アスリートの風 4回目の出演 | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

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還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

 行ってきました、アスリートの風。招待選手として1回、ついでに出演が2回、そして今回は「いつの間にかスタッフ」としての出演だった。次はどういう立場での出演となるのだろう?えっ?次はないって?それは困る・・・。


100回記念

 さてこのアスリートの風。このブログではしつこくPRしているので、いつもお越しいただいている方はすでにご存知のことと思うが、初めての方のために説明しておく。


 FMアップル アスリートの風は、毎週木曜日の夜20時から21時に76.5MHzで放送されている。コミュニティ放送のため聴取可能範囲は限られているが、インターネット放送 も行われているため、全国から聴取可能である(ADSL以上の環境と、Quick Time6が必要)。


 この番組は「走る」パーソナリティ、市民ランナーのHITOMIさんが送る、札幌初の現役ランナーによるマラソン情報番組である。マラソンに関するあらゆる話題を取り上げ、毎週、各分野でマラソンに関わっている走ること大好き人間をゲストに迎えている。


 この放送が始まったのは2004年北海道マラソン翌週の9月2日木曜日。それから数えて、昨日が100回目だった。


 もちろん私は、このような番組があることは知らなかった。ところが10月の北海道ロードレースに出場したとき、NO.71さんから、この番組で募集していたホノルルマラソンご招待に当選したと聞き、存在を知ることになった。だが、美瑛では札幌のコミュニティ放送を聴けるはずがない。そう思って聴くことは諦めていた。


 ところがランナーズでこの番組が紹介され、その中でインターネット放送もやっていると書いてあったことで、私も聴くようになった。確か初めて聴いたのはちょうど1年前、7月の後半だったと思う。


 それから木曜20時はアスリートの風を聴くことが習慣となった。


 一つの転機となったのは、昨年9月1日、第53回目の放送だった。北海道マラソンで吊革付の収容バスに乗せられ、立ったまま1時間以上も揺られて中島公園まで運ばれたという、悲惨な初リタイア体験をした私は、そのことをネタに番組宛てに初メールを投稿した。


 これが番組で採用された(基本的には、送られたメール、FAXはすべて紹介される)初メール。以来、毎週のようにメールを送るようになった。


 それでも、あまり毎週続けているとまずいかなと思い、出さないでいる週もあったのだが、たまたま番組の中で旭川や美瑛の話題が出るとついついメールを送ってしまったりしていた。


 旭川マラソンのときにN社長と初対面。そして出ませんかと誘われた私は、すぐに餌に食いついた。


 私が出演したのは11月24日。第65回目の放送だった。あっという間の1時間で、他の招待選手の皆さんの感想同様に喋り足りなさを感じたが、それ以降もずっとメールを送り続けた。


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 いつの間にか準レギュラー兼旭川支部長を拝命した私は、今年の2月からおがまんレポートというコーナーを作ってもらうこととなった。この第1回は、今年の2月2日、第75回目の放送だった。このときは、いつも同様にメールで原稿を送り、HITOMIさんに読んでいただくというものだった。第1回目のレポートは、前日からエントリー開始となった利尻島一周悠遊覧人Gの紹介だった。


 かずきさんが出演したのが2月23日。第78回目の放送だった。このときは私も札幌に出張中ということもあり、ついでに出演した。このときにNO.71さんから来たメールのおかげで、私にはついでにOgamanという名前がついた。そして初めてのおがまん生レポートを行った。


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 ふたたびかずきさんが出演した3月16日。第81回目の放送だったが、この回は初の電話レポートとなった。電話だとスタジオの空気が読めない分、非常にやりづらい。電話の声が聞こえないくらい緊張しまくった。


 ところがユウトパパさんが出演した3月30日、第83回目の放送も電話レポートとなり、それ以後はずっと電話レポートとなっている。


 電話レポートとなっても、やり方は同じだった。メールの時と同様に原稿を作成し、それを電話口で読んでいたのだ。ところが4月27日、第87回目の放送を聴いた江別市民さんから、「自分の声で喋っていない」という指摘を受けた。これは自分でも違和感を感じていたこと。原稿を喋るときに変えながら喋っていたつもりだが、どうもしっくりきていなかった。


