『複数の時計』ハヤカワ・ミステリ文庫版
(1963/橋本福夫訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1976.6.30)

これは確か
新刊書店で買ったはずですが
手許にあるのは
1977年1月31日発行の2刷です。


読むのはこれで
2度目か3度目になりますが
今回ちょっと
確認したいことがあって
読みました。

確認したいことというのは
ルイス・キャロルの『アリス』が
どういうふうに使われているか
ということです。


クリスティーといえば
『そして誰もいなくなった』(1939)など
マザーグースの使用
ないし引用が有名ですし
『複数の時計』にも
マザーグースからの引用があります。

『アガサ・クリスティーは
マザー・グースがお好き』

『アガサ・クリスティーはマザー・グースがお好き』
(矢野文雄、日本英語教育教会、1984.7.10)

なんていう本が出ているくらい。


でも
クリスティーと
『アリス』の関係については
あまり言及されることはありません。

『複数の時計』は
『アリス』からの引用がある珍しい例で
自分がそれを知ったのは
早川書房から出た
『アガサ・クリスティー読本』
(1978年発行の旧版)の
作品リストで、だと思います。

長編リストには
簡単な梗概が付いていて
そこに
『アリス』からの引用がある
と書かれていたことを
思い出したのでした。


読み直してみたら
引用されていたのは
『鏡の国のアリス』に出てくる
ナンセンス詩「セイウチと大工」の
一節でした。

ポアロが事件解決のヒントとして
「セイウチと大工」の第11聯を
読み上げるのですが
伏線ないし手がかりとしてみた場合
ちょっと無理筋か
と思います。


『複数の時計』はその他に
ポアロがミステリ論を展開する
ということでも知られていて
最初に読んだ時は
むしろ、そちらの方を
期待していたフシがあります。

奥付の発行年の頃に
買って読んだのだとしたら
中学生くらいですが
だとしたら
まだ関心の範囲が狭く
したがって視野も狭かった時期なので
充分に理解できなかったか
楽しめなかったかしたように思います。

今回が3読目だとすると
もう1回読んでいるはずですが
やっぱり良い印象は残っていません。

作品の狙いを
掴みそこねていたような気がします。


では、今回はどうだったかといえば
謎解きミステリとしての出来ばえは
二の線、三の線だというのが
正直なところです。

訳文が古めかしいので
感じ取りにくいのが難ですが
かなりユーモラスなタッチで書かれており
新訳されれば
ロバート・バーナードが
『欺しの天才
 ——アガサ・クリスティ創作の秘密』(1980)

『欺しの天才』
(小林滋・中野康司訳、秀文インターナショナル、1982.9.15)

でいっているように
「生気にあふれ、見事な語り口」を
感じられるのではないかと思いました。

伏線も巧妙でしたし
クリスティーがやりたかったことは
分からなくもないのですけど
だとしても
クリスティーの長編の中では
かなり落ちると思います。

霜月蒼(しもつき・あおい)の
『アガサ・クリスティー完全攻略』

『アガサ・クリスティー完全攻略』
(講談社、2014.5.13)

では
★5つが満点の評価で
本書は☆ひとつの0.5点でした。

これはかなり低い。( ̄▽ ̄)


作中で描かれる
ポアロのステリ談義は
上に述べた
クリスティーのやりたかったことと
密接に絡み合っていて
そういうところを
すくってあげたい気が
するんですけどね。

本書におけるポアロのミステリ談義は
クリスティーのミステリ観の現われ
というふうに捉えられがちです。

クリスティーの分身だと目される
探偵作家アリアドネ・オリヴァーの作品も
俎上にあげられていて
「訳者あとがき」では
「推理作家としての自分を
 自己批判している部分」
なんて書かれています。

そういう面も
なきにしもあらずとはいえ
そういうことはいったん脇に置いて
ポアロのミステリ談義は
テクスト全体の中で
どう位置づけられるのか
どういう意味があるのか
ということを考えると
なかなか面白いと思うわけです。


