小川洋子『やさしい訴え』(文庫版)
(1996/文春文庫、2004.10.10)

カリグラフィー作家の女性が
愛人の許に通う夫との関係に疲れて
幼い頃に過ごした別荘に逃げ込み
隣人である
チェンバロ製作者と
その弟子の2人と知り合い
静謐で濃密な日々を過ごす
という恋愛小説です。

青柳いづみこのCD
紹介した記事で書いた通り
未読だったんですが
この際ですから
読んでみた次第です。


ミステリばかり読んでいると
こういう、いわゆる普通の小説は
名探偵みたいな人がいて
すべて説明してくれる
ということがないので
どう楽しめばいいのか
戸惑いますね。

面白さのキモのようなものが
分からないというか。


巻末の解説で
青柳いづみこが書いているように
ある日、突然、人前で弾けなくなった
元ピアニストで今はチェンバロ製作者の新田が
チェンバロを
カリグラファーの瑠璃子の前では
弾けないけれど
弟子の薫の前でなら弾ける
というあたりが
キモかと思います。

でも
新田にとって
瑠璃子は楽器だったが
薫は音楽だった
という青柳の説明(謎解き)は
抽象的ないし感覚的で
自分にはよく分かりません。(^^ゞ


語り手の瑠璃子は
新田と薫の間に入っていこうとし
新田と身体の関係を持つのですが
どうしても
彼らの間に入っていけません。

新田との関係を
堅固なものにしようと
焦って発せられる言葉が
読んでいて痛々しい。

瑠璃子自身も
自分が発する言葉が
自分を貶めもしていることに
気づいているのですけれど
恋愛小説で描かれる
こうした醜い振る舞いは
読んでいて辛くなりますね。


そうした辛さを和らげてくれるのが
別荘近くでペンションを営む奥さんや
そこで飼われている孔雀
チェンバロ工房で飼われている老犬など
その他のキャラクターです。

あるいは
瑠璃子が清書している
霊媒師の自叙伝の内容なんかもそう。

それらが醸し出すユーモアが
作品がはらむ緊張感を
時として
和らげてくれる感じがしました。


タイトルは
ジャン=フィリップ・ラモーの
同名のクラヴサン曲に由来します。

ただし
「やさしい訴え」というのは
邦題のひとつで
「恋の嘆き」「恋のくりごと」
という訳もあります。

曽根麻矢子のCDでは
「恋の嘆き」というタイトルでした。

原題は Les tendres plaintes です。


作中では
ラモーの同曲が演奏されますし
キーワードとなるのですが
その他にも、たくさん
チェンバロの曲名が出てきます。

知っている曲も
いくつかありました。

ただ、知ってはいても
活字を追っている間は
メロディーが浮かんでこないのが
困ったものでして。

出てきた曲をリストアップして
手持ちのCDでアンソロジーを編んだら
面白そうですけど
手許にある分で揃うかな?


チェンバロ曲以外では
『預言者エレミヤの哀歌』という
フランスの宗教声楽曲が
印象的な使われ方をしています。

一般的には
「ルソン・ド・テネブレ」
というタイトルで
知られている曲ですが
17世紀のフランスで大流行したらしく
クープラン、シャルパンティエ
ド・ラランド、ランベールと
いろんな人が作曲してます。

ところが作中には
作曲者名が書かれていないので
作曲者が特定できません。

手許に
フランソワ・クープランのものが
ありますけど
こちらの記事↓によれば

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2520248.html

どうやらクープランでは
ないようでして。

でも、まあ
持っているクープランを
聴き直してみましょうか。(^_^)


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