札幌プチ旅行記(アスリートの風編) | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

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還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

 8月6日、18時50分。ホテルでひと休みしたあと、私は平岸にあるFMアップルに向かいました。目的はもちろん、アスリートの風に出演するためです。招待選手として出演するのは、これで合計6回目となります。生レポートとか、引率で出演した回数まで含めると、いったい何度目の出演となるのでしょうか?


Road to SAROMAN BLUE-オンエア中


 3月19日に招待選手として出演して以来なので、ペースとしては半期に一度、呼んでもらっているようです。


 通常の招待選手は、プロフィールシートを渡されて、その用紙を埋めます。そしてその中からトークの中でいろいろ質問をされて進行していきます。


 私も、初めての招待選手のときはそうでした。でも今は、私はプロフィールシートを書かず、テーマを4つ考えます。そしてそのテーマに基づき、HITOMIさんと斉藤店長とフリートークをする、といった構成になります。


 で、今回はこんな内容でお話させていただきました。


1.走り始めたきっかけ


 6月3日の北海道新聞の夕刊「まど」に掲載されたのですが、私は以前、うつ病を患っていました。2月に1ヶ月の入院と、その後1ヶ月の自宅療養。2ヶ月間仕事を休んだのです。それが1997年のことでした。


 当時、美瑛に家を建てて間もない頃だったのですが、6月に開催されているびえいヘルシーマラソンの親子ペアの部に、当時小学3年だった息子とともに出場したのです。たまたま地元の大会ですから、当時の私のように、普段は走っていないけど出場するという町民もけっこういるんですよ。


 そのときは、途中でばてて歩きそうになる息子にハッパをかけながら走ることができたのですが、翌年からは立場が逆転して、息子についていけなくなった私が、途中で歩き出すということが2年続きました。彼が5年生のとき、1999年のときなどは、ゴール前で待っていた彼が、やっとたどり着いた私の手を掴むと、無言のまま全力疾走でゴールを目指し、私は引きずられるようにして走ったのです。


 そのときに、息子の親父に対する抗議の気持ちが現れたと思うんですよ。それが伝わってきて、このまま父親として情けない姿ばかり見せているわけにいかないと思い、まだうつ病で通院中だったのですが、火がついてしまいました。そして翌年のこの大会に向けて走るようになりました。


 練習や大会で走るようになると、ランニングハイを経験するようになって、坑うつ剤を飲んで無理やり気分を高める必要がなくなっちゃったんですよ。逆に薬を飲みながら走るのが邪魔になって、精神科の先生に聞かれたら叱られそうですが、通院も薬も勝手にやめちゃったんですよね。そしてそのまま走り続けるようになりました。そしてうつ病を克服して、走ることにはまっちゃって、それからずっと走ることになって、今に至っています。


2.3つの約束


 現在発売中の、ランニングマガジン・クリール9月号に掲載されているのですが、たまたま2ヶ月前の号でマナーについて取り上げてくれていたんですよ。実は1年前にも、マナーについて取り上げてほしいというメールを編集長に送っていたこともあって、「素晴らしい記事でした」というメールを送ったんですよね。そうしたところ、マナーを守ろうと直接呼びかけるだけじゃなく、こういう運動をしているランナーがいると、人物にスポットを当てて紹介することでマナーについての啓蒙を図りたいと、お話がありました。


 そこで「風に舞う地図」というコーナーで、3つの約束を中心に話させてもらいました。それはコップ・スポンジはゴミ箱に捨てるということ、道路にツバは吐かないということ、声援には「ありがとう」と応えるということです。


 この3つについて、私はこれまでも自分のHPやブログの中で約束しています。そこのところをこの記事の中では突っ込んでいただきまして、たとえばコップについていえば、あるとき子どもたちと練習していたら、テーブルと紙コップを持ってきて給水所を作ったんですね。そしてそこで給水した後、子どもたちは紙コップを道路に捨てたんですよ。彼らにしてみれば、テレビのマラソン中継ではみんなそうしてるから、そうするものだと思っていたのでしょうが、僕はそれを見て何か違うんじゃないかと思ったんです。だから走り始めの頃から、僕はコップを路上に捨てないようにして走っていました。


