帰れない戻れない,経堂編その2話。(アキラの物語) | 正太郎のブログ

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※この物語はフィクションです(経堂編その二話) 


 G町の女性のいるバー「ワカ」は、名こそバーではあるが「バーテンダー」の腕などは必要のないとんでもない店であった。後でわかったことであるがそこのママは30過ぎの色白で確かに美人であったし夜の世界の女のようには見えなかった。実はオーナーがバックにいて、もちろんママの彼氏で、見た限りではまるで映画の「仁義なき戦い」に出てくる松方弘樹のような「ヤクザ」である。実際はヤクザではないのだが右寄りで有名な某大学の卒業者で学生の頃からその「ワカ」を経営しているらしい。





 彼女であるママは開店当事は相当危ない濃厚なサービスもして警察にもにらまれたらしいが、その分、相当稼いでそのオーナーに貢いだようだ。そんなわけで店にいるホステスといえばどこか過去を持ったような女ばかりで主婦もいたようだ。アキラが働き始めた頃店を任されていた店長はやはり右寄りの大学、N雄と同じK大学出身だった。しかし、その店長大野は日ごろはとてもやさしくてシャイな男に見えた。店長にほか二人ほど大学生のバイトがいた。元銀座出身と言うことで店長の大野もバイトの二人もアキラに一目置いた。ママも仕事が出来るアキラが店に来たことには喜んでいたようだ。それは店長の大野が、日ごろは真面目で人当たりもいいのだがひとたび酒が入ると人が変わったように過激になり客であろうがヤクザであろうがお構いなしにケンかを始めるような男であったからだ。それはオーナーも悩みの種であった。しかし、大学が違うとはいえ、同じ右翼系の大学を卒業しているのでそのことには目をつぶり自分の舎弟のように可愛がりもしていたようだ。
 

 さて店にはママのほかに、主婦の優子、昼は会社に勤めているといわれている和子、そして見た目は10代にも見える本当は25歳の元新宿のホステスをしていたという由美子。ママと彼女等いれてたった4人だった。店としては少しホステスが少ないと思えた。ちなみに、男が4人もいるのは多いのではと思われるがバイトの二人は交代で出勤していた。だから常時3人であるが、実はその店はドリンク作りは非常に忙しくてカウンターに三人はいないととても追いつかないのだ。とにかく、売上を上げるためにフルーツやら何やら金額の張るメニュー類が矢継ぎ早に注文された。さらに、これは偽ドリンクなのだが、ホステスが客にねだりロックを一杯頼むと1000円でホステスに300円バックがある。水割りだと800円で200円バックである。日給のほかに何倍も飲めば相当な額になる。そして、そのロック・水割りだが、実はコーラを水で割りロックの場合はコーラを余計目に入れて濃くする。水割りは薄く作る。そして、「偽ロック」、「偽水割り」に数滴のサントリー・ホワイトを垂らすと出来上がりだ。だから、彼女等はいくら飲んでも酔わない。おそらく客も承知なのだが、「物にしたい」と思っているのでどんどん彼女等にご馳走するのだ。
 


 新宿や銀座、いや大阪でもちゃんとした仕事を覚えてきたつもりのアキラではあるが、その店ではそんな知識など必要なく、とにかく注文の数をこなしホステスと客との行為を見て見ぬ振りをすることがすべてだ。しかし、人生すべからく経験をつむべしと考えるならば、実に意味ある経験をしたのかもしれない。それの意味するところはこれからアキラが遭遇するであろうその後の人生においていつまでも忘れることのない苦い思い出を残すことになるからである。
 



 さて、店がいつも繁盛して込むのだが売上が今ひとつであるとして、ママはその頃ホステスの補充をオーナーから命令されていた。いくら開店当初濃厚なサービスで客をつかんできたママとはいえ、彼女の体は一つ、何人もの男を相手にすることなど到底出来ないし、たった三人のホステスでは偽ドリンクはそれほど飲めない。いくらアルコールが入っていない飲み物といえどそれほど飲めるものではない。これは不思議だが、ビールの例でもわかるが、純粋な水はジョッキ五杯は飲めないが酒が飲める人ならジョッキでビール五杯は飲むのは可能である。
 

