により甚大な被害にあい、被災した親友へ宛てた手紙の文が 想いに至ります。
どんなに抗おうが人知を超えた力には抗いきれるものではない。
とかく誰かのせいにもしたくなり、猜疑心や「なぜ私にそんな目に遭わねば」とも思うが人間の心にはある。しかし、遭遇したことにとどまらず、心まで痛んでしまう。
苦しみから逃れるには、唯一、静かにそれを受け入れるしかないのだと、良寛は言っているのだと思います。
平穏を取り戻すまでの心の動きとして、このように思しかあるまいと、
良寛の意図を別の禅の書にあったのを記憶してますので ご紹介します。
災難に遭ってしまた。
これは国のせいなのか? いや違う。
誰かが悪いのか? いや違う。
では、自然が悪いのか?
自然は無為だ。意図はない。
これはこの地に住んでしまった 己が悪いのか?
自分を責めることを一番しがちになるが、いやそうではない。
では なぜに苦しまねばならぬのだ?
それは、おぬしが災難に遭おうとらんからだ。
テレビなどから見受けられる被災者様のご様子から、良寛の心境にも似た静けさをほとんどの方から感じます。
また、諸外国からは被災地は混乱もなく秩序の素晴らしさに絶賛がされております。
わたしは、静けさが漂う被災者の方は、しっかりと受け止められた方ではないかと思うわけです。この度の称賛すべき秩序差の源は、伝統的に備わっている、人知を超える見えないものを受け止める東洋的な素性が日本人に備わっておるからではなかろうか。
むしろ 何も被害のない我々の心の方が
不協和音を奏でているように思います。
3/15 表現不足で、本位が伝わらず大幅に校正しました。
さて、かつて三条市の大水害や中越の2度の地震にて住宅をつぶさに見てきたものとして、何かしら役に立ちたく思い、私のわかっている範囲の事柄をつづりたいと思います。
津波と洪水の破壊の差:
水害においては、決壊付近は水流が強く、三条市の五十嵐川での決壊現場から、300m付近の家屋においては、地盤改良工事をしていなかった家屋は基礎ごと押し流されました。
一方で改良工事をしていた家屋は、床よりも1m以上水につかりながら、洪水の潮流にも流されずにその場にとどまりました。潮流は地盤ごと洗い流しますので、改良工事の有無が家屋被害の差になったと思います。
決壊現場よりも1Km以上も離れていれば、潮流がそれほど速くないので、建物ごと流されるという被害はなかったです。じわじわと水かさが上がってくるという様子でした。
今回の津波の場合は、10mにも及ぶということなので、いかなる構造躯体でも抗うことはできなかったと思います。ただただ人知を超えた自然の荒ぶる神を祈念して鎮めるしかありません。
幸い、新潟県は地形的に津波の被害には遭いにくいと思われます。
水害としては、もしも土地を購入しようと思う時には、地域のハザードマップにて、該当水系の河川が決壊した場合は、どの程度の水位まで水が上がるかを確認したほうがよろしいと思います。
水害地域の復興支援活動は危険を伴います。地震後の作業よりも水害後の作業のほうがしんどいという印象です。汚泥はガラスや金属片が混じりますので素手は危険です。事実、清掃中にけがをして破傷風になり、腕を切断寸前にまでになった客様がいました。復旧には汚染などの2次被害を食い止めるために消毒を伴いながら進めます。
現地へは10万人規模の自衛隊を優先させ、ボランティアを入れさせていないのは、足手まといであるだけではなく、水害+地震という、過去の事例が通じないくらいの危険性があるからと思います。
地震の震度と家屋の被害状況の関係:
経験上、震度6弱と 6強では家屋被害には歴然の差が出ます。
6弱では一部の老朽家屋しか被害が出ませんが、6強ともなると一部の新築の家屋でも家屋被害が出ます。写真は被災後の柏崎市中心部の写真です。震度は6弱と記憶します。
被害家屋は主に築40年程度経過した建物をピンポイントで潰していったように感じました。一方で、新築家屋においては、全くの被害が無いという状況でした。
この度の地震では、震度6強のエリアが広大なためにどの程度の家屋被害が出るのか心配でありましたが、(津波地域を除いて)一般エリアの被害が予想よりも軽いように見受けられます。いわき市にて住宅をやっていたことの経験ですが、あの地域の宅地の地盤にも影響があるのではないかと推測します。
新潟では地盤改良率が日本1という、軟弱地盤地域ですか、いわき市においてはその逆のケースで、岩盤が基礎の底板にほど近くて、透水で岩盤が膨れる現象、いわゆる盤膨れに注意するほど、地盤がしっかりしていました。良好地盤地域が多いために揺れの被害がワンランク下に抑えられたのかもしれません。
しかし、2500ガルともなる震度7の世界ともなると、揺れだけで爆撃後のような甚大な被害の様になります。中越地震での川口町や山古志地域がそれに該当しまして、調査に行った集落の100世帯のうち、青紙が張ってある家屋は3棟のみで、過半数が倒壊していたという光景は忘れられません。
被災地への移動の自粛:
12日に、サラリーマンと思しきグループが、サティにて義捐物資の食料を大量に買いだめしているのと鉢合わせました。聞くには「仙台へ」と言う。
「行けませんよ。」といいましたが、「行くだけ行ってみる。」という勇ましさです。
しかしながら、自家用ヘリでもあれば別ですが、まず到着は不可能であったでしょう。
この写真は震度6地域の道路写真です。震度6弱でもこのざまです。10万人規模の自衛隊派遣と正規の援助物資輸送にまずは道を譲ろうではありませんか。
ガソリンも不足していますので、2次被害の懸念もあります。
ボランティアはライフラインがせめて出来上がってからかとは存じます。
本当に、三条水害、中越・中越沖地震・はたまた大雪での災害。
そして、山の向こうでは地獄絵図。
心が穏やかであった時の方が少ないくらい。
悲しさで心がすり減って悲鳴を上げております。
被災を受けた方々。 救援の方々。
頑張りすぎないでください。 心がぷつんと切れぬよう。
一日でも早い平穏な日の復活を祈ります。