ところでポアロは
ミステリ談義を始める前に
実際の殺人事件
つまり犯罪実話についても
話しています。

コンスタンス・ケント事件や
リジイ・ボーデン事件は有名ですが
ブラーヴォ事件と
アデレイド・バートレット事件は
あまり知られていないかもしれません。

少なくとも自分は
あの事件かと
すぐには分かりませんでした。

ブラーヴォ事件は
英語版の Wikipedia の記事によれば
ディクスン・カーの『疑惑の影』(1949)や
クリスティーの『無実はさいなむ』(1957)で
言及されているようです。

アデレイド・バートレット事件は
アントニイ・バークリーの
『毒入りチョコレート事件』(1929)でも
言及されているようですし
日本語版の Wikipedia の記事によれば
ジュリアン・シモンズが
この事件をふまえて
長編小説を書いているようです。

つい最近
『イギリス風殺人事件の愉しみ方』
という本を読んだだけに
イギリス人の殺人事件好きな風潮が
よく出ている感じがされて
興味深かったです。

ここらへんは
『複数の時計』の読みどころのひとつで
フィクションの方の
ミステリ談義ばかりに注目するのは
もったいない。


ポアロのミステリ談義では
自国の作家や
アメリカやフランスの
現代作家については
自分も含め
すべて匿名になっていて
それが誰だろうと想像するのも
ひとつの楽しみ方かもしれません。

アメリカやフランスの作家は
国ごとの傾向を言っているだけで
具体的な個人作家を
想定していないのかもしれませんが
イギリスの作家はどうでしょうね。

アリバイものの巨匠シリル・クェインは
F・W・クロフツでしょうが
故人になっているスリラー作家
ギャリイ・グレグソンは
誰でしょう。

エドガー・ウォーレスとか
J・S・フレッチャーとかかな?

個人的にウケたのは
ポアロが
「大いに関心をそそられる著者の
原稿の競売」がある
と言う場面で
その著者の名前がはっきりと
ジョン・ディクスン・カー
と書いてあるところ(p.262)でした。


前述したように
『鏡の国』からの引用は
ポアロの口から
謎解きのヒントとして語られるのですが
どこが無理筋か
うまく使いこなせてないかをいうと
ネタバレになるので
詳しくは書きません。

ただし、こちら↓の本で

マーチン・ガードナー註『鏡の国のアリス』
(1960/高山宏訳、東京図書、1980.10.3)

マーチン・ガードナーの註釈を
確認してみると
ポアロが引用する
「セイウチと大工」の一節は
イギリス人の人口に
膾炙していることが分かりました。

なんで「セイウチと大工」なのか
と思っていたのですが
ガードナーの註釈で腑に落ちました。

クリスティーの意識では
マザーグースと同じ感覚での
引用だったと思われます。


この『アリス』からの引用にふれた
橋本福夫の「訳者あとがき」は
なかなかいい文章でした。

現行のクリスティー文庫版で
削除されているのが
ちょっと残念なくらい。

気になる方、というか
『アリス』に関心のある方は
ハヤカワ・ミステリ文庫版を
図書館などで探して
読んでみてもいいかも、です。


個人的に『複数の時計』は
クリスティー自身の作
『七つの時計(七つのダイヤル)』(1929)の
リニューアルないしリメイク
さらに『複数の時計』のバリエーションが
『バートラム・ホテルにて』(1965)や
『第三の女』(1966)だろうかと
思うのですけれど
『七つの時計』や『第三の女』を
再読している余裕はないので
単なる印象に過ぎないんですけどね。

『バートラム・ホテルにて』が
『複数の時計』の発展系だというのは
割とイケてる意見なんじゃないかと
思ったりしてるんですが。(^^ゞ


ちょっと長くなっちゃいました。
乱筆深謝。


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