花散らしの雨 ~3~ | 奥様はねこ ~団地妻猫とダーリン絵日記~

花散らしの雨 ~3~

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『花散らしの雨 ~1~』

『花散らしの雨 ~3~』
結婚して丸1年がすぎ、穏やかなお正月休みを終え通常の生活リズムに戻ったある日、電話が鳴った。
「お母さんが倒れて救急車で運ばれた。」
$奥様はねこ ~団地妻猫とダーリン絵日記~-電話

父からの電話。
母は脳出血だった。一命はとりとめたものの、半身に麻痺が残り、それから半年入院生活になる。
制度上の理由で救急病院から2回転院することになった。

母は元々何でもてきぱきこなす完璧主婦で、密かにプライドも高い。
それを保つため、ストイックなまでに努力もして、不摂生とは無縁な母。
しいて言えば、家族のために忙しく無理をしすぎることくらい。
しっかり者ほど、実はもろくて寂しがりなもの。
独りにしておくと壊れそうで、救急病院では、父と交代で泊り込んだ。

皆さんは、自分の母親が絶叫する姿をみたことってあるでしょうか?

意識がはっきりしてからは、悔し涙に暮れる姿‥。
体より先に、母の心が壊れてしまわないか心配だった。
何もしてあげることのできないもどかしさと哀しさに、母の居ない所で泣いた。
父も、泣きはらした目をしていた。
$奥様はねこ ~団地妻猫とダーリン絵日記~-なにもできない


2週間ほどで、救急病院からリハビリ病院へ転院となった。
その頃、私の妊娠がわかった。
私は、妊娠について耳年増だった。保育士時代勉強したし、妊娠出産コミックエッセイ好きで精読していた。
飛び上がるほどの嬉しさとともに、いろいろなリスクについても考えていた。
父母が大変な時だし、私はマル高だし。
とても冷静に、家族に、だーりんに告げる時期を、自分できめた。
姉(医師)にだけ告げて協力してもらっていた。

無事12週を超えたホワイトデーに、もらったばかりの母子手帳を手に、だーりんに告白。
安定期に入るまで親達に言わないでとお願いした。
$奥様はねこ ~団地妻猫とダーリン絵日記~-おめでただょ


父は、家事を一切できず、洗濯機の使い方すら知らなかった。
実家は、生活に車が不可欠で、底冷えして部屋ごとの温度差が大きい。角度の急な階段も心配の種。
両親は、37年住んだ家を離れ、母の退院までに便利なマンションに引越すことにした。
4月末の母の転院を前に、父は3月に目の手術をした。成功したとは言いがたいその手術の後、めまいするほど、モノが多重に見える状態になった。
それまでだーりんの前では泣かなかったけど、両親を次々に襲う不幸に、帰宅後泣いてしまった。

父は、しばらく病院で渡されたネット?メッシュのアイマスクをつけて外出していたが、それが、まるでタヌキ?のような形。
$奥様はねこ ~団地妻猫とダーリン絵日記~-たぬきめがね

本来外出を前提にしてないのかもしれないが、ビジュアル的にあんまりなデザイン。
それでも、父は、あちこちぶつかりながら、毎日、時間の許す限り母のところへ通っていた。父の愛には感服する。

マンションの契約や、引越準備、見舞い、転院、手伝う事がいくらでもあった。めまぐるしい日々。
 つわりは、私の場合、吐き気ではなく、極度の眠気と寒気だった。
厚着してカイロを貼りまくって、電車とバスを乗り継いで、母のお見舞いに通っていた。
電車も少なく、バスは1時間半に1本。それを逃すと歩いては行けない距離。ほぼ毎日だから、そうそうタクシーも使えない。その年の冬は、雪が何度も降った。
お腹に手をあてると、あたたかい気持ちになって
$奥様はねこ ~団地妻猫とダーリン絵日記~-ママがんばる

「寒いね~、でもママがんばるょ(∩.∩)だいじょうぶ。ママが守ってあげるね」
おなかのあかちゃんに語りかけては笑顔になっていた。

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