『回天』の戦績-② | 大神回天基地ブログ

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太平洋戦争末期に出現した特攻隊。大分県日出町にあった人間魚雷「回天」の訓練基地・大神基地の歴史や基地設備及び「回天」の開発経緯・構造・作戦内容(神潮特別攻撃隊)を紹介します。また大神基地に関連した空母「海鷹」等の艦艇や使用武器について紹介もしていきます。

 以後は次第にアメリカ軍の停泊地の警備が厳重となった為、洋上攻撃へ作戦変更を余儀なくされました。
 菊水隊以降、金剛隊、千早隊、神武隊、多々良隊、天武隊、振武隊、 轟隊、多聞隊、神州隊と計148基の回天が出撃し、多くの母船である伊号潜水艦の犠牲を払いながらも作戦は継続されていったのです。

 回天による攻撃による戦果(発進80基=搭乗員)
 ・1944年11月20日:給油艦ミシシネワ撃沈(菊水隊)
 ・1945年 1月12日:輸送艦ポンタス・ロス小破(金剛隊)
 ・1945年 1月12日:歩兵揚陸艇LCI-600撃沈(金剛隊)
 ・1945年 1月12日:弾薬輸送艦マザマ大破(金剛隊)
 ・1945年 1月12日:戦車揚陸艦LST225小破(金剛隊)
 ・1945年 7月24日:駆逐艦アンダーヒル撃沈(多聞隊)


(駆逐艦「アンダーヒル」・Wikipedia(En)より)

 ・1945年 7月24日:駆逐艦R・V・ジョンソン小破(多聞隊)
 ・1945年 7月28日:駆逐艦ロウリー小破(多聞隊)

 1945年3月以降は敵本土上陸に備えて、スロープを設けられた旧式の巡洋艦(北上)や駆逐艦(峯風型駆逐艦、松(丁)型駆逐艦等)、一等輸送艦からの発射訓練も行われました。


(軽巡洋艦「北上」1945年・Wikipedia(En)より)


(軽巡洋艦「北上」からの発射訓練・Wikipedia(En)より)


(竣工時の橘の艦型図及び回天搭載例・Wikipediaより)
(下が終戦時(1945年8月)の竹。単装機銃の配置と回天の架台は推定。)


 また基地回天隊の整備・編成も進められましたが、戦地へ輸送中に撃沈(第18号一等輸送艦・沖縄本島・第一回天隊)されたり、配備された回天も出撃の機会はなく終戦となりました。
 ※水中・水上特攻基地位置図及び
  回天訓練基地及び基地回天隊一覧参照。

 この回天作戦やほかの作戦に関わったの中での戦没者は、回天搭乗員80名、回天整備員35名、潜水艦乗組員812名、前進基地による戦没者10名、訓練中殉職15名・自決者2名、第18号輸送艦乗組員225名、第一回天隊回天整備基地員120、合計1299名と言われています。
 ※
回天特攻作戦時期・戦没者数一覧参照。

 その年齢は17歳から27歳までで平均20.9歳でした。

 詳細は大神回天基地「④回天の戦績と基地回天隊」をどうぞ。


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次回は「大神回天基地の建設と開隊-①」です。
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