別海高校の挑戦 | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

 秋季北海道高等学校野球大会が終わった。優勝したのは北海高校。道内ではダントツの甲子園出場回数を誇る名門中の名門だ。これで北海高校は来春の選抜大会出場をほぼ確実にした。

 しかしぼくは、この大会ではとある田舎の公立高校に注目していた。それが別海高校だ。

 別海高校のある別海町がどのあたりにあるか、道外の人にはなかなかわからないだろう。もしかすると道民でさえも、地図で正確な場所を指さすことは難しいかもしれない。



 しかし別海町は、あることで有名になった。それは別海町役場のホームページを見てもよくわかる。



 別海町の人口は14,271人(令和5年8月末、住民基本台帳)。これはどこの市町村のホームページにも出ている情報だ。しかし別海町はこのほかに、牛の数119,125頭というのが載っている。実に人口の約8倍の牛がいるのだ。人口よりも牛の方がはるかに多い町として有名になった町だ。

 別海町にはもう一つ面白い話題がある。別海という町名をどう読むか。ぼくの周りではほとんどの人が「べっかい」と発音している。ぼくもかつては「べっかい」と発音していた。

 平成元年5月から平成3年3月まで、ぼくは釧路で勤務していた。ある調査を担当していたのだが、その担当区域が別海町と中標津町だった。

 別海町役場に電話をすると、「はい、べつかいちょうやくばです」という返事が必ず返ってきた。誰が出ても、必ず「べつかい」と発音していた。町勢要覧を確認すると、そこにも「BETSUKAI」と書かれていた。その時初めて、正式な呼称は「べつかい」なのだと知った。

 しかしこれには後日談もある。町民の中でも「べっかい」と発音する人が多かったようで、平成21年の町議会で、「どちらも容認することが望ましい」ということになったそうだ。あくまでも正式には「べつかい」だが、「べっかい」でもいいよということになり、二つの読みが存在することとなった。

 そんな別海町から秋季北海道高等学校野球大会に出場した別海高校。しかしこれまで別海高校は全道大会での勝利がなく、全道初勝利を目指すという記事が大会前の北海道新聞に載っていた。30年以上前のことではあるが、別海町に若干の縁があったぼくは、部員わずか16人の別海高校にちょっとだけ注目していた。

 初戦の相手は苫小牧中央高校だ。甲子園出場経験はないが、昨年のドラフト会議で広島東洋カープから1位指名された斉藤優汰投手を輩出した高校であり、われらがファイターズの根本悠楓投手もここの出身だ。3年間に2人ものプロ野球選手を輩出している強豪校だ。

 ところがそんな苫小牧中央高校を4対3と破り、全道大会初勝利をあげたのだ。ここでぼくの注目度は大いに上がった。

 次の対戦相手は知内高校だ。かつて春夏通じて町立高校としては初めて甲子園に出場したことで話題となり、昨年のドラフト会議では坂本拓己投手がヤクルトスワローズから指名され入団した。そんな強豪チームが相手だったが、この試合も4対3と接戦をものにした。ぼくの注目度もMAXになった。

 そして迎えた準決勝。相手は古豪北海高校だ。さすがにここは厳しいだろうと思っていたが、7回まで0対2とほぼ互角に試合を進めていった。そして迎えた8回表に無死満塁という絶好のチャンスを迎えた。この勢いで古豪北海を破り決勝進出もあるかも!そんな夢を思い描いた。

 しかし北海はさすがに強かった。絶体絶命のピンチを内野ゴロによる1点だけに抑え、その裏に決定的な4点を追加して勝負は決した。最終的には1対6というスコアであったが、道東の田舎町の公立高校が、わずか16人というメンバーであの北海高校と互角に渡り合ったことは、見る者の心を打つ戦いであった。

 さて、来年の選抜甲子園。優勝した北海高校はほぼ確実に選ばれるだろう。4強に残った別海高校はどうだろう。

 北海道東北ブロックでは、北海道からは1校だけということが多い。だけど別海高校は、21世紀枠として推薦されるのではないかと思う。地理的なことや部員数の少なさといった不利な条件を克服して好成績を残したということは、強力なアピールポイントとなるのではなかろうか。

 もしも21世紀枠で別海高校が甲子園に出場を果たすとなれば、根室管内からは春夏通じて中標津高校に次いで2例目となる。

 その中標津高校が夏の甲子園に出場したのは平成2年の夏だった。ちょうどぼくが中標津で仕事をしていた時で、たまたま北北海道大会の準決勝の試合が行われている時に役場に行った。すると誰も仕事をしておらずテレビの前に集まっていた。役場だけではない、おそらく町内全体がそうだったろう。

 町長室に行って町長と話をしたが、町長も心ここにあらずでテレビ中継が気になる様子だった。ぼくたちもそんな状況を察して早々と打ち合わせを切り上げて、町長室を出た。

 役場を退去しようとロビーを歩いていたちょうどそのとき、中標津高校がサヨナラ勝ちを収めた。その瞬間、役場の中が轟音に包まれた。まさにそう表現したくなるほどの大歓声が沸き起こったのだ。その勢いで中標津高校は決勝戦も勝利を収め、甲子園へと駒を進めた。

 たまたまこのとき役場で窓口となって実務を取り仕切ってくれていた人が、野球部の父母の会の会長だった。ぼくたちも寄付をしようとその人に申し出たのだが、「お気持ちはありがたいのですが」と丁重に断られてしまった。なんでも寄付の申し出が次々とあって、すでに使いきれないくらいの寄付が集まっているというのだ。北海道の片田舎の町での甲子園出場というのは、これほどまでにインパクトのある出来事なのだ。ちなみにこの中標津町も、人口より牛の方が多い町だ。

 あれから30年余り。またあの熱気が道東の田舎町を包まないだろうか。まず12月になるであろう北海道の21世紀枠推薦校の発表。そして来年の出場校発表が、いまからとても待ち遠しい。

 16人の球児たちの挑戦は、まだまだ続く。