読んだ本
アインシュタイン 平和書簡
ネーサン、ノーデン編
金子敏男訳
みすず書房
1975年12月

アインシュタインは長らくのあいだ、「兵役を拒否する」という戦略で、世界の平和を夢みていた。

しかしその夢はヒトラーによって打ち砕かれた。

暴力的に隣国を侵略しようと虎視眈々と狙い、ユダヤ人をしめつけはじめた1933年、アインシュタインはそれまでの自分の考えを翻し、ベルギーやフランスはヒトラーの暴力に対抗すべく兵役は必要だという考えを示した。

「今日の状況下では、私がベルギー人であったら、兵役を拒否せず、ヨーロッパ文明を保持するという意味で、喜んで引き受けるでしょう。」(279ページ)

もちろん「兵役拒否」は完全に放棄したわけではない。一時的な措置とだという。

またここで新たにアインシュタインは、国際警察のような組織の必要性を訴えはじめる。つまり彼の反戦、平和思想は、たとえばガンジーの「非暴力」「不服従」とは異なり、「力」による体制の維持を認めている。

当時の非武装的平和主義者とのあいだで、こうした意見の相違が生まれる。

また、ロマン・ロランもまた、アインシュタインの「転向」に失望した一人であった。

「アインシュタインの知性は、自然科学の領域では天才的であるが、それ以外の一切においては、きわめて脆弱で曖昧、一貫性のないものであることは、私には余りにも明瞭である。」(283ページ)

このあと、1939年までアインシュタインは、「平和や自由はかちとらねばならない」という意識のもとで、数々の書簡を残し、講演原稿を作成し、雑誌や新聞に寄稿する。

ヒトラーによる暴挙に対して、いかにふるまうか、というのは、歴史的な難題であり、今の私たちに当時の彼らの考えや行動を断罪する資格はない。

ヒトラーという物質が吐きだすエネルギーを他の物質に影響させないためには、もっと大きなエネルギーをぶつけるほか、方法はない、と考えるのは、唯一の選択肢であったのかどうか、私にはわからない。

しかしアインシュタインは少なくとも歴史のうねりのなかで、ヒトラーの蛮行に対抗するための、さらなる「力」が必要だ、という意識があったことは疑いえない。

歴史上の表現では、ヒトラーが原爆を使う前になんとかしなければならない、ということであるが、実際に何とかする、というのは、つまり、ドイツに原爆を落とすという可能性も含まれていたように思う。アインシュタインの脳裏にそんな考えがなかったのだろうか。

当の本人は、実際に原子核からエネルギーをとりだすということが、すぐさま可能だとは思っていなかったようなのだ。

なんという楽天家であろうか。

そんな彼がついに現実と向き合ったのは、1939年の初夏。レオ・シラードが彼に原子爆弾の製造に関して相談をもちかけたときだった。

シラードがもっとも懸念したのは、ベルギーが領土としているコンゴには大量のウランがあり、それをヒトラーが狙うかもしれない、ということだった。アインシュタインはベルギーの女王と親しい間柄であるので、このことを進言せねば、とシラードは考えたようだ。

この会合にはもう一人、物理学者が参加している。ユージン・ウィグナーである。彼は同時に、そのコンゴのウランを米国に輸入すべきだと提案した。

また、シラードはたまたまの縁で、
フランクリン・D・ルーズベルトと近しい経済学者アレクサンダー・ザックスにこの話を相談している。ザックスはアインシュタインの手紙をベルギーではなくルーズベルトに送るべきだと考えた。

シラードはこの意見を受け入れ、アインシュタインと会い、大統領に渡す手紙を口頭でドイツ語訳して伝えている。このときの文章をアインシュタインは書きとめている。またその後文章は少しずつ修正されてゆく。

本書ではいくつかのドラフトが掲載されている。

よく知られているように、原爆製造が現実的に可能であること、ドイツも関心をもっているに違いないこと、が書かれている。

実際に大統領の手元にこの手紙が届くには、およそ1ヶ月ほどの間隔があったようだが、それでも大統領はザックスから話をきくやいなや、委員会をたちあげる。

こうして米国は、原爆を製造する道に一気に突入する。

もちろんこれが、アインシュタイン一人によるものではないことは確かであるし、実際それ以降彼は何らかの協力はしたものの、直接的にこの原爆製造のプロジェクト内で活動をしていたわけではなかった。

だが、先述したように、少なくとも彼は、こうした流れに、何ら異論をもっていなかった、ということが重要である。

またしても愚痴になってしまうが、このあと、実はシラードでさえも、この原爆製造プロジェクトの情報が十分に得られなくなる。つまり、軍事機密化したのだ。

その後は、知っての通り、1945年8月に実際に広島と長崎に投下されるに至るが、この1940年からの5年間については、また明日、続きを書きたいと思う。


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