 それがこの前のなかしべつ330°開陽台マラソンのように、マイカップ運動なんていう、給水のタイムロスが気にならない人はマイカップ給水所を設けます、ということをやりましたね。そして一般の給水所でも、テーブルの50m先と100m先にゴミ箱を用意して、そちらに捨てるように呼びかけたら、コース上にはコップやスポンジがほとんど捨てられていなかったんですよね。


 他のランナーと話をしても、私の3つの約束は特別なことじゃありませんから、やはりこうした内容のことは心がけているランナーも多いです。でもたとえば北海道マラソンなんかは、ゴミ箱がないから捨てざるを得なくて心を痛めているというランナーの方もいるんですよね。


 大会側として、「ランナーの皆さんは、コップやスポンジのことなど気にしないで、レースに集中してください。あとは我々が片づけます」という気持ちもわかります。僕もボランティアをしているときは、そういう気持ちになりますから。でも、大会側から「みんなでクリーンでエコな大会にしていきましょう」と呼びかけたときに、それをすんなりと受け入れられるランナーは決して少なくないと思います。


3.第1回大会ハンター(初物食い?)


 これまで出た、あるいはエントリー済みの第1回大会は以下の通りです。


2001年 トマムフォレストマラソン(3回まで開催)

2002年 白鳥大橋ハーフマラソン(この年限り、故障のためDNSで、Ogakunのみ出場)

2003年 みどりさわやかマラソン

2007年 東京マラソン、湘南国際マラソン、頑張ろう夕張マラソンフェスティバル(この年限り)

2008年 下関海響マラソン

2009年 なかしべつ330°開陽台マラソン、北海道十勝トレイルランニング、旭川ハーフマラソン、北見ハーフマラソン、しまだ大井川マラソンinリバティ


 第1回大会の魅力は、初めての開催なので運営上の不備はあったとしても、一生懸命その大会を作り上げるという気持ちを感じることができます。不安を抱えながらも一生懸命にやっているのが感じられます。


 トマムフォレストマラソンは、運営の内容的にはまずかったんです。コースがきついばかりじゃなく、種目ごとのコースが非常に複雑で、ミスコースをした人もいました。でも、運営している皆さんの熱い気持ちがとても伝わってくる大会でした。僕はこの大会が終わった後、大会事務局にメールを送って、改善に向けた意見を伝えているうちに、事務局の方とも仲良くなってしまいました。この大会、2回、3回と改善を重ねて、すごくいい大会になりました。


 スタッフの皆さんも一生懸命にやっているのですが、ランナーの目で見なければわからない部分というのもあると思います。だからそういうランナーの声は、建設的な意見として事務局に伝えてあげたほうがいいと思います。


4.北海道マラソン


 北海道マラソンの方向性ですが、基本的な部分では、参加者を増やすことと制限時間を延長することによる拡大化は賛成です。ただ、今の開催時期を変えず、真夏の真昼間に拡大していくのはどうかと思います。7時間制限となると、普段は走っていない人でも出てくるようになりますから、炎天下でのマラソン大会はどうなんでしょう。


 昨年の下関では4時間05分、今年の千歳では4時間40分と、2レース続けて4時間を切れずにいます。サロマの2年連続リタイアも含めて最近はさえないレースが続いているので、今は謹慎中の身ですが、北海道マラソンではなんとしてもサブフォーランナーに復帰したいと思います。


Road to SAROMAN BLUE-謹慎中


 このような内容でトークをさせていただきました。で、放送終了後は、いつものように居酒屋からふるで打ち上げです。


Road to SAROMAN BLUE-KC3G0034.jpg


 もちろん、おがまんレポートもしたのですが、その内容についてはまたあらためて書くとしましょう。




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