女神降臨~2007サロマ湖100kmウルトラマラソン完走記11(確信) | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

 昨日のビールパーティでは、すっかり酔っぱらってしまった。券があるのをいいことに、何杯飲んだのだろう。それでも、ブログを書かなきゃならないという使命感に燃えて帰ってきた(笑)


 内幕をばらしてしまうと、完走記の部分は先に書き上げて下書き保存をしておいたので、これを公開モードにすればいいだけだったのだけど、ビールパーティーの部分は当然帰宅してから書いたわけだ。


 あの状態でよくこれだけ書けたな(笑)。ほとんど、何を書いたかは記憶に残っていなかったから。


 でも、mixiの方はボロボロだった。基本的にはmixiの日記はブログのコピペなのだが、画像を載せているところは若干修正している。その修正が不十分のままだった。今日になってから、慌てて修正しておいたけど。


 そして今日は楽走412旭川の練習会。つらかった・・・。飲みすぎの影響でおなかは壊していたし。やはり深酒注意ですな。


*************************************************


 キロ10分でもゴール関門に間に合うようになったので、ここから95kmまでは歩いてみることにした。2年前と比べて、体のダメージははるかに大きい。それだけに、2年前のようにキロ9分台で歩けるかどうかはわからない。今の自分の歩くスピードを見て、95kmからの最後の作戦を決めよう。


 もどかしい1kmだった。早く95km看板が現われてほしかった。あえて時計は見ないで歩いている。94km地点から、何百m進んできたのだろう?そして時計はどこまで時を刻んでいるのだろう?本当にこれで間に合うのだろうか?残り時間の計算をするとき、最初に押し忘れた30秒も、ちゃんと計算に入っていただろうか?


 もしもここで10分を切るラップだったら、もう残りは走るもんか!あとはビクトリーロードまで歩くことができるんだ。だけどもしも10分を超えていたら・・・。再び走ることができるのだろうか?


 やがて見えてきた95km地点。通過するときに時計を押す。そして恐る恐るデジタル表示を覗き込む。


9分15秒。


 そこにはたしかにそう表示されていた。私は自分の目を疑った。これだけヨレヨレになって、体は自分のものじゃないような感覚がして、それでも9分台の前半で歩けるのか?こんなラップ、今よりも体力的に余裕があったというイメージの2年前でさえ刻んだことがない。だいたいからして、さっきは走りを交えてもこのくらいのラップじゃなかったっけ?通勤ウォークの効果か?それとも、2年前の私も、抱いていたイメージ以上に疲れ切っていたのか?まさか・・・時計が壊れているんじゃないよな?


 本当にこのラップを刻めるなら、もうこれで走らなくてもいい。そう思うと、心なしか体が軽くなった。


 残り5km。通勤ウォークで歩いている距離だ。もう大丈夫。未だかつて通勤の途中でリタイアしたことはない。ただ足を前に出してさえいれば、ゴールは向こうから近づいてくる。いつしか私は、雨が降っていることさえ忘れていた。


 95km地点の通過タイムは、12時間09分00秒。あと5kmを51分で行けばいい。


 96km地点は、「あと4km」表示になっていた。ついに・・・ついに100kmの道のりもカウントダウンに入った。私はこみ上げてくるものを感じた。しかしまだ早い。まだ気を緩めるわけにいかない。何ごともなければ、もはや完走は間違いない。ようやくそう思えるようになった。でも油断は禁物。まだまだどんなアクシデントが待っているかわからない。ここは慎重にいかなければ。ここまで来たからこそ、油断からくるつまらないアクシデントで、すべてを棒に振りたくはない。


 この間のラップは9分05秒。通勤ウォークの時のペースと、それほど変わらないハイペースだ。いったいどこにそんな力が残っていたというのだ?


 2年前の記憶を呼び覚ますと、たしか「あと3km」の看板は80km関門のちょっとこちら、林の中だったはずだ。ということは、ワッカ原生花園とのお別れも近い。


 相変わらず、オホーツク海の波の音は聞こえている。次にこの音を聞くのは、1年後だろうか。そのときもまた、ワッカは私を暖かく迎えてくれるだろうか。私にとってこの波の音は、勝利を意味する音になってくれそうだ。来年、必ずここに戻ってくる!原生花園に別れを告げて、林の中の道に入っていった。


 あと3km地点を通過する。ラップは9分20秒と、少し遅くなったものの、しっかり安全圏をキープしている。


 80km関門は、当然のことながらすでに撤去されている。機材などが固めて置かれ、あとは撤収を待つばかりとなっている。ここを通過したのは今から2時間半前。なんだかそんなに時間が経ったとは思えない。苦しかったワッカの記憶が、完走を確信した喜びの前に早くも消えようとしている。でも80km関門を通過したとき、すでにヨレヨレになっていた私。それからの2時間半、よく諦めずに頑張ったぞ、自分!