 続く5月4日、第88回目はハムゾウさんが招待選手。ついでにOgamanも3回目の出演を果たす。そしてこの回のレポートは原稿を作らずに喋った。それ以降の電話レポートでも、キーワードのメモだけ作成して、それを自分の言葉で喋っている。


アスリートの風

 その後も回を重ねてきたある日、N社長から100回記念番組へのお誘いメールが届いた。100回目は番組スタッフにより、過去を振り返る内容で行いたいとのこと。いつの間にかスタッフとして数えられている!もちろん私は即座にOKする。ずっと番組を聴く側にいたつもりだったが、いつの間にか作る側として扱われるようになった。これは私としてはとても嬉しいことだった。


 こうして迎えた100回記念放送。パーソナリティのHITOMIさん、コメンテーターの斉藤店長に加えて、初代コメンテーターの吉田さん、そして私の4名がスタジオに入る。2代目コメンテーターの、アスリートクラブ三宅社長とは電話をつないでのお話しということになった。(番組が始まって間もなく、NO.71さんが花を持って現れた。NO.71さん、ありがとう!)


 もう4度目のスタジオだからもうちょっとゆとりを持って喋れると思っていたのだが、これが大間違い。もしかしたら、今回が最もひどい出来だったかもしれない。というのも、思っていたことが喋れないのだ。番組前の打ち合わせの時にこういうことを喋ろうと考えていたのに、いざ自分の番になると一瞬頭の中が空白になって、次の瞬間思ってもいなかったことを喋り出す。喋り始めたらもう後には引けない。しかたなくそのまま話を続ける。とっさに口をついて出てきた話だから、どこまで話せばいいかもわからないし、どうやって話をまとめればいいかもわからない。どうしてこんなことになったやら・・・。


 本当はブログランナーについて振られたとき、ブログランナーはネットを通じて全国にランナー仲間がいる。そして(自分もそうだったけど)自分が出演したときにメールが来てなかったら寂しいので、メールをちょうだいと呼びかける。するとメールが殺到し、自分が喋る時間がなくなる。といった話題を用意していたのにね。


 おがまんレポートもそう。いつも短い時間でせかされるのに慣れてしまったせいか、いざ時間があると持て余してしまう(笑)。しかもN社長に喋ってくださいと言われていた、北海道マラソン完走宣言と、N社長をゴールまで導くぞ宣言を忘れてしまうし・・・。なにしろ、洞爺湖ではサブフォー請負人になると言い、サロマでは完走請負人になると言い、いずれも逆に30km過ぎでN社長に置いていかれた私。北海道マラソンこそは3度目の正直ということで、N社長をゴールまで導かなければならない。


 でも、自分はまだまだこの番組の駆け出しリスナーのつもりでいたら、いつの間にか半分以上聴いてたことになるんだねぇ。またいろいろな形で番組に貢献していきたいと思う。


 それにしても、凄いよね。この100回の間、HITOMIさんは1度も休んでいないし、収録もしていない。全部生放送で100回も続けたんだよね。凄いよなぁ・・・。本当に頭が下がるなぁ。次の100回も、今まで通りに続けてね~。


 さて、私の役目としては招待選手の発掘ということもあると思うんだけど、くりやまで劇的ゴールのnaviさん、いかが?


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 JogNoteに突然ログインできなくなって焦ったが、現在は一部回復しているようだ。とりあえず私もログインできるようになった。


 今日は帰宅ランのみ、13.6km  今月累計 314.6km


 本当はもう少し走りたかったけど、札幌帰り&二日酔いのためここらが限度。明日もできれば15キロ~20キロくらい走りたい。そして明後日にウルチャレ対策総仕上げをできれば言うことなし。