 とこうするうちに、まず一人ホステスが入店した。年のころは20代後半(見た目だが)、身に付けているものはセンスがいいしとても高価なものを身にまとっている。こんな場末のバーに来るのは訳ありと見ていいだろう。その女の名前は道子。入店してすぐに客が相当ついた。仕事振りもなかなかしたたかで敵を作りそうだ。道子が入店して数日後、里香というロックン・ローラーみたいなその当時なら横浜湘南で遊んでいるような所謂「ツッパリ」タイプの女が入ってきた。店は急に活気を得、当然売上も相当伸びた。
 



 店の食べ物(つまみ類)はバイトが担当していた。店長の大野は客との接客に忙しい、偽ドリンクを製造するのはもっぱらアキラの係りだった。彼は正直こんな仕事は情けないと思ったがなにしろ金がいい。とにかく給料日を目指しコーラを薄めてホワイトを垂らし続ける毎日だった。
 

 さて、アキラの給料もその店に勤めるようになって懐具合も良くなったので麻衣子と二人休みごとにいろんなところへ遊びに行った。小田急線のロマンスカーに乗って横浜駅で降りて街を散歩したり太平洋を知らない二人は鵠沼(くげぬま)海岸へも行った。おしゃれもしたい年頃なので貯金なんて考えも及ばないアキラはその頃流行ていたブランド物を買っては身につけた。今にして思えばそれほど似合ってもしないのによくもあんなだぶだぶのバギー・ズボンとかベル・ボトムのジーパン、くるぶしまで届く長めの、なんと呼ぶのか忘れたがその頃流行のコートも着てみた。極めつけは柔道着のように帯で結ぶ黒の半コートなんかも着た記憶がある。とにかくよくもまあ、自分の体型もかえりみず、流行のファッションを追いかけたものだ。しかし、その頃の若者はみんなそうだったし、今だって若者はそういうものだと思う。とにかく、麻衣子に出会うまでは所謂「ツッパリファッション」だったアキラがなんとGパンさえ穿くようになったのだ。髪型は当時はパンチ・パーマではあったが、以前と比べればいくらか都会的になったのではないかと思う。麻衣子は小柄だがキュロットの似合う可愛い子ではあった(決して知的ではないが詩を書いたりシュールなところもあった)





 麻衣子と付き合ってアキラは小椋桂、荒井由美、NSPも知った。とくに小椋桂には特に興味を持った。ユーミンは当時としてはちょっとブルジョアぽさが鼻につき「ひこうき雲」「コバルト・アワー」しか聴かなかったが、生まれて初めて聴く音楽ではあった。そんわけで、一時は「ムード・歌謡」ぐらいしか(銀座や青山・六本木のサパー・クラブではバンドがよくやっていたので)耳にしないアキラではあるが、洋楽こそ聴かないが、麻衣子のおかげで当時の流行の歌を意識するようになった。もちろんその当時のフォークのヒット曲ぐらいは知っていた。しかし、アングラ系のフォークはアキラは知らなかったと思う。なぎら健一などアキラは「お笑い系」と思っていたのではないか。





 そういうわけで、アキラは麻衣子のことを愛していたと思うが、しかし、結婚となるとアキラは二の足を踏むだろう。だってアキラにとってこれまで仕事をしては来たが、決して満足できるものはなかった。まだまだなにかある、と思っていた。新宿も銀座も、ましてやG町の「ワカ」など生活のためでしかない。では、生活以外とは「なんなのか?」それでは、麻衣子はアキラにとって生活のため、そして「精神衛生(心の平安を保つ)」のためだけの「女」でしかないのではないか・・・(アキラは心に手をあっててそのことを考えてみたことがあったのか?
帰れない戻れない・経堂編その3に続く。