久しぶりの投稿です。

どうしてかっていうと、入院していた病院にいた先生が書いた本をたまたま読んだから。
ついでに病院をHP検索したら、移転してずいぶんきれいになっていた。
今月で入院治療をやめて外来だけになるらしい。

懐かしい~というよりちょっと重苦しい感じ。
私の周りで病気だったことを知っているのはほんのわずか。

言えないよね。こんなこと。

今でも病気にならなかったらどんな人生だっただろうと思う。
いつも何かを隠して生きているような気がしてなんかいや。

誰でも言えない過去の1つや2つはあるでしょうけど。


摂食障害のど真ん中で苦しかった頃、
一番嫌だったのは『偏見』

摂食障害は心の病気。
摂食障害は性格や育てられ方に問題がある。

などなど。

でも、私自身にも偏見はある。
偏見がいやだという自分が偏見を持っている。

じゃあ、偏見ってなに?と考えると
偏った見方。

人って自分の見たこと経験したこと、自分の価値観の範囲内でしか
考えられないと思う。

てことは、偏見は人間なら当たり前?
だとしたら、この世から偏見をなくすのはムリ。


そもそも
摂食障害は心の病気。
摂食障害は性格や育てられ方に問題がある。
っていうのは医学書でも言われていること。(私が病気の頃は)

ということはこれは偏見ではなく、情報に基づいた事実。

過去の私は、事実を偏見と言っていたことになる。

自分が思っている通りに相手に受け取ってもらえないのが嫌だった?

とするとわがままでだったとも言えるかも。
などと最近思っています。

過食の状況は通院前と全く相変わらずひどい状態で、大学にも行かず、寮にこもって朝から晩までずっと過食嘔吐です。

薬が効かず過食がおさまらない、カウンセリングは最初に反感を持ってしまったことから、通院するモチベーションも下がっていきましたダウン
今までの自分を振り返り、ありのままの自分を見つめることで自己肯定感を得て回復に向かうという内観療法。実際、内観療法で回復された人のお話も聞き、その効果を知ることができました。
転じて、自分が摂食障害の当時、この方法を知っていたらどうだっただろうと考えました。

たぶん、私はこの治療方法を選択できなかったと思います。

なぜなら、私は身の回り、特に父親への感謝の気持ちを持つことにとても抵抗がありましたし、実際今もそうです。

感謝の気持ちを持ち、父親を認めることで、距離感が縮まって、私を受け入れるというか、さらに気持ちにまた土足で踏み込まれるような気がしてならないのです。越えなきゃいけない壁なのかな~と悩みます。。。


ですが、一般論として、受け入れてもらいたいと思いながら、相手を受け入れないでいるままだと、結局相手も自分を受け入れられないという負のサイクルに陥るように感じます。だから、自分を受け入れてもらいたいと思うなら、まず相手を受け入れることが先なのだな思いました。
今日は以下の講演会を聴きに札幌まで行ってきました。


思春期の心の講演会、相談会(医療法人耕仁会 札幌太田病院)
http://sapporoohtahp.blog32.fc2.com/blog-entry-286.html

こちらの病院はもう40年程、いじめ、不登校、引きこもり、自傷行為、摂食障害など思春期の頃に見られる症状を持つ患者さんを診察しておられ、毎年1~2回、病院で治療として取り組んだこととその成果を発表していらっしゃるそうです。

特に力を入れて取り組んでいるのが「内観療法」というもので、これは、

母・父・身近な人々に対して
①してもらったこと
②してお返ししたこと
③迷惑・心配をかけたこと

を患者さんご本人に振り返ってもらうことで、歪んだ認知を正し、行動を修正する認知療法です。

患者さんたちは、自分は愛されていない、必要とされていないなど自己肯定感が非常に強いのですが、そのような患者さんの中に具体的にどんな変化が起こるかというと、上記3点について思いだすことで、

意外としてもらったり、心配をかけた事は多いけど、それに対して返している事って結構少ないことに気がつく。

自分はきちんと親や周りの人に愛され、必要とされていることに気がつく。

自分が周りの力を得て生かされている事実に気がつき、感謝の気持ちが生まれる

自分の人生をどう生きるかの新しい一歩を踏み出す。

治療者からの強要ではなく、事実をありのままに見るように見方が自然に変わることで、行動も自然と変わっていくとの事でした。(つづく)