 粘りの勝負に持ち込めば・・・。そう言ってきた私。しかし私は、けっして粘り強くものごとに当たるというタイプの人間ではない。むしろ諦めが早い、淡泊なタイプの男だ。ただ一つ、往生際が悪いという点を除いては。


 そんな往生際の悪さを粘りに結びつけようと思い、「粘り勝負は歓迎!」と公言している私。そうすることによって自分を洗脳しようという作戦だ。今回はそれが見事にはまった。昨年のような思いはしたくない。あんなに淡泊な自分はもう見たくない。そんな往生際の悪さが、見事に粘りに結びついてくれた。


 やがてワッカを抜け出すときがやってきた。80km関門の直前で、急ぐ私たちには壁として立ちはだかっていた上り坂。今度は下り坂として私の疲れた足を痛めつける。


 「だから、足が痛いんだっちゅーのに!」


 とブツブツ毒づきながら下りていたのが私だ。


 ワッカを抜けると、すぐにエイドがある。そのエイドの高校生たちは、雨の中、コップを持ってコースまで出てきて、大声援で迎えてくれている。ヨレヨレになった私たちにとって、時間がない私たちにとって、そのままのラインを走りながら給水できるのは、本当にありがたいこと。こんなこと、マニュアルに書いてあるというわけでもないだろう。彼ら自らが私たちランナーの立場になって考えて、いや、もしかすると考えるより以前に居ても立ってもいられなくなって、降りしきる雨も構わず出てきてくれているのだろう。


 そんな彼らの中の1人に、


 「雨の中、どうもありがとう」


 と声をかけたつもりだったのだが、最後までは言葉にならなかった。その瞬間、私の目からは、涙がどっと溢れ出ていたのだ。


 彼らへの感謝の思い、そしてここまで、98kmのつらかった思い。昨年のリタイアからの1年間の思い。そういったものが、一気にこみ上げてきてしまったのだ。それがワッカを抜けて完走を確信した瞬間に、すべてが一気に出てきてしまった。


 残りは2km。この1kmも9分03秒。ゴール制限時間までは23分あまり。もう大丈夫。ここまで来れば、もう大丈夫。


 私を抜いていったブルーゼッケンのランナーがいた。弱った足取りのランナーが多い中、さすがにしっかりとした足取りだ。何故か私はその人の背中を追いかけるつもりになった。その人は先行くランナーの列を抜きながら走っていく。私はその背中を追いかけて、必死で歩く。私も次々とランナーたちを抜いていった。


 涙はなかなか止まらない。あまりにも不甲斐ないレースだった昨年からの苦しみ。もう自分には100kmを走ることはできないのではないかと、自信を失っていた日々。そして今日も、緑館を過ぎてから襲ってきた絶望感。歩かないことだけを考えていた70kmまで。そして諦めないことだけを考えていた80kmまで。完走の確信を持つことができず、もがき苦しんでいたワッカ。そのようなことが、ぐるぐるぐるぐる頭の中を駆けめぐる。そんな思いが涙となって溢れ出ていた。


 嗚咽しながら速歩きで次々と走っている人を抜いていく私。周りの人は、妙な奴と思ったことだろう。


 彼方に見えていた楽走412の黄色いウェアがどんどん近づいてくる。Beanさんだ。勢いに乗って、そのまま抜いてしまった。こういうとき、楽走のウェアは目立つから、追いかけやすいということがよくわかる。


 ウルトラマラソンでは、私は通常はラストスパートはしない。これまでずっとそう思ってきた。ウルトラマラソンでは、ゴール前はウイニングランだ。私は別に記録を狙っているわけでないのだから、それまで走ってきた99kmを噛みしめながら、最後の1kmはできるだけゆっくり走りたい。私はこれまでそう思ってきたし、その考えは今も変わらない。


 でも、このときの私は違った。時間的には、足を前に進めてさえいれば間に合うことはわかっている。わかっているが、とにかく全力で前に進まなければならない。もう体力が限界なのだ。だから一刻も早く休みたい。順位を上げようとか、タイムを速くしようなどという気持ちはこれっぽっちもない。ただただ、1分でも1秒でも早く、もう前に進まなくてもいいよと、自分に言ってあげたいのだ。このときの私のスパートは、余裕のなさが為したものだった。


 ここまでよく頑張ってくれた。本当によく頑張ってくれた。もうすぐ、もうすぐ休ませてあげるから・・・。


 全面規制がかかっている区間に入り、ゆっくりとジョグに切り替える。相変わらず雨が降っているので、ゴール前で迎えてくれる人は少ないだろう。なにより、涙と雨がごっちゃになって、私自身が周りもよく見えなくなっている。だけど、最後のビクトリーロードはやはり走りながらゴールをしたい。94kmからすべて歩いてきたのは、最後のウイニングランの分の体力を残しておくためだ。


 1歩ずつ、1歩ずつ、確実にゴールは近づいてる。


 とそのとき、私の視界の片隅で、オレンジの影が動いた。(つづく)


楽走412旭川事務局
楽走412旭川事務局


*************************************************


 しつこいと思いますが、皆さんにちょっとお願いです。相互読者登録をしているnoriiiさん から教えていただいたのですが、トライアスリートの平山経政さんが、母子感染によるB型肝炎ウイルスの急性憎悪により、現在肝硬変に至ってます。助かる道は海外での移植しかありません。


 先日、平山経政さんを救う会より、募金を呼びかけるチラシと募金箱が届きましたので紹介します。


チラシ
チラシ


募金箱
募金箱


 この募金箱を置いていただけるお店などありませんでしょうか?もしも「置いてもいいよ」というお店などがありましたら、ぜひ協力をお願いします。


 なお、質問等がございましたら、平山経政さんを救う会のHP の中に連絡先が記されていますので、直接そちらへお問い合わせください。


 みなさまのご協力をよろしくお願いします。