東野圭吾 『赤い指』 誰しもが避けて通れない現実社会問題 | 人魚姫の泡言葉

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作者を追いかけて読むことはあまりしない。

司馬遼太郎、松本清張、江戸川乱歩、シドニィ・シェルダンと彼らたちの著書は、連続して手にとった。時代に惹かれたからだ。

自分が知らない時代背景の物語。そこにノスタルジアを感じるのである。見たことのない世界。想像をおもいっきり膨らませてくれる。

東野圭吾の本は、サスペンス・ホラーばかりを好んで読んだ1995~99年に一冊だけ読んでいる。

名前は覚えてるのだが書名が今ひとつ記憶にない。『秘密』であったような・・・

彼の小説は、現実の社会問題を無視しては書けない。トリック、なぞ解きより、読書後に残るのは人間の業と性についてだ。

『白夜行』このドラマを観て驚き感動したので、原作を読み『幻夜』『手紙』と次々と読み進めた。こんなのは珍しい。舞台が大阪の『白夜行』は勝手知ったわが町なので手に取るように情景が浮かび面白さを倍増させてくれた。


【梗概】
前原昭夫がいつものように会社に居残っていた。急く仕事でも無いのに無駄にグズグズ引っ張り時間を延ばそうとしてた矢先、妻からの携帯電話で否応なく帰宅せざるを得なくなった。

つい数分前には、同僚に振られたばかりだった。飲みに誘ったが誰一人として乗ってこなかった。所在なく何して伸ばす時間を作ろうかと思案してた矢先の出来事。

有無をいわせぬ妻、八重子の切羽つまった様子が伝わってきた。熱烈な恋愛で結ばれた訳でもなく、なんとなしに1年間付き合い、相手側も適齢期ということもあり、自然に結婚した。

八重子は、気難しい女であった。子供、直巳が生まれてからは食事さえ出来合いの惣菜ばかり。部屋は散らかり放題で埃がここあしこに積もっていた。1つ、忠告しょうものなら子育てがどれほど大変かとヒステリーを起し100倍言い訳が返ってくる。

口喧嘩、嫁との諍いを避けるべく、前原昭夫は家庭的な全てを諦めた。家庭への期待、希望を捨てたのだ。夫としての責任は果たした。

家庭のことは無関心となり子供のことも嫁にまかせっきりだった。子育てに口を挟もうものなら顛末は明らかだ。八重子を刺激しないようにと心を配った。

冷たい家庭に昭夫は居るのが堪らなかった。むしろ会社のオフィスのほうが居心地が良かった。

ひとり息子の直巳は、部屋に閉じこもったまま父親と会話しょうともしない。八重子は、息子の顔色ばかりを追いかけ言うままに気ままにさせてる。夕食の献立は、息子のみが対象のメニュー。夫には、パックに入った惣菜を並べるだけ。

一事が万事、八重子中心に回ってる家庭。前原昭夫は、両親の面倒を見てくれとは言えない。言うまでもなく先に断りの言葉を投げつけられた。

気にはなる。両親を気にならない子供はいない。しかし、嫁と険悪になってまで争ってまで両親の面倒を見てくれとは言えない。言ったところでするような女ではない。

認知症を患った父親の面倒は、年老いた母親が文句ひとつ言わず健気に看病した。どうなることかと心配したが、母親が最後まで面倒みて看取ったので、正直に言って肩の荷がおり、ほっとした昭夫だった。

裁縫店を経営しながら妹は実に良く親の面倒をみてくれる。なさけない兄だと思われてようと甘えるしかなかった。

母親が呆けてきたとき、来るべきものがきた。逃げれない。小学生の頃、小さな家しか持てなかった父親を軽蔑していたが、今になって考えて見れば自分は、その父親の領分にさえ届いてない。

持ち家がないのが幸いして父親の家をリフォームして同居する事になった。日常の世話は、妹が通いで面倒見るということで八重子はしぶしぶ了承した。

そんな折、ひとり息子直巳が小さな少女を自宅にひき込み、とんでもない事態を起してしまった。それは取りかえそうにも取り返せない事柄だった。


悲劇は昭夫、八重子、そして年老いた母親にと覆いかぶさってきた。




堪らない苛立ちと憔悴感で読んだ。この家族の誰しもが嫌いだった。

中学になっても全て親の責任にする甘ったれ直巳という息子も嫌い。歪んだ母性愛の八重子も嫌い。全てを知りながら事なかれ主義で見てみぬ振りをしてきた一家の主、昭夫も嫌い。

昭夫の実妹、春実の存在で心が救われた。

元凶は八重子という女であると思う。悪人探しの場ではないが、何処の家庭でも起こりうる事象。
高齢化が進む中、避けては通れない問題。

伴侶を間違がうと取り返しがつかない。金銭にだらしない人とならお金の苦労が付きまとい、冷たい人間性なら、冷酷な家庭が待ち受けてる。著者の意図とは別に私は、結婚とは何か考えて欲しいとおもう。

結婚は個人の結びつきであっても、家の結びつきでもある。封建の名残が薄らいだにしろ双方に親が居るのは当然のこと。

年老いた親は、さて子供がみないで誰がみるのでしょう?お金があれば養老院に行けばいいでしょうが、寝たきりじゃない老人は病院では看てくれないのだ。

私は、くも膜下出血で数回の大手術により命を繋ぎとめた叔父を思って仕方なかった。リハビリで体は歩けるようになった。

手術で脳のどこがイカレてしまったのか、後天性知的障害者になってしまった。先天性知的障害は18歳までに認定された者に適応。知能指数が75未満までの定義を定めてある。

後天性知的障害は、これに該当しないばかりか3歳以下の知能指数であっても適応されない。リハビリのお陰で歩けるので身体障害者にも該当しない。

家族の苦労計り知れないものがあった。叔父さんの面倒を看るといっても高齢の父親しかいない。高齢の母親は他界していて、嫁いだ姉、結婚したばかりの弟に面倒みさせるのも酷である。嫁とは言えば数年前に癌で他界している。

高次機能障害認定の病院など行ったりもしたが、認定医が勧めるのも家族が面倒看ることが一番だという。骨折ばかりして自分の身もままならない85歳の高齢の親に面倒を看させるのは不可能だ。

そのような事情があったので、八重子の我が侭が堪らなく嫌だった。人間が冷たいのだ。

ひるがえって自分の子供には、異常な愛情をしめす。

親は子を思い、子はまた自分の子を思う。

どちらも捨てるわけにはいかないとき、人は親を捨てるんだ。


捨てられた親は、自分が子を持つ親だから 子を理解する。 自分を捨てなければならなかった心情を親であるからこそ理解するのだ。

昭夫が鬼畜で終わってしまうのか、最後の最後、加賀刑事の暖かい心づくしで人間を取り返した前原昭夫。

昭夫の母親の心中察するに言葉で言い尽くせない悲しみが湧く。


作家、東野圭吾は、これに気づくことが出来る。そして訴えてる。


暖かい心がいっぱい詰まった人なのだと思う。そうでないと絶対に気づかないで通りすごしてることがある。彼はそれらをきちんと踏まえて真正面から捉えている。

八重子さん、あなたが義母に対して行ってた行為は、子供直巳がみてるのです。そして、その直巳もああなた八重子さんがやったと同じように貴方にするのです。

それが分からないのかしらね・・・・

殺人事件という究極の事態に置かれた時、人はどうするか。


この小説を読んで家庭のあり方、親へのあり方、子へのあり方。考えさせられます。