つづきです。
宮島海岸には「○○浦」というところがたくさんありますね。
この度の岩船岳山行で初めて認識しました。
所属の会の岩船岳行きから発生した海岸歩行,真近に見る光景に
圧倒されています。
遠景としては見ていたけれど,すぐそばを歩く,干潟を延々と歩く,大岩を乗り越える,
侵食されてできたいくつもの洞窟を覗く,連続して出てくる奇岩,本当に凄い経験になりました。
御床浦にある御床神社で座って休憩をとり,これから出発します。
岩を乗り越え乗り越えして東進。
砂浜のど真ん中にデ~ン。
わたしたちは「おむすび岩」って思っていましたが,これは「烏帽子岩」
Saさんのカメラの中には,こんな素敵な写真がありました。
砂が引き締まっているため,靴が泥んこという状態はありません。
侵食されてできた洞窟がたくさん。中がどうなってるのか・・・・・興味津々。
覗いてみたけれど,奥のほうに流れ着いたごみがたまっているだけ。
只今,「内侍岩」なる巨岩を求めて歩いています。
「これかなあ?」「いや,もっと大きかった・・・。」と海岸歩行経験者。
この岩だって見上げるような大きさでした。
15:45
あの先っちょ,渡れるかなあ?ってTさんが心配してる。ちょっと難所のようです。
あそこが渡れなかったら,山道のあるところまで引き返さないといけないかも・・・・
15:47
ここが最難所。
ストックで長さを測ったり高さを測ったりして,わたしたちにも渡れるかどうか思案中。
岩がまん丸,ツルツルで掴みどころがない。
落ちたらドボン,ザンブリ~。
ここは,Tさんが先に乗り越え,
向こう側から指示を出しながらストックで引っ張り上げてくださいました。
ばんざ~い。成功!!
カメラマンのSさんは,今から自力で乗り越えます。がんばって~。
14::53
難所を超えて,次は,『内侍岩』
まだか,まだか・・・と思いながら歩いていたら「内侍岩」が見えてきました。
「内侍岩」,ちょっと触ってこよっと・・・・・・トコトコトコトコ。
うわぁ,変わった岩だ。なんだか趣のある岩。
~内侍岩伝説~
平安時代の後期、徳大寺大納言藤原実定[とくだいじだいなごんさねさだ]卿が厳島に
参籠[さんろう]している時、琵琶の名手で十七歳になる有子内侍[ありこないし]を寵愛[ちょうあい]され、次のような歌を詠みました。
「山の端に 契りて出ん よはの月 めぐり逢べき 折を知らねど」 実定卿
やがて、実定卿が都に帰るとき、有子内侍は嘆き悲しみ、船を追いかけ、この岩に立って
卿の船が見えなくなるまで別れを惜しんだという。
この岩を内侍岩という。
内侍岩は、大野の対岸、室浜の西側300m位先の海岸にあります。
「はかなしや 浪の下にもいりぬべし 月の都の人や見るとて」 有子内侍
(一般社団法人 宮島観光協会 HPより)
もうすぐ,広大植物実験所ですが,
もう少し先まで,海岸歩行が出来る極限まで砂浜を歩きます。
「キャー!!」岩に手をガブリとやられた!!
16:34影の長さが長~くなってきている。
カキ筏がいっぱいあるところで,作業をされている方がいらっしゃいました。
小舟で,対岸の大野浦からカキの仕事に来られているようです。
その方が,仕事の手を休めてわたしたちの方に来られて,
「この先は,柵があって施錠がしてあり,この先に行っても,舗装道に上がれない。」
と言われました。
理由を聞きますと「イノタがのう・・・」 「イノタ?」
「イノタが,浜を掘りまくって,カキいかだの下が荒らされる。それで,柵を張り巡らしたんじゃ。」
と。
イノシシが海の方まで出てくるそうです。ゴカイや海にすむ虫を求めて・・・・。
この話は,4人とも初めて聞く内容でした。
作業されていた方が,あそこから上がれと言われたところ。多々良川の下流。
驚いたことに,この川の上流から鹿が全力疾走でやって来たのです。
鹿って,厳島神社近くでのんびりしてるところしか知らないものですから,
これにもびっくり。
少々揺れる梯子。先ず,危険がないか確かめてくださいます。
大丈夫と分かって,3人が続きました。
この梯子を上がったところは,某作業所で,その構内を通らせていただき,舗装道に出ました。
多々良からいつもの道を延々と桟橋に向かって歩きました。
長~い影が一緒です。
夕方になるとさすがに観光客の姿は少なくなっていました。
運よく空いていた藤い屋で,お茶ともみじ饅頭をいただきながら,今日の反省。
桟橋へは18:00到着。18:10のフェリーに乗ってそれぞれ帰路につきました。
今日は,朝からたくさんの人にお世話になりました。
感想は?この写真の通りです。みなさん,ありがとうございました。
おわります